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真夏の嬬恋村探訪
D山伏の拠点、
門貝の熊野神社

青山貞一 池田こみち

31 August 2010
独立系メディア「今日のコラム」
無断転載禁

●特集:真夏の嬬恋村探訪 2010.8.17-8.21
@パノラマラインとウルグアイラウンド  
Aパノラマラインからの秀逸な自然景観
Bひっそり鄙びた中山間地、門貝 
C門貝、それは上信両国を繋ぐ拠点
D山伏の拠点、門貝の熊野神社
E干俣地区の小さな観音堂、円通殿   
Fパノラマライン北の4つの硫黄鉱山跡
G吾妻川の特異な地形ー断崖と渓谷

 さて、<門貝>には由緒ある熊野神社が西窪から万座川沿いに林道を北上すると、パノラマラインと交差する「くまの大橋」の少し前にポツンとある。標高は900〜1000mの範囲にある。


熊の神社の位置
出典;グーグルマップにより筆者が作成

 なんでもこの道筋に熊野神社が祀られるようになったのは、鎌倉時代のころ、今から680年も前の文保3年(1319年)のことだそうだ。 


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月16日


 元嬬恋村郷土資料館の館長、松島榮治氏はその講演で熊野神社について次ように述べている。 
「熊野神社の背後の急峻な斜面に岩窟がある。この岩窟の壁面には、諸仏の尊像を表すとされる“種子(しゅじ)”が、梵字(古代インド文字)で刻まれている。正面にあたる壁面には大日如来を示す種子が、左壁には仏種子の下に「□保三年大才己未□月上旬」、右壁の仏種子の下には「太郎」と達筆に記している。 また、神社の境内入口にある高さ3メートルもの巨石の上面には雄勁な筆法で、弥陀三尊と他に二仏の種子が刻まれている。巨大な板碑に見合うもので岩窟遺構と何らか関係を有するものであろう」

 下はその神社境内の入り口にある3mもの巨石である。その前に史跡の解説があり、松島榮治氏の講演内容に類する説明があった。


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月16日

 
下の写真は、くまの大橋から見た門貝鳴尾の熊野神社方面。深山幽谷にある。


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月16日

 残念なら熊野神社の背後の急斜面にある岩窟まで行き着けなかったが、林道沿いから石の階段を50段ほど登ると神社の屋代があった。熊野神社は、熊野三山の祭神の勧請を受けた神社である。同名または熊野社・十二所神社など類似の社名の神社が全国各地にある。

 熊野神社は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の祭神を勧請された神社のことである。熊野詣の盛行や有力者による荘園の寄進、熊野先達の活動により全国に熊野信仰がひろまったことにより、全国に熊野三山の祭神を勧請した神社が全国に成立した。熊野三山の祭神たる熊野権現は、その主祭神である熊野三所権現だけでなく、十二所権現をも含んでいる。全てを含めて熊野神社とした場合、その数は三千余に達するという。

 熊野神社を本社とする信仰は、平安時代の末から盛んとなったが、その頃、熊野は山岳に籠って修業することを目的とする修験道の霊場としても知られていた。また、その信仰は、熊野御師(山伏)とされる人たちによって、各地へと広められたという。門貝の地は、まさに山岳に籠って修行する山伏にぴったりの場所であったと言える。


 
歴史上、熊野の地名が最初に現れるのは日本書紀の神代記で、神産みの段の第五の一書に伊邪那美命が死んだとき熊野の有馬村(三重県熊野市有馬の花窟神社)というところに葬られたという記述があるように近畿地方である。

 このブログの前号で見たように、門貝の地は、信州と上州を結ぶ毛無道の道筋にあたる通行上の要所でもあり、近畿の熊野神社を信州から上州に伝えるひとつの拠点に門貝の地がなったともいえる。

 門貝という地は、吾妻山(四阿山)、白根山など深山幽谷の霊地を控えている。そんな門貝の地に熊野御師(山伏)のひとつの拠点が設置されたわけだ。そして熊野神社がこの地に分社されたの
であろう。 

 
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月16日


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月16日


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月16日


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月16日

 
門貝にある熊野神社にはスギの大木がある。これを鳴尾の熊野神社大スギとよんでいる。


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月16日

 
松島榮治氏は大スギについて、以下のように述べている。 「門貝鳴尾の熊野神社境内にある“サカサスギ”は、弘法大師がこの地を訪れた際、使用していた杖をさしたところ根が生え、逆さに育ったと言う伝説をもつ。目通りの幹囲約8.5メートル、高さ約36.6メートルの巨木で、天に向かって伸びる幹は堂々として力量感に溢れている。また、下枝が垂れ下がり各所に気根がみられる。その樹齢は、社殿背後の岩窟(奥の院)に刻まれた「文保3年」(1319)の銘から、少なくとも六百数十年を経たものと推定され、深山の厳しい環境の中に住む神仙の風貌を彷彿させるものがある」


門貝鳴尾の熊野神社境内にある大スギ、“サカサスギ”
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月16日


門貝鳴尾の熊野神社境内にある大スギ、“サカサスギ”
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月16日


門貝鳴尾の熊野神社境内にある大スギ、“サカサスギ”
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月16日


門貝鳴尾の熊野神社境内にある大スギ、“サカサスギ”
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月16日

 
群馬県内で国・県・市町村で天然記念物として指定されているスギは16件あるがが、そのなかで門貝鳴尾にある熊野神社の大スギは、榛名神社にある国指定の”矢立スギ”に次ぐ巨木である。この大スギは、裏日本の自然スギの性質をあらわすものとして学問的に見てもも貴重なものといえるという。

 松島榮治氏は、「樹齢六百数十年の熊野神社の大杉は、地域の入々と喜びや苦しみを分かち合いながら共存し今日に至っている。長い歴史の創造者なのである。また、嬬恋村の自然環境の豊かさを示すものとしても重要であり、昭和31年県指定天然記念物となった
とも述べている。

つづく