身近な自然の中の日本の美 喜多院・仙波東照宮 4.鐘楼門と慈眼堂 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda November 26 2014 Alternative Media E-wave Tokyo 無断転載禁
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◆鐘楼門と慈眼堂 出典:川越市 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24 ◆鐘楼門 国指定重要文化財 鐘楼門附銅鐘 http://www.tesshow.jp/saitama/kawagoe/temple_kosenba_kita.html > 江戸時代の喜多院の寺域は現在よりも相当広く、当時鐘楼門は、喜多院境内のほぼ中央にあり、慈眼堂へ向う参道の門と位置づけられます。また、上層にある銅鐘を撞いて時を報せ、僧達の日々の勤行を導いたと考えられます。 鐘楼門は、桁行三間、梁行二間の入母屋造、本瓦葺で袴腰が付きます。下層は角柱で正面中央間に両開扉を設け、他の壁面は堅板張の目板打です。上層は四周に縁・高欄をまわし、角柱を内法長押、頭貫(木鼻付)、台輪でかため、組物に出三斗と平三斗を組みます。中備はありません。 正面中央間を花頭窓とし両脇間に極彩色仕上げの雲竜の彫物をかざり、背面も中央間を花頭窓とし両脇間に極彩色仕上げの花鳥の彫物を飾ります。 上層には、元禄15年(1702)の刻銘がある椎名伊予藤原重休作の銅鐘を吊っています。寛永15年(1638)の大火に焼け残ったともいわれますが、細部意匠などから判断して銅鐘銘にある元禄15年頃の造営と考えるのが妥当だと考えられます。 (川越市教育委員会掲示より) 2階建ての階上に梵鐘(ぼんしょう)を吊るすこの鐘楼門は、入母屋造りで本瓦葺。1階には袴腰(はかまごし)と呼ばれる囲いが付き、2階の前面には竜、背面には鷹の彫刻があります。 建立年代ははっきりとしていませんが、寛永10年(1633)に東照宮の門として鐘楼門が建立されたことが「星野山御建立記」の記録にみえます。その頃、仙波東照宮は今の慈眼堂の場所にあり、鐘楼門再建の記録もないことから寛永15年(1638)の川越大火で焼失を免れた可能性もあるといわれています。なお、階上の銅鐘は元禄15年(1702)の銘があります。(国認定重要美術品) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24 ◆慈眼堂 国指定重要文化財 慈眼堂は、慈眼大師天海をまつる御堂です。 天海僧正は、寛永20年(1643)10月2日寛永寺において入寂されました。正保2年(1645)に徳川家光公の命によりこの御堂が建てられ、厨子に入った天海僧正の木像が安置されました。 建物は裄行(けたゆき)3間、梁間(はりま)3間の比較的小さな御堂で、屋根は中央から四方の隅へ流れる宝行(ほうぎょう)造り、本瓦葺(ほんがわらぶき)。小高い岡の上にあり、この丘は7世紀初頭の古墳を利用しています。昭和30年度に部分修理が行われています。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-24 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-24 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-24 つづく |