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パノラマライン北ルートの門貝を通過する。途中、鳴尾大橋がある。<鳴尾>は門貝地域の一部である。この橋の下を流れるのはカブリチョ沢である。 鳴尾大橋 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月 この橋梁も<くまの大橋>同様、大きな鉄筋コンクリートの橋梁である。それにしてもあいかわらず対向車はまったく来ない。ウルグアイ・ラウンド対策でつくったというパノラマラインだが、いまだ主要な地図にも名称が掲載されていない道路となっている。しかし、現物はこのようにそこいらにはない<立派なハコモノ>である。 それもこれも総理大臣を多数出してきた群馬県ならではのことなのだろう! 鳴尾大橋 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月 鳴尾大橋 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月 パノラマライン北ルートを干俣、門貝、鳴尾と走り、さらに東に向かって走破する。そして下の写真のように万座ハイウェーの下をくぐる。不思議なことに、ここには道路の立体交差となっているものの、上下の道路をつなぐ道が一切ない。 理由は簡単、万座ハイウェーは距離の割には高額の料金を取っている。一般道路であるパノラマラインからただ乗りされては困るということだろう。しかし、鬼押しハイウェーや万座ハイウェーのような地方の有料道路こそ、優先して無料化すべきである。もともと大した交通量がない地方の有料道路は、有料であるが故に何カ所かに料金所をもうけ、そこに人を配置する。群馬県北西部でETC化されている地方有料道路は見たことがない。 当然、係員に給与を支払うのだが、めったに来ない車のために人を配置すると費用の方が多くなる。また万座ハイウェーのように国道292号線など代替道路がある場合には、ドライバーはあえて高額の料金を払うことなく一般道路を選択する。結果的に立派な地方有料道路をつくっても利用者は、大都市から来る事情を知らないひとたち、それも土日休日しか利用者がいなくなるという悪循環となっている。 私見では、この種の地方有料道路で年月が経過している道路は、無料化し、より多くの人々に使ってもらってナンボであると思う。 パノラマラインと万座ハイウェーの立体交差。上が万座ハイウェー 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月 万座ハイウェーをくぐり、少し行くとパノラマライン北ルートの左側に下の写真にある<白根林道石津支線起点>という道標があった。この林道は、ここを起点とし、本白根山(もとしらねさん)に繋がる登山道に通ずる道である。本白根山はいわゆる草津白根山の南にある標高2164mの著名な山である。 しかも、車のナビで見ると、この登山道(林道)のどんずまりに石津硫黄鉱山跡地とある。そこで車で上れるところまで上ることにした。 パノラマライン北ルート沿いにある白根林道石津支線起点 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月 ■石津硫黄鉱山跡地をめざす そこで私たちは、下の地図にあるようにパノラマライン北ルートを左折し、本白根登山道を車で上り、石津硫黄鉱山跡近くまで行く。数のブルーの点線は距離にして4kmちょっとである。 本白根登山道ルート 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月 ところで、群馬県嬬恋村には日本を代表する硫黄(いおう)鉱山が4つもあった。いずれも明治から昭和の中頃までに興隆した鉱山である。現在は廃鉱となっている。たとえば上の地図の一番上にある石津硫黄鉱山は、昭和7年に発足し昭和46年に閉山されている。 下の地図に群馬県嬬恋村にあったそれら4つの硫黄鉱山跡地の位置を示す。これらの硫黄鉱山はいずれもパノラマライン北ルートの北側にある。下図ではパノラマラインを<ブルーの太い点線>で入れてみた。 嬬恋村にあった4つの硫黄鉱山の位置。いずれもパノラマライン北ルートの北部にある 出典:グーグルマップをもとに筆者が作成 下は石津鉱山跡周辺の地図である。標高は1500m近くある。私たちは図中赤い↓の場所に車を起き、左のルートを赤い○のところまで歩いて行ったが、石津鉱山跡は本白根山(2100m近くある)に向かう登山道の途中にあった。 本白根山道入り口(起点) 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月 残念ながら今回はせっかく鉱山跡の近くで行けたのに、道を間違えたのと、夏の季節で雑草、樹木が生い茂り、鉱山跡地を見つけることができなかった。 石津硫黄鉱山跡地地図 出典:国土地理院 ごく近くまで行きながら結局あと、一息のところで鉱山跡に行けず、上の地図にある赤い○のところから折り返した。 後でわかったのだが、鉱山跡地は北に向かう本白根山に向かう林道の右側にあった。 下の写真は、駐車した場所から赤い○までの区間を歩きながら撮影したものである。標高は1550-1600mの範囲にある。 石津硫黄鉱山跡地近くの湿地帯 撮影:池田こみち、Nikon CoolPix S10, 2010年8月 石津硫黄鉱山跡地近くにて 撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月 石津硫黄鉱山跡地近くにて 撮影:池田こみち、Nikon CoolPix S10, 2010年8月 上の国土地理院の地図で車を置いた地点から右(東)に行く道がある。これは昭和43年に草津営林署が起工した林道である。地図を見ると、この林道を左側を行くと白根硫黄鉱山まで行くことができそうだ。 白根林道は石津硫黄鉱山跡地を起点としている。昭和43年度に起工 撮影:池田こみち、Nikon CoolPix S10, 2010年8月 実際、白根林道に入っていると、ほとんど人が入った跡はなく、雑草や蜘蛛の巣がたくさん行く手を阻んでいた。 白根林道側にも少し行ってみた 撮影:池田こみち、Nikon CoolPix S10, 2010年8月 ■嬬恋村の硫黄鉱山について 嬬恋村の「硫黄」についてふれておこう。 上州の嬬恋村では、江戸時代の中期に、これまで「拾い硫黄」とか「隠れ掘り」によって小規模に採掘されていた硫黄が、江戸の小松屋藤吉などよそ者が請負人になって本格的な採掘が開始された。 そして江戸後期になると、嬬恋村の大笹の黒岩長左衛門、干俣の干川小兵衛、大前の伝左衛門など、名主クラスの者が請負人となって、地元の稼ぎとしてこの硫黄の採掘が引き継がれた。 さらに幕末期にあっては、周知のように黒船来襲など国内外の情勢が緊張し、火薬や薬種の材料、原料として硫黄の需要が増大した。未曾有の硫黄採掘ブームを巻き起こしたのである。 このように、嬬恋村の硫黄採掘は、日本の歴史と密接にかかわりながら推移してきた。幕末から明治にかけては日本の近代化=工業化を背後から支える。そして第二次大戦後は、戦後の日本経済の復興に大きく貢献したことになる。 しかし、硫黄が石油(原油)を脱硫する際に大量にでることで、硫黄鉱山からの硫黄は経済性がなくなり、、昭和40年代中頃に、全国的に硫黄鉱山は閉山の追い込まれた。これは嬬恋村も例外でなく、石津硫黄鉱山はじめ白根鉱山、吾妻鉱山さらに信州との県境の毛無峠近くにあった小串鉱山すべてが廃山化して行ったのである。 なお、それら嬬恋村の標高1300〜1800mの高山にあった硫黄鉱山は、最盛期には家族、世帯を含め2000人〜3000人規模の人々が鉱山近くに住んでひとつの集落をなしていた。一方、落盤などの事故により多くの犠牲者も出していたようだ。 ■嬬恋村の4つの硫黄鉱山の概要 下は国土地理院の地図に見る他の4つの硫黄鉱山。 ●石津硫黄鉱山沿革 昭和7年 北海道硫黄鰍ノより鉱区が買収、発足(米無鉱床) 昭和15年 精錬施設が竣工、当時は小串鉱山の支山として扱われる 昭和22年 生産設備拡大、石津鉱業所として独立、石津小中学校設立 昭和24年 従業員寮設立 昭和31年 ベルトコンベアーが竣工、坑道からの運搬系統の機械化進む 昭和38年 城山鉱床発見 昭和45年 小串鉱山と一部の設備を統合 昭和46年 閉山 出典:コバルトブルーの鉱泉が湧く廃墟「石津硫黄鉱山跡」探検記 石津硫黄鉱山 ●白根硫黄鉱山の沿革 昭和8年 白根鉱山創業 昭和46年 閉山 本鉱山は文献調査未了 白根硫黄鉱山 出典:国土地理院 ●吾妻硫黄鉱山の沿革 明治41年 吾妻鉱山発見 大正3年 群馬硫黄鰍ェ鉱業権獲得 大正6年 吾妻硫黄鰍ェ鉱業権引継ぎ 昭和11年 鉱山全盛期・当時の硫黄採掘量は国内4位 昭和14年 帝国硫黄鉱業鰍ノ経営権譲渡 昭和16年 吾妻小学校開設 昭和35年 鉱山集落の最盛期・292戸人口1318名 昭和46年 閉山 出典:コバルトブルーの鉱泉が湧く廃墟「石津硫黄鉱山跡」探検記 吾妻硫黄鉱山 出典:国土地理院 ●小串硫黄鉱山の経緯 大正5(1916)大日本硫黄轄h芻z山として採掘開始 大正6(1917)東洋硫黄鰍ノ経営委譲 昭和4(1929)北海道硫黄鰍ェ買い受け 昭和9(1934)尋常小学校小串分教場開校 昭和12(1937)大地滑り発生。死者245名 昭和13(1938)操業再開 昭和15(1940)小串文教場に高等科設置 昭和21(1946)小串鉱業所労組設立 昭和28(1953)毛無隧道貫通。須坂万座間の定期バス運行開始 昭和32(1957)鉱山の最盛期。従業員625名、硫黄生産年間2万3千t 昭和33(1958)希望退職募集。61名の人員整理。 昭和38(1963)小串小・中学校生徒数最高の296名、教師15名 昭和40(1965)村立小串幼稚園新築開始 昭和43(1968)小串地区からの集団移住地「緑丘」宅地造成開始 昭和44(1969)小串小・中学校体育館完成 昭和46(1971)閉山 出典:コバルトブルーの鉱泉が湧く廃墟「石津硫黄鉱山跡」探検記 小串硫黄鉱山 出典:国土地理院 なお、上記の4つの硫黄鉱山については、2010年秋より順次、現地調査を行う予定である。 つづく |