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2011年12月26日、会津若松地区の西会津地区における放射線調査が一段落したとき、わずかな時間であるが、吹雪吹く、鶴ヶ城の一角にある茶室、麟閣を短訪した。 ●千利休の子、少庵が蒲生氏郷のためにつくった茶室・麟閣 蒲生氏郷は当代一流の武人であり政治家であったが、同時に文化人でもあった。とりわけ茶の湯は千利休の高弟として知られるところであった。千利休は氏郷を「文武二道の御大将にて、日本において一人、二人の御大名」と評している。しかしながら、氏郷は40歳で生涯を終えている。秀吉が世を去る3年前のことである。 会津若松の鶴ヶ城をつくり城下町を整備した武人であり文化人の蒲生氏郷は、茶道では千利休の七哲(しちてつ)の一人に数えられている。 その氏郷は千利休が秀吉の逆鱗にふれ自害したあと、利休の茶道が途絶えるのを惜しみ、利休の子、少庵(しょうあん)を会津領内に保護し、少庵が氏郷のために鶴ヶ城の一角に造ったと伝えられているのが茶室「麟閣」である。その少庵は茶道三千家への道筋をつくったとされている。 三千家とは、茶道の流派のうち、表千家・裏千家・武者小路千家を指す。利休の死後、茶の湯の後継者としては先妻の子である嫡男・千道安と、後妻の連れ子で娘婿でもある千少庵が有名である。道安は堺の本家堺千家の家督を継いだが、早くに断絶したため、少庵が継いだ京千家の家系の系統(三千家)が現在に伝わる。少庵の次男宗守・三男宗左・四男宗室がそれぞれ独立して流派が分かれ、武者小路千家官休庵・表千家不審庵 ・裏千家今日庵となっている。 鶴ヶ城と茶室、麟閣 大雪が降る会津若松の鶴ヶ城と茶室、麟閣 動画撮影:青山貞一 YashikaHD 2011年12月26日 茶室、麟閣の入場券(大人200円) 当日は、折からの大雪、しかもマイナス3℃と凍てつく寒さだった。下の写真は茶室・麟閣の入り口に立つ池田こみち。 福島県会津若松市 若松城にある茶室、麟閣にて 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.12.26 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.12.26 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10 2011.12.26 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.12.26 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.12.26 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.12.26 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.12.26 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10 2011.12.26 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2011.12.26 なお、以下は公式ホームページにある「麟閣の歴史」
つづく |