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第5回 アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2016-6
A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune


ヘルクラネウム遺跡 現地視察
HERCULANEUM
 Ruins
聖域・ボートハウス 1 The Sacred Area

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda

2020年11月30日 独立系メディア E-wave Tokyo

6つのボートハウスと聖域 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2016-2

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 本稿の解説文は、現地調査に基づく解説、写真撮影に加え、Wikipediaのイタリア語版を中心に英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

ブロック SD
M.ノニウス・バルバスのテラス1   M.ノニウス・バルバスのテラス2
聖域・ボートハウス1  聖域・ボートハウス2   聖域・ボートハウス3

海岸線  郊外公衆浴場

◆聖域・ボートハウス (SD)

 Area sacra(伊)、The Sacred Area(英)

 以下はヘラクラネウム遺跡のインスラ(ブロック)です。ボートハウスは、SDの聖域に位置しています。


参照:House of the Skeleton - AD79eruption - Google Sites

 以下のブロックSDで、「聖域・ボートハウス」はCです。


Source:AD79eruption - Google Sites



間取りの詳細
Source:AD79eruption - Google Sites




 この遺跡は比較的新しく発掘されたもので、ヘラクラネウム遺跡の一番南、海側にあるボートハウスです。このボートハウスは、ヘラクラネウムの人々が船で海に出るための船置き場であり、アーチ型にくり抜かれた6つのボートハウス(Casa-barca)です。

 このボートハウスは、ヘルクラネウムの一番海側にあり、以下の写真のように入場ゲートから入り坂道を置きりった場所にあります。聖域・ボートハウスには、一旦遺跡に入った後でも行きます。


Source: Stephan Karg, Google Map Street View

1982年に発掘されたボートハウスと300もの人骨

 1982年以、
ヘルクラネウムの海側にあるボートハウスといわれるアーチ型にくり抜かれた6つのボートハウスから多くの人骨が発見されました。

 エルコラーノの住民の多くが当初、町からに逃げず町にとどまり、噴火による影響がかなり悪化してから避難を開始したため、ボートハウスから船で海に逃げたが、強風と荒波により航海できず、残りの人はボートハウスに避難したもののそこで死に追いやられていったと推察れます。

 これは小プリニウスによるプリニウムについてのスタビアエの回想録でも同じことが推察されます。



 以下は坂道を降りる途中から撮影した6つのボートハウス(Boat House, Casa-barca)です。このボートハウスは新規に発掘され一部が展示されたのですが、ある意味でヘルクラネウム遺跡の中でもっとも注目に値し、かつ見学者の耳鼻を集める場所と言えます。


6つのボートハウスと聖域
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2016-2


 以下の写真で右側がボートハウス、左側がゲートから入場後、遺跡エリアに下りるスロープです。やはりこの場所は、見学者が一番多い場所と言えます。


6つのボートハウスと聖域
Source:Google Street View


 以下はボートハウスに向かう途中の池田こみちです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2016-2

 以下はボートハウス群・聖域です。現在、扉があり、入口にロープがあって、それより中に入れません。


ボートハウス群・聖域
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2016-2



ボートハウス群・聖域
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S10  2016-2



ボートハウス群・聖域
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2016-2


 下はボートハウスの内部の写真です。


ボートハウス・聖域の多数の人骨
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2016-2




ボートハウス・聖域の多数の人骨
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S10  2016-2


 以下は上の写真の部分拡大です。


ボートハウス・聖域内人骨の拡大写真
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2016-2

間取りの詳細
Source:AD79eruption - Google Sites



聖域はM.ノニウスバルバスのテラスの西にあり、カルドIVからのランプがテラスに合流する東端の通路(a)からアクセスできます。この西側のテラスには、最西端に2つのサッセリがあり、隣接するM.ノニウスバルバスのテラスと同様に、古代の海岸に並ぶアーチ型のボートハウスの上に建てられました。

保管に使用された可能性のあるいくつかの部屋を過ぎて、2つの寺院(b)の最初のものは金星に捧げられました(上と下の写真)。建物はAD62の地震後に完全に修復され、修復はVibidiaSaturninaと彼女の息子A.FuriusSaturninusによって資金提供されました。

表彰台で育てられたセラ(左下の写真)の前には、漆喰の柱に溝が付いていたプロナオがあります(残念ながらその場ではなくなりました)。セラはアーチ型の天井があり、庭をテーマにしたオリジナルのフレスコ画の装飾が残っています。表彰台の前には大理石の祭壇がありました。


同じくAD62の後に復元された、2番目の神殿(c)は、火砕流の力によって建物から引き裂かれたネオアッテカのレリーフ(反対側の写真)によって証明されるように、バルカン、海王星、水星、ミネルバの4つの神に捧げられました。 。レリーフは最近再発見され、コピーがセラーに配置されました(下の写真)。隣接する寺院と同様に、セラーは高くなった表彰台にあり、コリント式の柱に囲まれたプロナオが正面にあります。この地域の北西端には、まだ使用されていない他の建物(d)(写真左)の遺跡があります。決定される。

注:ここに示されている4つのレリーフのオリジナルは、ナポリの国立考古学博物館で見ることができます。


聖域・ボートハウス2につづく