上州吾妻の城跡 岩櫃山中腹・岩櫃城跡@ 青山貞一 池田こみち 鷹取敦 September 25 2015 Alternative Media E-wave Tokyo 無断転載禁 |
かくして、2015年10月12日、私達はこの日のメイン、岩櫃城跡に向かいます。 下は岩櫃山と岩櫃城に行くための全体案内地図です。 地図中左下に郷原駅があり、右下に群馬原町駅があります。郷原駅側と長野原町駅側それぞれに駐車場はありますが、両方を車で結ぶルートは、国道145号線しかありません。下の地図のJR吾妻線と平行して走る茶色の実線、国道145号線です。 そのためには大戸口から地図の中央にある一本松登山口の駐車場を目指すことになります。一本松駐車場のそばにある岩櫃山登山口から徒歩で本丸跡まで歩くのです。 出典:東吾妻町観光協会パンフ そこで、JR吾妻線の郷原駅近くから岩櫃山の山麓にある潜龍院跡を視察した私達は、岩櫃城跡に行くために、一旦郷原駅に戻り、JR吾妻線の群馬原町駅近くにある大戸口まで国道145号線を車で走りました。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-10-12 大戸口は国道145号線で郷原駅から二つ目の信号で左折します。その後、JR吾妻線に平行して郷原駅側に戻って行くと、大きな貯水池があります。下の地図に左下に貯水池が見えます。 出典:グーグルマップ 下が貯水池です。進行方向、貯水池を左に見ながら道なりに進むと、岩櫃城を経由して岩櫃山に登山する登山口に出ます。 貯水池 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-10-12 登山口辺りの標高は以下にあるように、511mと結構あります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-10-12 下が登山口にある岩櫃山登山口休憩所です。休憩所は駐車場のすぐ隣にあります。 ここにさまざまな岩櫃山・岩櫃城跡に関係する無料のパンフレット、地図がたくさん置いてあります。 休憩所、岩櫃山・岩櫃城跡に関係する無料のパンフレット、地図があります 撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900 2015-10-12 この後、下の写真にあるように、岩櫃城本丸跡まで約500mをトレッキングすることになります。 撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900 2015-10-12 最初の目安は、中城跡です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-10-12 下は地形図に岩櫃城の主要部分を書き入れたものです。本丸から殿邸にかけては標高線が密集しており急勾配であることが分かります。当時は本丸と中城の間に二の丸がありました。 撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900 2015-10-12 撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900 2015-10-12 次は二の丸跡です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-10-12 撮影:鷹取敦 Nikon Coolpix S9900 2015-10-12 曲輪(くるわ)は、城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称です。郭(くるわ)とも書きます。 主要な曲輪内には、曲輪の出入り口である虎口を封鎖する門を始め、最前線の塀、物見や攻撃を与える櫓が建てられます。主郭では司令本部となる城主の居所のほか、兵糧を備蓄する蔵、兵たちの食事を仕込む台所などの建造物が建てられていました。戦時、それぞれの曲輪には守備を担当する兵たちが駐屯していました。 さらに本丸の堅堀跡に向かいます。 堅堀とは、山城で自然地形の斜面に上下方向に設けた堀を意味します。その多くは攻城軍が斜面を横に移動しにくくするために設ける堀と言えます。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-10-12 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-10-12 下は本丸の堀切です。まさに自然の要塞の中核をなす堀切です。 堀切は、主に外敵の侵入防止のため城や城の周囲に人工的に開削された溝(堀)の一種です。写真で右上が本丸跡です。かなりきつい傾斜の堀切となっています。 岩櫃城本丸跡に残る堀切 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-10-12 つづく |