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増上寺・寛永寺石灯籠等、移築実態調査

(東京都・千葉県・長野県

練馬区 三宝寺

池田こみち Komichi Ikeda
山形美智子 Michiko Yamagata
Marcgh 24, 2015
Independent Media E-wave Tokyo
無断転載禁

調査の目的 D清瀬市 円福寺 2本 I上田市 信濃国分寺
@練馬区 長命寺 E清瀬市 長命寺-2 J君津市 神野寺 2本
A西東京市 東禅寺 F清瀬市 長源寺 K東京都港区 妙定院
B清瀬市 長命寺 3本 G練馬区 道場寺
C練馬区 正覚院 H練馬区 三宝寺
註)寺の名前の後ろにあります本数は論考の頁数です。つづくをクリックすることで進みます。

 2015年3月22日(日)、 午後、池田、山形で自宅近くの練馬区石神井にあります三宝寺を視察しました。この寺にも増上寺の石灯篭があるはずです。

 下のグーグルマップは、石神井公園の真南にあります三宝寺を示しています。


東京都練馬区石神井にある三宝寺
出典:グーグルマップ

 下はこの時期の石神井公園です。


石神井公園の風景
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-22


石神井公園の風景
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-22



◆三宝寺

●三宝寺 東京都練馬区石神井台1-15-6

 三宝寺(さんぽうじ)は、東京都練馬区石神井台にあります真言宗智山派の寺院です。

 山号は亀頂山。(きちょうざん)石神井公園にある三宝寺池の由来になっています。

 石神井不動尊(しゃくじいふどうそん)とも呼ばれています。

歴史

 当寺院は、応永元年(1394年) に鎌倉の大徳寺の幸尊法印によって開かれました。当時石神井城を築き付近を治めていた豊島氏からも帰依を受けていました。

 豊島氏が滅んだあと、後北条氏や徳川家からも保護を受け、発展しました。徳川家光の鷹狩の際に休憩場としても使われ、朱印地十石を与えられ、また無本寺になり格式ある寺院となりました。

 山門は徳川家ゆかりの門ということで、御成門と呼ばれ、現在のものは1827年に建てられたものです。また境内にある長屋門は勝海舟の邸宅にあった門です。
     撮影:Wikipedia

 下は三宝寺の大師堂入り口です。


三宝寺の大師堂入り口     撮影:Wikipedia


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-22

 下は三宝寺の山門、御成門です。山門は徳川家ゆかりの門ということで、御成門と呼ばれております。

 現在の御成門は1827年に建てられたものです。


三宝寺 御成門
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-22

 下の解説プレートには、御成門の説明があります。


三宝寺 御成門
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-22

 下は三宝寺にある長屋門です。この長屋門は勝海舟の邸宅にあった門です。


長屋門
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-22

 下は三宝寺の本堂前の山形美智子です。


三宝寺の本堂前にある寛永寺の石灯籠
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-22

 下は三宝寺の大師堂です。大師堂の前、左右シンメトリーに立派な石灯籠があります。


三宝寺の大師堂
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-22

 下は大師堂のズームアップです。なかなか素晴らしい彫刻があります。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-22

 下は三宝寺の多宝塔で根本大塔といいます。


三宝寺 根本大塔      撮影:Wikipedia

 下も三宝寺の多宝塔で根本大塔といいます。


三宝寺の多宝塔、根本大塔
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-22

 下は三宝寺の鐘楼堂です。秋にはすばらしい紅葉がみられるものと推察します。


三宝寺の鐘楼堂
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-22


三宝寺の鐘楼堂
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-22



◆寛永寺から移設された石灯籠調査報告

 下は三宝寺の本堂前の山形美智子です。左右にあるのはまぎれもなく東京上野、寛永寺の石灯籠です。


三宝寺の本堂前にある寛永寺の石灯籠
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-22

 下は別の角度から撮影した石灯籠です。


三宝寺の本堂前にある寛永寺の石灯籠
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-22


 三宝寺にあった石灯籠は、東叡山寛永寺の長昌院が対になってありました。

長昌院(ちょうしょういん)
 寛永14年(1637年) - 寛文4年2月28日(1664年3月25日))

 長昌院は甲府藩主・徳川綱重の側室で、第6代将軍・徳川家宣の生母です。俗名は保良といいます。

略歴
 長昌院は後北条氏の旧臣・田中勝宗の娘とされてういますが、魚屋の伏見屋五郎兵衛(善兵衛)の娘などとする説もあります。はじめは徳川秀忠の長女・千姫の女中であった松坂局に奉公します。

 やがて綱重に見初められて側室となり、寛文2年(1662年)に虎松(後の徳川綱豊・後に徳川家宣)、同3年(1663年)に熊之助(後の松平清武)を生みます。しかし保良は綱重より7歳も年長で、しかも当時の綱重は摂政二条光平の娘・隆崇院との縁談が持ち上がっていたため、虎松は家老の新見正信が、清武は藩士の越智清重がそれぞれ養いました。

 また、保良は清重に預けられますが、寛文4年(1664年)2月28日に病没しました。享年28です。遺骸は東京都荒川区東日暮里の善性寺に埋葬されましたが、後に家宣が将軍となったため、寛永寺へ改葬されました。

 現在、長昌院の墓碑は谷中(同台東区)の徳川家墓地にあり、善性寺には上野館林藩主となった清武の墓碑があります。

 となれば長昌院の石灯籠は、本来、墓碑がある谷中(同台東区)の徳川家墓地に移設すべきと考えます。


 以下は、徳川家の院です。2 の秀忠以降は、黄が寛永寺、白が増上寺に霊廟があります。

 1 徳川家康  安国院(あんこくいん)   日光東照宮、上野東照宮、芝東照宮、
                           仙波東照宮(川越市)、久能山東照宮など 
 2 徳川秀忠  台徳院(だいとくいん)   増上寺
 
3 徳川家光  大猷院(たいゆういいん)  寛永寺 
 
4 徳川家綱  厳有院(げんゆういん)   寛永寺 
 5 徳川綱吉  常憲院(じょうけんいん) 
 寛永寺
 6 徳川家宣  文昭院(ぶんしょういん)   増上寺 ★
 7 徳川家継  有章院(ゆうしょういん)   増上寺 
 8 徳川吉宗  有徳院 (ゆうとくいん)   寛永寺 
 9 徳川家重  惇信院 (じゅんしんいん) 増上寺
10 徳川家治  浚明院(しゅんめいいん)  寛永寺
11 徳川家斉  文恭院(ぶんきょういん)
  寛永寺 
12 徳川家慶  慎徳院(しんとくいん)    増上寺 
13 徳川家定  温恭院(おんきょういん)  寛永寺
14 徳川家茂  昭徳院(しょうとくいん)   増上寺



本稿はこれで終わり