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山王権現の解説礎 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix S9900 2022-2-18 法性寺 山王権現祠 妙光寺 岩殿寺 昼食 杉本寺 浄妙寺 長勝寺 実相寺 光明寺 山王権現祠 逗子市久木9丁目1 法性寺及び山王権現の全体案内図(⑩が山王権現) 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix S9900 2022-2-18 ◆山王権現祠 法窟手前、日朗廟所正面に鳥居と参道石段があり、法性寺からさらに約100段の急な石階段を上った尾根には、以下の写真のように。360度のパノラマ展望で、逗子市街や披露山の向こうに海も見える。 朗廟所正面の鳥居と参道石段 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix S9900 2022-2-18 山王権現祠に行くための石階段 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix S9900 2022-2-18 パノラマ展望で、逗子市街や披露山の向こうに海も見える。 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix S9900 2022-2-18 洋館のズームアップ 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix S9900 2022-2-18 そして岩山の頂上には鎮守の森があり、頂上に小祠と、左右に題目石碑、五重塔が置かれている。これらは鎌倉時代後期から南北朝時代の間に作られたとされる山王権現祠である。 このように、山王権現祠は日蓮避難の法窟がある岩山頂上にある法性寺の鎮守である。以下は、山王権現祠の写真である。 山王権現祠 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix S9900 2022-2-18 山王権現祠 Souce: Wikimedia Commons パブリック・ドメイン, リンクによる 山王権現祠は、比叡山麓の日吉大社を本社とし、山王信仰に基づき日本全国に祀られた末社のひとつである。 伝承によれば法性寺建立前よりこの地に山王社が祀られており、日蓮も名越路を通り鎌倉に入る際には必ずその社を拝んだとされる。 古来、山王神の神使は猿とされている。この岩山はもともと尾根筋と連続していたものが、間が人工的に掘り下げられた結果、取り残されたものと考えられる。岩山の尾根側の崖面下にもやぐらが掘られている。 奥の院(祖師堂、日朗廟所、法窟)より先は墓地で、その先は尾根筋に上がる小道があり、鎌倉七口のひとつ名越切通から分かれ、もともとは杉本寺方面に続く巡礼古道を結ぶ(現在は逗子・鎌倉間の山上の住宅地、「鎌倉逗子ハイランド」を経由する)尾根道に接続する。 尾根南面(法性寺側)は人工の切り立った崖面で「お猿畠の大切岸」と呼ばれ、かつては古都鎌倉(鎌倉城)の防衛遺構であると言われていたが、2002年(平成14年)に行われた逗子市の発掘調査により、大々的に石材を切り出した石切り場跡であったことが確認されている。 実際、後ろ側は、お猿畠の大切岸と呼ばれる絶壁がある場所。墓が見える低地は、尾根続きだった山を掘り下げた鎌倉時代の防衛遺構とされていたが、近年の発掘調査で火山灰から1707年以前の石切場跡とされる。(逗子市教育委員会) 1707年以前の石切場跡?の遠望 撮影:池田こみち Nikon Cool Pix S9900 2022-2-18 岩壁にやぐらがあるので石切場も古そう。先の山王権現は、法性寺より時代が古く、日蓮が名越を通って鎌倉に入る際は必ず拝んだという。 ちなみに、逗子市のこの山王権現祠は、今回の3番目に訪問する岩殿寺観音堂が寺伝によれば 養老5年(721年)徳道上人が創建し、行基が十一面観音像を造立して安置したというように、古い(奈良時代)時代のものが多い。 妙光寺へつづく |