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私達の株式会社環境総合研究所は、東京都品川区旗の台6丁目にある。 現在、研究所は品川区から東京都目黒区に引っ越しの真っ最中であり、2013年4月末に引っ越しが完了し、5月からは新たなオフィスで業務を行う。 環境総合研究所は非営利活動の一環として、独立系メディア E-wave Tokyoを運営しているが、この5月からは新天地で心機一転、バージョンアップしたい! ところで研究所がある品川区旗の台6丁目やその周辺の小山7丁目、荏原7丁目は、都内有数の低層住居専用地域となっている。最寄り駅は目黒線、南北線、三田線の洗足駅である。 小山7丁目付近にはこんなギリシャ風の個人住宅も 右はハナミズキ 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 この辺り一帯は、到底都心に近い品川区とは思えない緑豊かな、そして静寂な住宅地となっている。これはカナダなど海外では当たり前となっていることだが、土地利用さえ的確に行えば、東京でもひとがまともに生活できる身近な自然と触れあえる都市空間が整うことを示している、とも言える。 私は、毎日、品川区小山3丁目にある自宅から研究所まで徒歩で通っている。ゆっくり歩いて20分の道のりである。毎日、すこしずつ歩く道を変えるが、必ず通る神社がある。 小山八幡神社である。 下は衛星写真で見た小山八幡神社である。緑がこんもり茂っている部分が神社である。 小山八幡神社 出典:グーグルマップ この小山八幡神社は、長元3年(1030年)頃に創建された神社である。 東京に数ある神社のなかでも、かなり古い神社と言ってよいだろう。 小山八幡神社はその名の通り、旧小山村の鎮守である。旧称は妙見八幡、池の谷八幡と言う。 主祭神は「誉田別尊」である。 小山八幡神社の鳥居 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 写真・池田こみち ブラックベリー内蔵カメラ 神社の由緒は不明とされているが、言い伝えによると、長元3年(1030年)頃に源頼信がこの地に誉田別尊を氏神として奉ったのが始まりであるという。すでに1000年近く経っていることになる。 小山八幡神社は、のちに妙見菩薩も誉田別尊と並んで祀られたので、妙見八幡とも、この地の旧名を採って池の谷八幡とも呼ばれていたとされる。妙見菩薩は明治時代の神仏分離令により、隣接してある別当寺であった摩耶寺に移された。
摩耶寺 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 小山八幡神社の境内は、小高い丘(古墳跡といわれている)の上に位置しているため、『小山』と呼ばれそれが現在の近辺の『小山』の地名の由来になっている。現在では境内からの眺めが品川百景に選ばれている。毎日そこを歩いて研究所に通っているが、東京都と思えない風情がある。 小山八幡神社はかつて小山村全体が氏子の範囲であったそうだが、元禄時代に宗教上の軋轢により二分され、三谷地区に三谷八幡神社が分祀されて現在に至っている。ちなみに三谷八幡神社は、私が通った小山小学校のすぐ近くにある。 三谷八幡神社 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 二分されたものの、祭りは現在では両社合同で行うため両社祭りといっている。また、荏原七福神のひとつとして大黒天を祀っている。 昨年9月、私はひさびさに両社祭りを間近で見た。 旧荏原郡、小山村の多くの関連地区から御神輿が小山八幡神社まで練り歩く、都内でも希有な勇壮なお祭りとなっている。旧荏原郡、旧小山村、旧麻布町、旧白金村などとともに、江戸の城南地区にある。 下は江戸時代の城南地域の町、村である。
グーグルマップで見たように、小山八幡神社境内にはさまざまな樹木が生い茂っているが、「椎の木」の大木は品川区指定文化財になっている。 ところで、私と池田こみちは、昼休みに研究所から歩いて10分ほどのところにある西小山に食事に行く。 下は、小山八幡神社の裏側で摩耶寺との境界線にある裏道である。私が毎朝研究所まで徒歩で通う途中にある。 これは神社の裏側、摩耶寺との境界線にある裏道 出典:グーグルストリートビュー 昨日(4月8日)は、前日までの暴風とうってかわり、それこそ雲ひとつ無いすばらしい快晴となった。そして、昼食の帰りに小山八幡神社に立ち寄った。 神社のソメイヨシノはすでに散ってしまったが、八重桜は今まさに満開である。 写真・池田こみち ブラックベリー内蔵カメラ 小山八幡神社の大黒天 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 八重桜は色がピンクが濃く、花びらが幾重にも、まさに八重になっていて、ソメイヨシノとは違ったすばらしさ、「個性」をもっている。下の写真は東京ではなかなか見れない青空の下の八重桜である。 写真・池田こみち ブラックベリー内蔵カメラ 境内にある神楽 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 環境総合研究所は今年で創立27年になるが、過去、東京都品川区北品川(御殿山)、東京都港区高輪、東京都品川区東五反田(池田山)、東京都品川区上大崎(雅叙苑)と、いずれも江戸時代の「桜の名所」にオフィスをかまえてきた。 現在のオフィスがある東京都品川区旗の台(洗足)も桜の名所である。近くにある洗足池一体は東京でも有数の桜の名所である。 「八重の桜」と言えば、NHKの連続時代番組だが、私達はここ2年、福島第一原発事故との関連で2回ほど、福島県会津若松地区を訪問した。詳細は、私達の関連ブログを見て欲しいが、会津にはそこかしこに凜としたものを感じる。 ◆青山貞一・池田こみち:B会津若松市の飯盛山1 白虎隊自刃の地に登る ◆青山貞一・池田こみち:C会津若松市の飯盛山2 白虎隊と戊辰戦争 ◆青山貞一・池田こみち:D会津若松市の飯盛山3 白虎隊関連碑 ◆青山貞一・池田こみち:F会津若松市の飯盛山5 戸ノ口堰 ◆青山貞一・池田こみち:G会津若松市の飯盛山6 忠犬クマ ◆池田こみち・青山貞一:<会津若松市>蒲生氏郷と鶴ヶ城 ◆池田こみち・青山貞一:<会津若松市>蒲生氏郷と茶室・麟閣 下は若松城にある茶室、「麟閣」(りんかく)の前での一枚。これは2011年12月にでかけたときのもの。 福島県会津若松市 若松城にある茶室、麟閣にて 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.12.26 ところで、下は小山八幡神社の境内にある銀杏(いちょう)である。 写真・池田こみち ブラックベリー内蔵カメラ 東京都のシンボルマーク 銀杏は現在、東京都の樹木として東京都のシンボルマークにもなっているが、銀杏の新葉がポヨポヨしていて、何ともかわいらしい。 下の花は何と、シャクナゲである。東京のど真ん中でシャクナゲ? と言われそうだが、東急目黒線が地下化した後、東京急行電鉄と品川区、目黒区などはそこを遊歩道として整備した。 下の写真は、整備中(工事中)の遊歩道。 出典:グーグルストリートビュー 研究所から西小山に食事に行くときは、この遊歩道を歩くことが多い。その遊歩道の両側には、区民のボランティアグループにより、季節ごとに綺麗な花々が植えられ人々の憩いの場となっている。シャクナゲはその一種なのである。 この時期は、シャクナゲ以外にもハナミズキはじめたくさんの花が咲く。もうすぐたつとシャクナゲの原種、ツツジがこの遊歩道に咲き誇る。 写真・池田こみち ブラックベリー内蔵カメラ シャクナゲは、ツツジ科ツツジ目に属し、亜寒帯から熱帯山地まで広い範囲に分布している。いずれも派手で大きな花に特徴がある。 そのシャクナゲは常緑広葉樹にもかかわらず寒冷地にまで分布しており、研究所の北軽井沢保養所は1200mの浅間高原にあり、まさに「寒冷地」である。保養所の近くにはシャクナゲ園があり、これからが見頃となる。 くるまを閉め出したこのすばらしい遊歩道も、土地利用規制やまちづくりをしっかりとやれば、索漠とした東京でも緑豊かな季節感を楽しめるまちができることを示している。 5月から研究所は、お隣の目黒区の大岡山1丁目に移転する。最寄り駅は洗足の次の駅、大岡山となるが、ときどき小山八幡神社には来てみたい。また9月には雄壮な両社祭りを見てみたい。 |