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ひょんなことから私達は秩父の地形と歴史、文化に魅せられ、さらに秩父事件の存在を知る様になって、2009年12月25日から今まで、埼玉県西部にある秩父事件の現場を追って何度となく出かけるようになった。 以下の論考は、それらの現地調査をもとに執筆した「温故知新・秩父事件」である。
出典:映画「草の乱」で 椋神社境内にある秩父事件百年の碑。椋神社にて 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 その後も秩父事件に興味を強めるようになり、秩父事件に関連するさまざまな資料が一括管理、展示されている石間交流学習館を訪問した。 以下はその際に執筆した論考である。
石間交流学習館周辺の環境 山間の急斜面に養蚕農家が 張り付くように建っていた 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S8 石間交流学習館の展示室にて 撮影:鷹取敦 2010.9.19 以下は、秩父事件の概要を示す。
私達は秩父事件に魅せられその後も、幾度となく秩父、奥秩父、長瀞、寄居、皆野など埼玉県西部に出かけることになった。
●長野から秩父事件の蜂起に参加した人々 ところで、秩父事件の蜂起には、秩父から遠い長野県佐久郡北相木村、南相木村、小海などから参加した人々がいた。 現在の長野県佐久郡北相木村から参戦した菊池貫平と出井為吉は、秩父事件を最後の最後まで闘った勇士としてつとに有名である。 菊池は埼玉県皆野にあった本陣が解体された後、自ら新たに総理となり坂本宗作、伊奈野文次郎、島崎嘉四郎らとともに現在の長野県佐久郡小海町東馬流まで転戦している。 菊池貫平については、以下の動画を見ていただきたい。 ★秩父事件、最後まで戦った菊池貫平(ハイビジョンドキュメンタリー) 以下は、菊池寛平と井出為吉についての概要である。
なお、長野県佐久郡小海町の東馬流 における戦闘では、困民軍側の死者は、13名が出ている。以下がその主な戦死者と出身地である。 長野県佐久郡 高野町:倉沢 米吉 37歳 高見沢儀四郎 21歳 日向 留作 23歳 大日向:小須田与作 54歳 小海町東馬流: 井出ジャウ 30歳 長野県外 埼玉県秩父郡風布村: 大野喜十郎 20歳 群馬県甘楽郡藤岡市上日野: 山田鉄五郎 35歳 また長野県佐久郡で秩父事件に関与し、軍隊・警察に検挙された者は、総数558人に及んでいるが、その内訳は、海瀬10人、高野町44人、穂積2人、小海32人、南相木200人、北相木184人、宿岩15便、その他となっており、佐久郡南相木村、北相木村の者が圧倒的に多いことが分かる。 そこで今回は、菊池寛平、井出為吉ら秩父事件に長野から参戦した人々とその出身地域に注目し、2012年12月21日、秩父事件の本陣が置かれた皆野から長野における戦闘の主戦場となった小海町の東馬流まで、その足跡を追った。 つづく |