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実相寺 本堂前 の青山貞一 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2022-2-18
法性寺 山王権現祠 妙光寺 岩殿寺 昼食 杉本寺 浄妙寺 長勝寺 実相寺 光明寺 アクセス 実相寺(日蓮宗) 鎌倉市材木座4丁目3−13 長勝寺視察後、私達は車で直ぐ近くの実相寺(日蓮宗)に向かった。所要時間は約2分である。車の場合、駐車スペースは境内にある。 バスの場合は、「鎌倉駅」より徒歩で約18分である。以下のグーグル地図を参照のこと。 実相寺も以下のグーグルマップにあるように、横須賀線(JR東日本)沿いにある。横須賀・総武快速線のほか、湘南新宿ライン(宇都宮・横須賀系統)も発着する。 出典:グーグルマップ 実相寺 山門から本堂 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2022-2-18
実相寺の本堂前の池田こみち(左側の大木は泰山木:タイサンボク) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-2-18 実相寺の庫裏 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2022-2-18 概要
※注)一塔両尊四士とは 日蓮聖人は佐渡流罪中にはじめて曼荼羅本尊をお書きになった。 これを「始顕本尊」という。中央に南無妙法蓮華経と書かれた画 幅の掛け軸のことである。この画幅のことを曼荼羅本尊というが、 「ご本尊さま」と略称している。画幅に図式された釈尊などの仏・ 菩薩・鬼子母神さまを木像でおまつりすることもある。多くは祖師 の木像が主となっている。日蓮宗は迫害の歴史を刻んでいました ので、すぐに持ち出しができることが必要。そこで、考えられたの が一塔両尊の木像形式にして、四菩薩を加えることだったと思わ れる。一塔とは、法華経の宝塔品に説かれている、多寶仏が入ら れている塔のことをいう。...より詳しくはこちら 歴史 実相寺(じっそうじ)は、神奈川県鎌倉市材木座にある日蓮宗の寺院。山号は弘延山。旧本山は玉澤妙法華寺。潮師法縁。 実相寺の境内は、鎌倉時代の武将工藤祐経の屋敷跡で、文永8年(1271年)に、日蓮の弟子・日昭が、日蓮が佐渡にいる間に一門の教化・統率の拠点として開いた濱土法華堂がはじまりとされ、日蓮入滅後の弘安7年(1284年)に濱土法華堂を寺とし、法華寺としたのが始まりである。 現存する本堂は、明治初年の火災の後に再建されたものである。 本尊の一塔両尊四士は、南無妙法蓮華経の七字題目が刻銘された一塔の周りに、釈迦如来・多宝如来の両尊、四菩薩がまつられたものである。本堂右手奥の墓地には日昭上人墓が遺されている。 立正安国論と実相寺 日蓮が文永6年(1269年)に筆写したとされる本が法華経寺にあり(国宝)、他にも直弟子などによる写本が多数伝わる。更に真言密教批判などを加えた増補本(「広本」)が本圀寺にある。 正嘉年間以来、地震・暴風雨・飢饉・疫病などの災害が相次いだ。当時鎌倉にいた日蓮は、前年に撰述した『守護国家論』に続けて、政治・宗教のあるべき姿を当時の鎌倉幕府において事実上の最高権力者である北条時頼に提示するために、駿河国実相寺に籠って執筆した。 後にこの書を持参して実際に時頼に提出している。 寒椿の蕾 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2022-2-18 以下の俳句は、佐渡に流罪となった日蓮を弟子たちが鎌倉で待つ思いをうたったものと思う。別途、日朗は何度となく、単身佐渡に渡り三昧堂などで日蓮に会い話をしている。 実相寺 境内 |