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撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 本稿の解説文は、現地調査に基づく解説、写真撮影に加え、Wikipediaのイタリア語版を中心に英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 現地ブロック案内 ヴェスヴィオ総合メニュー 用語集 ヘルクラネウムとは 1 ヘルクラネウムとは 2 ヘルクラネウムとは 3 行き方 入場 半円形劇場模型展示 歩き方 遺跡名と場所 チケットを購入した後、ゲートを通り、内部に入ります。 最初にヘルクラネウムの古代の町の全容が目に入ります。 以下はヘルクラネウム遺跡の地図2枚です。一つ目はガイドブック、二つ目はグーグルマップですが、それぞれ方位が違います。画面上が来たなのは、グーグルマップであり、ガイドブックの地図は画面上がほぼ北西になります。 Plan of Herculaneum and the location of the Villa ヘラクレネウムの地図と別荘の位置 Source:Wikimedia Commons Public Domain, Link ここでヘルクラネウムの古代の町の区画と同様に遺跡の中をインスラ(具体的には集合住宅の棟番号)で区切っていますが、ここでは、インスラをブロック呼びます。大きな街路は碁盤の目になっていますが、各ブロックの内側には、路地や狭い通路に面してさまざまな大きさの一戸建ての家々や集合住居群が多数並んでいます。 Source:HERCULANEUM Oplontis 以下はグーグルマップによるヘルクラネウムです。本来の方位ですので、方位が上が北、下が南となっています。 Source:Google Map チケットゲートを通り高架橋に沿って進むと、下の写真にあるように発掘された遺跡へと続く曲がりくねった坂道を下ります(下の写真参照)。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 下は上の写真を90度ずらしてみています。一番左にある道路を進み、その後遺跡がある場所におりく道があります。その右側は遺跡です。私達は坂道を降りヘルクラネウムの古代の町の遺跡の現場に向かいました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 その途中で、海に面したファサードにある鹿の家(Casa de Cervi、 Deer House)とモザイク中庭の家(Mosaic Atrium House)の前を通ることとなります。 注)カルディネ(Cardines)とデクマニ(decumani) デクマヌス・マキシマス(decumanus maximus)が北東方向に走 り、カルディネとデクマニが町の区画と同様に(遺跡の中を)イン スラ(集合住宅の棟番号)で区切っています。ここでは、インスラ をブロックと呼びます。 注)インスラ(insula) Wikipedia ラテン語で借家を意味し、それは古代ローマではプレブス(下層 階級)やエクィテス(中流階級)のローマ人が住んだ大規模なア パートを指した。建物の1階はタヴェルナや貸店舗で、上層階が 住居になっている。 "īnsula" のラテン語本来の意味は「島」であ った。上から見ると周囲を通りに囲まれ、互いに隔てられている ため意味の転用が起きたという。 注)カルド カルド (ラテン語: Cardo) - 古代ローマやイタリアの都市で南北の大通りのこと を指す。さらに、古代ローマでは都市内で南北の軸となる基幹道路のことをカル ド・マクシムスと呼んだ。 遺跡名と場所につづく |