アンコール遺跡群現地調査報告 アンコール・トム(Angkor Thom) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2019年2月24日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
アンコール遺跡全体目次 <アンコール・トム> アンコール・トム 南北門 東西門 王宮 ピミアナカス バイヨン1 バイヨン2 バイヨン3 バイヨン4 象のテラス1 象のテラス2 象のテラス3 ライ王のテラス1 ライ王のテラス2 ライ王のテラス3 プラサット・スゥル・プラット クリアン1 クリアン2 バプーオン1 バプーオン2 アンコール・トムの敷地は広大です。正方形の敷地一辺が3kmもあり、移動は自動車、トウクトウク、バイク、自転車で行います。アンコール・トムの敷地内は車が通れる道路があり、その道路を使います。 一般的な見学、視察コースは、南大門から入り、バイヨン、ピミアナカス、バープオン、象のテラス、ライ王のテラス、クリアンで最後に勝利の門となり勝利の門からアンコール・トムの外に出ます。 ◆アンコール・トム(Angkor Thom) 全体概要 アンコール・トムはカンボジアのシエムレアプ州にあるアンコール遺跡群の1つです。 名称は「大きな都」の意味をもっています。現存する遺構は 13世紀初頭にジャヤヴァルマン7世により第4次のアンコール王国の首都として造営されたものです。 周囲を1辺 3kmの城壁で正方形に囲み,合計5つの門をもっています。中央には世界の中心と見立てたバイヨンの仏塔がそびえ,その北側にはもともとは王宮がありました。 その後、王宮はバイヨンの西側に移っています。 13世紀末ここを訪れた中国,元朝の周達観の『真臘風土記』には,この都城の盛況が記されています。 参考:ブリタニカ国際大百科事典 アンコール遺跡・寺院地図 下の地図はアンコール・トム内部の伽藍配置を示しています。 アンコール・トムと5つの門の拡大図 ◆アンコール・トム全体概要2(Wikipedia) アンコール・トム (Angkor Thom) は、アンコール遺跡の重要なひとつで、アンコール・ワット寺院の北に位置する城砦都市の遺跡です。周囲の遺跡とともに世界遺産に登録されています。 「アンコール」は、サンスクリット語のナガラ(都市)からでた言葉。また「トム」は、クメール語で「大きい」という意味をもっています。 なお、アンコール・トムは王宮、バイヨンはじめ、5つの門、ライ王のテラス、象のテラス、ピミアナカス、パープオン、クリアン等の伽藍から構成されており、本稿ではアンコール・トムの全体概要とは別に、その順に沿って伽藍それぞれの解説します。 アンコール・トムのバイヨン Source:Wikimedia Commons 特徴 アンコール・トムの遺構にはヒンドゥー教と大乗仏教の混淆が見られますが、都市建築の基本はヒンドゥーの宇宙観を基に成り立った古代インドの建築理念の影響が見られます。 中央に世界の中心である山岳メール山を象徴するバイヨン (Bayon) 寺院があります。 その周囲にも象のテラスやライ王のテラス、プレア・ピトゥなどの遺跡も残っています。 アンコール・トムは約3キロメートル四方の京城であり、幅100メートルの堀と、ラテライトで作られた8メートルの高さの城壁で囲まれています。 外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門でつながっています。各城門は塔になっていて、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施されています。また門から堀を結ぶ橋の欄干には乳海攪拌を模したナーガになっています。 アンコール・トムの南大門 Source:Wikimedia Commons またこのナーガ(蛇)を引っ張るアスラ(阿修羅)と神々の像があります。 京城の外の東西には、大洋を象徴するバライと呼ばれる巨大な人工の池があります。 ◆アンコール・トムの歴史 889年に即位したヤショヴァルマン1世は、現在の東バライとアンコール・トムの南半分を含む地域に王都ヤショダラプラを建設しました。 その後ヤショダラプラは一旦放棄されますが、944年に即位したラジェンドラヴァルマン2世は再びアンコールに遷都し、東バライの南にプレ・ループ寺院を建設しました。 1006年に即位したスーリヤヴァルマン1世は、現在のアンコール・トムとほぼ同じ位置に新王宮と護国寺院ピミアナカスを建て、西バライを建設しました。 12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世により現在のアンコール・トムが建設されたといわれています。 南北門につづく アンコール遺跡全体目次 |