上州吾妻の城跡 鎌原城跡 青山貞一 池田こみち 鷹取敦 September 25 2015 Alternative Media E-wave Tokyo 無断転載禁 |
下の地図は、2015年10月10日、長野県長野市松代にある真田宝物殿という資料館の壁にあった地図に、主要な城跡の名称を入れたものです。時代状況は鎌倉、室町時代そして戦国時代を中心とし江戸時代の一国一城令にまでわたっています。
なお、以下は山城についての解説です。今回、紹介する群馬県吾妻の鎌原城、羽根尾城、岩櫃城はいずれも山城ですので、最初に説明しておきましょう。
地図には大きな字で左側(西側)に上田城、そして海津城(松代城)があり右側(東側)に沼田城があります。上田城は長野県(信州上田藩)、松代城は長野県(信州松代藩)、そして沼田城は群馬県(上州、沼田藩)にあります。 長野市松代にある真田宝物殿にあった地図の上に主要城を明記 私達、環境総合研究所(東京都目黒区)の保養所は上の地図の丁度真ん中、吾妻地域の鎌原城の南にあります。この地は、江戸時代の天明三年の浅間山大噴火により地域全体が壊滅的な影響、被害を受けた場所ですが、著名な寺院や神社はもとより、小さな寺院や神社もほとんど存在していません。そんなこともあり、保養所をもって10年以上、吾妻地域には城はないものと思っていました。 ところが、ひょんなことから保養所のそばに鎌原城跡があることを知り、2015年9月に、青山、池田、鷹取の3人で探索に出かけてみました。場所は、鬼押しハイウェーの嬬恋郷土資料館前を左折、少し行ったところに車を置き、1000mほど北に向かってキャベツ畑を歩いた場所です。 下はグーグルマップの衛星地図上に場所を示したものです。 鬼押しハイウェーを嬬恋郷土資料館の前で細い農道に入り、少し行ったところに自動車を駐車し、そこから徒歩でキャベツ畑の中を約1000m程北側に歩きます。 撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900 2015-9-21 下はキャベツ畑を左側に見ながら北に歩いている写真です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-9-21 高圧電線の鉄塔がひとつの目安です。先に鉄塔が見えます。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-21 キャベツ畑の先に鉄塔が見えてきました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9 鉄塔の近くに来ました。もう少しです。石碑はいずれも農道に右側の林の中にあります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-21 林に入りかけるところです。 撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900 2015-9-21 もう少し先に行くと史蹟の標識があります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-21 さらに鎌原城三の丸の標識があります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-21 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-21 そのあと、林の中に六文銭の紋と「霊城」という石碑があります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-21 石碑前の青山です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-9-21 下は石碑前の池田と鷹取です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-21 鎌原城趾の解説 撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900 2015-9-21 下は嬬恋村教育委員会による鎌原城趾の概要です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9 下は「上信古城探訪」から転載した鎌原城の時代背景と推移です。
なお、鎌原幸重は戦国時代の武将で甲斐武田氏の家臣です。そして真田幸隆の弟・鎌原幸定の子・宮内少輔幸重の子でもあります。 鎌原幸重は真田家の家臣ではなく、甲斐武田家の家臣として仕え、天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いで戦死しました。 なお、鎌原氏の詳細については以下をご覧ください。 ※鎌原氏、六文銭(滋野氏流海野氏族) 一角に下の写真のような立派なパゴダのような石碑がありました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-21 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-9-21 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-21 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-21 下は城があった台地の北側の先端です。標高が890mほどあるので見晴らしはすばらしいです。 撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900 2015-9-21 下は鎌原城があった台地の先頭部分です。後述するようにこの辺の標高は890mもあり、見晴らしも上の写真のように良いので、テレビや携帯(スマホ)の無人の中継所がありました。下はそれらの写真です。 テレビや携帯(スマホ)の無人の中継所 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-21 ◆現地調査と解析に基づく鎌原城の輪郭 下は想定される鎌原城周辺の地形です。最後標高は約890m、吾妻川の西窪は約770mで120mもの標高差があり、自然の要塞となっていたものと思われます。 想定される鎌原城周辺の地形 イメージ図:青山貞一 下はヤフー地図による標高の確認です。城の南から北、さらに崖下の西窪の各点の標高をプロットしています。 出典:ヤフー地図 出典:ヤフー地図 なお、下の写真は西窪から鎌原城があった崖側を写した写真です。高さは約120mあります。 実はこの西窪にはスーパーマーケットがあり、北軽井沢の別荘に行く度に食材をそのスーパーで購入しています。下の写真は国道144号線沿いのスーパー前で撮影した断崖です。軌道はJR吾妻線です。 西窪地区から断崖を望む 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月 下は西窪のもう少し離れた場所から撮影した断崖です。私達はこの景観をトルコのカッパドキアに似ていることから西窪のカッパドキアと呼んでいました。 実はその上に鎌原城があったことになります。 西窪地区から断崖を望む 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月 つづく |