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上州吾妻の城跡

岩櫃山麓・潜龍院跡

青山貞一   池田こみち   鷹取敦

September 25 2015
Alternative Media E-wave Tokyo
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上州吾妻の城跡 2015-9-20
◆上州吾妻の城跡: 鎌原城跡 ◆上州吾妻の城跡: 岩櫃城跡@
◆上州吾妻の城跡: 羽根尾城跡 ◆上州吾妻の城跡: 岩櫃城跡A
◆上州吾妻の城跡: 浅間酒造観光センター ◆上州吾妻の城跡: 岩櫃神社
◆上州吾妻の城跡: 岩櫃山麓・潜龍院跡 ◆上州吾妻の城跡: 吾妻神社

 さくら亭での美味しい食事の後、私達は国道145号線バイパスで東吾妻町に向かいます。

 下の写真はその途中です。JR吾妻線そして国道145号線バイパスの鉄橋を通過する直前で撮影したものです。いずれも八ッ場ダム事業の一環として新設された橋梁です。


JR吾妻線そして国道145号線バイパスの鉄橋を通過する直前で撮影
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-12

 下のグーグルマップでは左端にJR吾妻線の羽根尾駅があり、右側に行き先の郷原駅があります。この区間はまさに八ッ場ダムの建設現場がつづく場所でしたが、現在はダムの本体工事以外が終了しています。

 地図上、真ん中から左が群馬県長野原町、右が群馬県東吾妻町となります。


地図上、真ん中から左が群馬県長野原町、右が群馬県東吾妻町
出典:グーグルマップ

 下は国道145号線を東吾妻町まで行き、JR吾妻線の郷原駅の踏切を渡るところです。郷原駅は他の多くのJR吾妻駅同様、無人駅です。郷原駅には上り、下りの軌道がありますが、単線です。


JR吾妻線の郷原駅の踏切を渡るところ
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-12

 道なりに少し行くと、すぐに下の写真にある岩櫃山が見えてきました。それにしても岩櫃山は聞きしに勝る奇岩の山です。よく妙義山と比較されますが、規模は別として、確かに甲乙付けがたい岩山です。

 ただし、岩櫃山のこの素晴らしい雄姿を見れるのは、この郷原駅ルートだけで、もうひとつの原町ルートでは、まったく見れません。


岩櫃山は聞きしに勝る奇岩の山
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-12


岩櫃山のこの素晴らしい雄姿を見れるのは、この郷原駅ルートだけ
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-10-12

 下は岩櫃山を撮影している池田です。岩櫃山を見ると誰でも写真を撮りたくなります(笑い)。


岩櫃山を撮影している池田
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-12

 ここは、岩櫃山登山口でもあり、登山者用の無料駐車場があります。


岩櫃山登山口でもあり、登山者用の無料駐車場があります。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-12

 私達は今回、岩櫃山登山は目的ではありませんが、下は岩櫃山登山の登山案内です。

 岩櫃山は垂直に切り立った郷原側から直接登ることはできず、裏側から登ることになります。


岩櫃山登山の登山案内
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-12

 私達は郷原駅側から下の案内にあります潜龍院跡を目指します。


潜龍院跡への案内板
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-12


潜龍院跡に向かい登る
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-12

 群馬の山間部では、たえず、熊の出没に注意という看板があります。以下は吾妻町の立て看板です。


群馬の山間部では、たえず、熊の出没に注意という看板があります。
撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-10-12

 ここで岩櫃山が見える開けた場所がありました。なかなかど迫力ある岩櫃山です。


なかなかど迫力ある岩櫃山
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-10-12

 この後、すばらしい竹林を通過します。


すばらしい竹林を通過します。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-12


潜龍院跡後に到着
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-12

 すると岩櫃山自然探勝路という標識があり、下には赤岩通り、山頂行きの標識もあります。


岩櫃山自然探勝路という標識
撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-10-12


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-12

◆潜龍院跡・武田勝頼を迎えようとした御殿跡

 戦国時代の天正十年(1582)三月、甲斐の武田勝頼は織田・徳川の連合軍に攻められていました。軍議の席上、真田昌幸は岩櫃城に勝頼を迎え入れ、武田の再挙を図ることを提案して許されました。昌幸は急ぎ、帰国し、岩櫃山南面のこの地に勝頼を迎えるための御殿(現在は石垣が残るのみ)を三日間で造ったと言われています。

 しかし、勝頼は吾妻の地に来ることがかなわず天目山で自刃してしまいました。このときに勝頼が吾妻に赴いていたならば、この戦乱の舞台として時代の中心的立場に置かれていたことも十分に推測されます。

 急造された御殿は昌幸の一族である根津潜龍院と称して明治にいたり、明治17年にその護摩堂が原町顕徳寺の本堂となっています。

岩櫃城の概要

 本丸跡は、この地より北東側直線で約750メートル、岩櫃山の東面に南北朝のころ築城されたといわれています。城郭の規模は136ヘクタールと上州最大規模を誇り、真田支配下の城として武田領内の三堅城と称されました。

 城主は吾妻氏、斉藤氏と続き、永禄6年(1563)武田信玄の家臣真田幸隆の支配下隣、真田の城として吾妻郡統治の中心的役割を果たしましたが、徳川家康が発した一国一城令(元和元年1615)によりその姿を消しました。

                                    東吾妻町観光協会

 戦国時代の天正十年(1582)三月、甲斐の武田勝頼は、織田と徳川の連合軍に攻められ存亡の危機に瀕していた。上原城で行われた軍議の席上、真田昌幸は武田領の三堅城の一つ、岩櫃城に勝頼を迎え入れ武田家の再挙を図る事を提案し許されました。

 二月二十八日の早朝、真田昌幸は諏訪をたち、その日のうちに岩櫃に到着します。

 そして直ちに浦野大戸、鎌原、植栗、湯本、池田の諸士を集めて、日夜工事を急ぎ三日目に岩櫃城の搦め手の古谷に御座敷付書院が出来上がったのです。これが今に残る石垣の上に造営された潜龍院です。

 甲州から勝頼が小山田の策を入れ郡内の岩殿城へ向かったとの報告がありました。昌幸は驚いて兵二千五百の騎馬を率いその夜のうちに上田に着陣しましたが、何と武田勝頼は天目山で自刃してしまい献策は叶う事無く終わってしまったのです。

 その後この御座敷付書院は昌幸の一族、祢津、潜龍斎昌月に下げられ、昌月はこの御殿跡に山伏寺として潜龍院を建立したのです。この寺は天和二年(1616)に炎上したのですが再建されます。明治に入り潜龍院は廃寺となりますが、護摩堂は近くにある原町顕徳寺に移されたと伝えられています。

 東西400mにも及ぶ広大な平坦地の北側山寄りに高さ2mの石垣が残っています。ここが潜龍院の跡地です。ここに勝頼を迎えるための御殿が突貫工事で進められ建てられたということになります。この潜龍院跡は岩櫃城へ東へ約1kmの位置にあり、古谷集落からの登路には巨岩が城門のように立ち並び正に天然の要害城であると言えます。

 下が潜龍院跡の石垣です。造営後、500年以上経っています。この上に真田昌幸は武田領の三堅城の一つである岩櫃城に勝頼を迎え入れるために御座敷付書院をわずか3日間でつくったのです。しかし、実際には武田勝頼は到着前に自刃してしまいました。


潜龍院跡の石垣
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-12

 高いところに登りたがる池田さんが潜龍院跡の石垣に登っています。さすがです(笑い)。


潜龍院跡の石垣
撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-10-12

 潜龍院跡の石垣がある場所からも岩櫃山が見えます。

 絵になる風景ですね!! 潜龍院跡の石垣もしっかりと写し込まれています。

 もう少し秋が深まった季節に来ると、秀逸な紅葉が見えると思います。


潜龍院跡の石垣がある場所からも岩櫃山が見えます。
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-10-12


潜龍院跡の石垣がある場所からも岩櫃山が見えます。
撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900  2015-10-12

 潜龍院跡の石垣がある一帯は下の写真にあるようにまるで桃源郷のように素晴らしい自然があります。この日は素晴らしい好天、まさに桃源郷は希有なみどりの絨毯となっていました。


まさに桃源郷は希有なみどりの絨毯となっていました。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-12

 桃源郷の一角に小高いマウンドがありました。おそらく土塁でしょうが、古墳のようにも見えました。鷹取さんがすぐに登っています(笑い)。


桃源郷の一角に小高いマウンドがありました。
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-10-12

 桃源郷のはずれに、ひっそりと墓地がありました。如意輪観音のように頬杖をついて片膝を立てたリラックスした石像です。


如意輪観音のように頬杖をついて片膝を立てたリラックスした石像
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-10-12


つづく