エントランスへはここをクリック   

アンコール遺跡群現地調査報告

アンコール・トム

バプーオン1
(Baphuon)


青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2019年1月24日公開
独立系メディア E-Wave Tokyo 
無断転載禁
アンコール遺跡全体目次

<アンコール・トム>
アンコール・トム
  南北門   東西門  王宮  ピミアナカス
バイヨン1  バイヨン2   バイヨン3   バイヨン4
象のテラス1  象のテラス2   象のテラス3 
ライ王のテラス1  ライ王のテラス2  ライ王のテラス3
プラサット・スゥル・プラット
 クリアン1  クリアン2 バプーオン1 バプーオン2


◆バプーオン1(Baphuon)

 バプーオン(Baphuon)は、カンボジアのアンコール遺跡にある寺院の1つであり、アンコール・トムにあるバイヨンの北西に位置しています。

 11世紀中頃の1060年頃、ヒンドゥー教の神シヴァに捧げられ、ウダヤーディチャヴァルマン2世(在位1050-1066年)の国家的寺院として築かれました。3層からなる山岳型(ピラミッド型)寺院で、バプーオン様式の原型です。


アンコール遺跡・寺院地図                                             

アンコールトムとバーブオンの位置

 以下は、グーグル衛星写真でみたバーブオンです。


バプーオンの位置    出典:グーグルマップ


バプーオンの位置  出典:グーグルマップ


バプーオンの位置  出典:グーグルマップ

 以下はバプーオンの外観写真です。


Baphuon. Angkor Thom, Siem Reap Province, Cambodia.
Source:Wikimedia Commons


ウダヤディチャヴァルマン(Uaphadityavarman)2世の治世中に砂岩で建てられた11世紀の半ばに遡る3階建てのバプーオン・シヴァイテ寺院の山の東側ファサード。16世紀には、寺院は西側ファサードの上に大きな仏層を建てるための採石場として機能しました。 EFEOは1960年にこの寺院の修復を開始し、2011年に完成しました。戦争により1970年から1992年の間は中断していました。崩壊、植生の侵入、クメール・ルージュによる建築敷地の遺跡の破壊、地下室の不安定性、壁の変形、水の浸入、時間の経過による改造、地下室の補強など、困難なことは無数にありました。目に見えないように後背部に鉄筋コンクリートの支柱で支えて補強しました。この目的を達成するために、すべてのファサードをいったん別の場所に除けて作業しました。(意訳)
Source:Wikimedia Commons

 以下はバプーオンの遠景写真です。


バプーオン、アンコール・トム、シェムリアップ州、カンボジア
Source:Wikimedia Commons


◆バプーオンの構成

 バーブオン寺院は、王宮の周壁の南側に隣接し、東西425メートル、南北125メートルにおよぶ砂岩の周壁に囲まれています。王宮前広場の南端にあるその東塔門から長さ200メートル、橋脚の高さ約1メートルの参道が内側の塔門に向かって延びています。

 途中に十字形のテラスがあるこの参道は、3列に並ぶ円柱の橋脚とともに、ほとんど崩壊していましたが、フランス極東学院 (EFEO) によって修復されました。

 須弥山(メル山)を象徴する山岳型寺院であり、その基盤は東西120メートル、南北100メートルにおよびます。3層の基壇の上は回廊で囲まれ、中央祠堂が1基あります。高さは34メートルでありますが、およそ50メートルの高さに至る塔があったとされます。


バプーオン寺院平面図
Source:Wikimedia Commons

 その特徴のある外観は、13世紀末、元の皇帝・成宗の使節であった周達觀が1296年から1297年にかけて訪問した際の『真臘風土記』に記され、「銅塔一座(バプーオン)があり、金塔(バイヨン、高さ45メートル)に比べて更に高い」とあります。また、この「銅塔」から、もとは銅葺きであったとも考えられます。

 15世紀後期、バプーオンは仏教寺院に改められ、長さ70メートル、高さ9メートルの涅槃仏像が西側の第2層に建造されましたが、おそらくそれには以前8メートル以上におよんだ塔を取り壊す必要があったことが、現在その塔がない理由とされています。

 バプーオン寺院は砂に覆われた敷地に建造され、またその巨大な規模によって、その立地は寺院の歴史を通して不安定でした。大部分はおそらく寝釈迦像が付け加えられた頃にはすでに崩壊していました。

◆バプーオンの修復


修復された円柱の橋脚と参道
Source:Wikimedia Commons

 20世紀には、寺院の大部分がほとんど崩壊しており、また、1920年代の修復の取り組みはその後問題をみせました。1960年にフランスの考古学者ベルナール=フィリップ・グロリエのもとで始まった取り組みは、クメール・ルージュが勢力を得ることにより1972年に中断され、石材の位置についての記録は失われました。

 1994年2月、再びフランス極東学院 (EFEO) の考古学者チームにより修復が開始されました。修復の継続中は訪問者の入場を制限していましたが、 2010年11月になって、部分的な訪問者の入場が、中央の建造物を除いて再び許可されました。

 2011年4月、1960年より51年を経て、考古学者らは寺院の修復を終えました。カンボジアの国王ノロドム・シハモニとフランスの首相であったフランソワ・フィヨンはともに、2011年7月3日の公開式典において復元された寺院を最初に見学しました。

 一般公開も開始されましたが、観光客が転落したことより、安全面に関する検証のため一時閉鎖され、その後同年11月14日に一般訪問者の入場が再開されるようになりました。


バプーオン2 につづく       アンコール遺跡全体目次