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暮れが押し迫った2012年12月21日、私達は菊池寛平ら長野関係の困民党戦士が長野県の佐久郡から秩父事件に参戦、また転戦したルートをを辿ってみることにした。 ●秩父と佐久を結ぶルート 下の図は菊池寛平らが長野県佐久郡から埼玉県秩父へ、また埼玉県秩父市から長野県佐久郡小海町に参戦、転戦したルートを赤い色で示している。 「佐久からみた秩父事件」※などの史実から見ると、菊池寛平らは、下図で赤色で示す武州街道(現在の国道299号線)の十石峠を通っていることが分かっている。 秩父から佐久への転戦でも十石峠を経由し長野に入り、現在の国道141号線を南下し、小海町の東馬流に到着していることも分かっている。 ※佐久からみた秩父事件、長野県佐久郡小海町他 一方、私達も菊池寛平らが通った図1の地図の赤線に沿って往復を試みたが、残念ながら冬期ということもあり、肝心な十石峠が通行止めとなっていた。 そこで冬期に秩父と佐久を繋ぐ他の2ルートを試行錯誤することになった。そして最終的に埼玉県秩父から群馬県上野村に入り、その後、県道45号線で群馬県南牧村を北上し途中から県道93号線で長野県佐久郡に入り、さらに国道141号線を南下し小海町に入る大迂回ルートを採用することとなった。 以下はルートの概要を示す地図である。 困民党戦士らが使ったルート(■) 私達が自動車で走ったルート(■) |
図1 秩父事件蜂起に長野から参戦した戦士の参戦・敗退ルート図 出典:青山が作成
●群馬県上野町から長野県佐久郡に行く3ルート 12月下旬の冬期は、菊池寛平らが通過した武州街道(現在、国道299号線)の十国峠が冬期通行禁止区間となっており、さらに群馬県の上野村から御巣鷹の尾根の登山道入り口を経由し、長野県の南相木村に向かう最短ルートも、同様に冬期通行禁止のため通行止めとなっていた。 下の図は、現在の具体的道路図でそれを示したものである。 群馬県上野村から長野県佐久郡に入る3つのルート (下からぶどう峠ルート、十石峠ルート、南牧林道ルート) 私達はやむなく埼玉県秩父市→小鹿野町→群馬県上野町の中間地点まで、菊池寛平らが参戦した武州街道を秩父側から行くことができたが、それより先の上野町の中間点から長野県佐久郡小海町までのルートは、十石峠を通過するルート、また南相木村に入るぶどう峠ルートを取ることが出来ず、群馬県南牧村を通る迂回ルートをとらざるを得なくなった。 すなわち、群馬県最南西部から長野県佐久郡に抜ける3つのルートのうち、2つのルートが冬期通行禁止となっており、やむなく3つ目の群馬県南牧村を北上するルートを採用せざるをえなかった。これについては、図1の秩父事件蜂起に長野から参戦した戦士の参戦・敗退ルート図を参照のこと。 この南牧町林道ルートは、まさに林道ルートであり、激しいUターン続きの山道であった。そのため、秩父市を出てから最終目的地の小海町まで実に4時間以上もかかってしまった。 私達の主要通過点は以下の通りである。ただし、秩父から小海に向かう場合。 秩父市→国道299号線→小鹿野町→神流町→上野町→上野道の駅→御巣鷹の尾根の登山道入り口→ぶどう峠(冬期通行禁止ゲート 下図@) ゲート→御巣鷹の尾根の登山道入り口→国道299号線の分岐点に戻る→国道299号線を十石峠側に行く→(冬期通行禁止ゲート 下図A) ゲート→国道299号線の分岐点に戻る→群馬県南牧町の県道45号線を北上→途中から南牧川沿いを走る県道93号線に入り→長野県佐久郡に出る→国道141号線を南下→小海町→北相木村→南相木村→北相木村→小海町東馬流へ(下図B) 今回、実際に現地踏査してみて分かったことは、いずれのコースは現在でも山、谷など複雑で険しい地形にあることであった。 上野村で試みた3つのルート (@ぶどう峠ルート、A十石峠ルート、B南牧村ルート)。 以下は別の角度から見た3ルートである。最終的にBルートで県道45号線を途中まで行き、南牧川に沿って走る県道93号線で佐久郡旧臼田町から国道141号線に出ることになった。 別の角度から見た試みた3つのルート (@ぶどう峠ルート、A十石峠ルート、B南牧村ルート)。 今回は、冬期通行止めのため、最終的にBしか長野県側に行くルートが、夏期だと菊池寛平らが通ったAの武州街道(国道299号線)から十石峠ルートが使え、車なら容易に行けることが分かった。 つづく |