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増上寺・寛永寺石灯籠等、移築実態調査

(東京都・千葉県・長野県

東京都港区 妙定院

池田こみち Komichi Ikeda

山形美智子 Michiko Yamagata

September 15, 2015
Independent Media E-wave Tokyo
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調査の目的 D清瀬市 円福寺 2本 I上田市 信濃国分寺
@練馬区 長命寺 E清瀬市 長命寺-2 J君津市 神野寺 2本
A西東京市 東禅寺 F清瀬市 長源寺 K東京都港区 妙定院
B清瀬市 長命寺 3本 G練馬区 道場寺
C練馬区 正覚院 H練馬区 三宝寺
註)寺の名前の後ろにあります本数は論考の頁数です。つづくをクリックすることで進みます。

 2015年9月15日、晴天、ひさびさ増上寺を訪問しました。

 今回の訪問目的は、増上寺が年3回、すなわち正月、5月、9月の15日に安国殿において厳修されます黒本尊御開帳・祈願会の最後(9月15日)の参観があります。これは徳川家康公ゆかりの念持仏であった黒本尊阿弥陀如来の御開帳を期に、勝運・家内安全・心願成就・厄除け等、御祈願のお申込みができるため、多くの方方が参加します。

 二つ目の目的は、増上寺にあります現在の経蔵は、1802年に大修復されたものですが、内部の中央には八角形の大輪蔵があります。この経蔵には、徳川家康公から寄進された国の重要文化財、宋版・元版・高麗版の三大蔵経が収蔵されています。この公開が2015年 9月15日(火)10:00〜15:00(雨天中止)ということで、非常に貴重な機会なので、これにも参加することにしました。

 ちなみに6月に韓国の慶州に出かけた2日目に訪問しました海印寺の八万大蔵経にありました教本の印字物がこの増上寺の経蔵にあるのです。ただし、現在は収蔵庫に移管中なので、実物は見られませんが、経蔵内の貴重な輪蔵を見ることができます。

 三つ目は、以前から気になっていました徳川二代将軍徳川秀忠の霊廟、墓所などがあった増上寺南霊屋の跡地を訪問することです。実は第二次世界大戦の東京空襲で増上寺の木造建築物のほとんどは焼けてしまったのですが、そのなかでとりわけ貴重な国宝あるいは国宝級建築物として、台徳院(秀忠の院号)の霊廟があります。この霊廟や宝塔(墓所)があったのが、増上寺の南霊屋でした。

 現在、期間限定で大英博物館所蔵の「台徳院殿霊廟模型」を増上寺地下一階の博物館に展示していますが、その台徳院殿霊廟そのものがあったのが、上記の増上寺南霊屋であったのです。そんなこともあり、現在は芝公園となりの「芝丸山古墳」となっている増上寺南霊屋の跡地を現地視察することも大きな目的でした。

 上記については、別途、報告します。

 ところで、2015年9月15日の午後、上記の3つの目的を達成した後、私達は増上寺のすぐ南にあり、以前から気になっていました浄土宗の妙定院を訪問しました。


妙定院の外観 右側に道路を挟んで増上寺があります
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-8-15

◆妙定院

 浄土宗寺院の妙定院は、徳川家重の導師を勤めた増上寺四十六世妙誉定月大僧正が、家重菩提のため宝暦13年(1763)に創建したといいます。

・妙定院
・妙定院の概要
・院号 妙定院
・住所 港区芝公園4-9-8
・宗派 浄土宗
・妙定院山門妙定院山門 妙定院本堂妙定院本堂


妙定院の山門
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-8-15


妙定院の本堂
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-8-15

◆妙定院の縁起

 妙定院は、徳川家重の導師を勤めた増上寺四十六世妙誉定月大僧正が、家重菩提のため宝暦13年(1763)に創建したといいます。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-8-15

◆「芝區誌」による妙定院の縁起

 妙定院 芝公園第十七號地五番
増上寺四十六世妙譽定月大僧正が、寶暦十一年六月惇信殿の導師を勤めた冥加の爲め、同十三年十一月浄業別院を建て、将軍家歴代の靈碑を安置し、六時勤行の道場となした。幕府大奥等の寄附があった。後、孝恭院殿の靈碑を安置した。當院の阿彌陀如来は安阿彌の作である。(「芝區誌」より)
境内掲示による妙定院の縁起

 妙定院は、徳川九代将軍家重公の大導師を勤めた、増上寺四十六世妙誉定月大僧正によって、家重公菩提のため「御中陰の尊碑」を安置して、宝暦十三年(一七六三)、幽水閑雅だったこの地に開創された。増上寺の別院として位置づけられ、明蔵(一切経)を有し仏典研究の中心的存在でもあり、のち浄土宗の准檀林の寺格を持つ、念仏道場・学問研究の名刹として知られてきた。
法然上人御直作で熊谷直実の念持仏と伝える法然上人像をまつり、「円光大師(法然上人)東都二十五霊場」の第一番とされた。

 また十代将軍家治公の尊碑も納められるなどその後の幕府の帰依も厚く、多くの什宝物が寄進された。「法然上人伝絵詞」など現在文化財に指定されているものも多く、「熊野堂」「上土蔵」の二建造物は、国の登録有形文化財となっている。

元伯爵・萬里小路家、明治の殖産興業の先覚者・前田正名翁などの墓所がある。

境内掲示


 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-8-15


 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-8-15


◆妙定院所蔵の文化財

 熊野堂・上土蔵(国登録有形文化財)
 銅造阿弥陀如来及両脇侍立像(港区指定有形文化財)
 琴棋書画図屏風狩野探雪筆(港区指定有形文化財)
 銅造阿弥陀如来及両脇侍立像


銅造阿弥陀如来及両脇侍立像
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-8-15

 中尊は細面の長身に作られ、著しい伏目の面相は親しみやすく、江戸時代江戸時代前期の作風を表しているのに比べ、両脇侍は肩を張った体躯と丸みのある頭部が形姿を整えており、制作年代は両脇侍がやや先行するものと思われます。このように本三尊像は一具同作とは認めがたいものですが善光寺式三尊像の遺制をよく伝えた作例として、また三尊が均衡を得た構成を示している作例としても貴重です。(港区教育委員会掲示より)

 なお、妙定院は、長野の善光寺の別院的な寺となっているらしく、さまざまなポスターが貼ってありました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-8-15


◆増上寺石灯籠移設調査報告

 以下は本堂の前、左右に置かれた増上寺石灯篭の写真です。


妙定院本堂の2つの石灯籠
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-8-15

 以下も本堂の前、左右に置かれた増上寺石灯篭の写真です。上の写真と反対から撮影しています。


妙定院本堂の2つの石灯籠
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-8-15

 以下は上記の2つの石灯篭に刻印された院号です。いずれも惇信院(徳川家重の院号)となっています。


妙定院本堂まの石灯籠に刻印された院号
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-8-15


妙定院本堂まの石灯籠に刻印された院号
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-8-15

 なお、以下は、徳川家の院です。2 の秀忠以降は、黄が寛永寺、白が増上寺に霊廟があります。有章院は徳川家継、惇信院は徳川家重の院号です。

 1 徳川家康  安国院(あんこくいん)   日光東照宮、上野東照宮、芝東照宮、
                           仙波東照宮(川越市)、久能山東照宮など 
 2 徳川秀忠  台徳院(だいとくいん)   増上寺
 
3 徳川家光  大猷院(たいゆういいん)  寛永寺 
 
4 徳川家綱  厳有院(げんゆういん)   寛永寺 
 5 徳川綱吉  常憲院(じょうけんいん) 
 寛永寺
 6 徳川家宣  文昭院(ぶんしょういん)   増上寺 
 7 徳川家継  有章院(ゆうしょういん)   増上寺 
 8 徳川吉宗  有徳院 (ゆうとくいん)   寛永寺 
 9 徳川家重  惇信院 (じゅんしんいん) 増上寺  ○ ○
10 徳川家治  浚明院(しゅんめいいん)  寛永寺
11 徳川家斉  文恭院(ぶんきょういん)
  寛永寺 
12 徳川家慶  慎徳院(しんとくいん)    増上寺 
13 徳川家定  温恭院(おんきょういん)  寛永寺
14 徳川家茂  昭徳院(しょうとくいん)   増上寺



本稿はこれで終わり