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◆平林寺の概要 出典:Wikipeida 平林寺(へいりんじ)は、埼玉県新座市野火止にある臨済宗妙心寺派の寺院です。 山号は金鳳山といいます。修行道場として僧堂が設置されています。境内林は、武蔵野の面影を残す雑木林として、昭和43年(1968年)に国の天然記念物に指定されています。 ◆歴史 永和元年(1375年)、現在のさいたま市岩槻区に創建されました。開山は石室善玖(せきしつぜんきゅう)、開基は大田備州沙弥・蘊沢(うんたく)です。 当初は臨済宗建長寺派、大徳寺派を経て妙心寺派の寺院となりましたた。 なお、蘊沢は、岩槻城主・太田道真(道灌の父)と同一視されることがありますが、道真は平林寺創建の時点ではまだ生まれていません。 寛文3年(1663年) 川越藩主・松平信綱の遺志をうけて、子の輝綱が菩提寺として野火止に移転しました。 享保3年(1718年)、高玄岱が戴渓堂を建立し、独立性易の持仏を祀り、独立の碑文を書しました。 平成21年(2009年)11月26日、今上天皇・皇后夫妻が訪問しました。なお、昭和52年(1977年)以来(皇太子時代)の再訪です。 ◆境内の文化財など 平林寺境内林(国の天然記念物) 平林寺林泉境内(埼玉県指定名勝) 総門(埼玉県指定有形文化財) 山門(埼玉県指定有形文化財) 木造、茅葺、寛文4年(1664年)建立。上層に十六羅漢像を安置する。 仏殿(埼玉県指定有形文化財) 中門(埼玉県指定有形文化財) 戴渓堂 独立性易(どくりゅうしょうえき)の坐像と独立の念持仏の観音像を安置する。 半僧坊 松平信綱夫妻墓(埼玉県指定史跡) 信綱夫妻墓のほか、大河内松平家歴代の墓もある 安松金右衛門墓、小畠助左衛門墓 野火止用水開削の功労者 島原の乱戦没者供養塔 増田長盛墓 松永安左エ門墓 平林寺文書22通(埼玉県指定有形文化財) ◆平林寺の主な伽藍 (出典:説明文は平林寺の公式Web、写真は青山貞一、池田こみち) 平林寺の総門に立つと、まず目に入るのが一直線に並ぶ禅宋様式の伽藍の美しさ。きらびやかさはありません。修行の寺らしい、いかにも武蔵野の禅寺という風情がそこにあります。 平林寺の伽藍は野火止めに移転後、時代とともに変化しますが、現在も変わらない端正なたたずまいを見せているのは、総門・山門・仏殿などの建造物です。 ◆総門から山門へ ◆総門 参道に面する総門は、茅葺きの切妻造りで、正保5年(1648)に京都詩仙堂の石川丈山によって揮毫された「金鳳山」の山号額を掲げています。 門前の左右には、寛文4年(1664)に落慶法要が営まれた際、松平備前守高綱により奉納された石灯籠があります。 平林寺総門(道路側から撮影) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 平林寺惣門(境内より撮影) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 総門をくぐり、山門を目の当たりにすると、永い歴史に包まれた威厳のようなものを感じます。 ◆山門 平林寺のシンボルともいえる山門は、茅葺きの重層入母屋造りで丈山筆の扁額「凌霄閣」を掲げています。 楼上桟戸の両側には花頭窓が施してあり、内部には松平信綱によって寄進された釈迦・文殊・普賢の三尊仏と十六羅漢像が安置されています。 この山門は、寛文3年に岩槻平林寺の山門を解体し、野火止に移築後補修したもので、実に350年以上の風雨に耐えている建造物であり、県の文化財にも指定されています。 平林寺山門の解説 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 平林寺山門(境内の総門側より撮影) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 斜めから見た山門 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-12-15 平林寺山門 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-1 以下は山門にある阿吽(あうん)の仁王像です。平林寺では、十羅漢像とよんでいます。 平林寺山門の十羅漢像 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 平林寺山門の十羅漢像 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1
下は山門近くにある高野槇です。幹周りから見て かなりの樹齢がありそうです。 ◆高野槇 山門をくぐると右側に樹齢約600年を数える高野槇。寺の口伝によるとこの槙も岩槻から運び込んだと言われています。 高野槇 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 高野槇 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 ◆仏殿 山門と同じく岩槻から移築された仏殿は、禅宋様式をよく伝える唐様の建物で、茅葺きの単層入母屋造り。 正面は桟戸で、花頭窓を左右および東西にバランスよく配した、実に質素で重厚な造りです。鴨居には「無形元寂寥」の扁額を掲げています。 本尊は釈迦如来坐像で、阿難尊者と迦葉尊者が両脇侍として安置されています。 この本尊は、天正18年(1590)に岩槻城が炎上した際に持ち出され、消失を免れたという謂われのある仏像です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 平林寺の仏殿 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 仏殿の解説 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 下は仏殿の扁額です。 仏殿の扁額 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-12-15 ◆仏殿の釈迦如来坐像 下は仏殿の仏像です。本尊は釈迦如来坐像、阿難尊者と迦葉尊者が両脇侍として安置されています。 仏殿の仏像 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-12-15 下は仏殿の前の石灯籠です。 平林寺の仏殿と灯篭 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-1 平林寺山門から仏殿を見る 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-12-15 下は平林寺の灯篭です。松平信綱は徳川将軍家ではないので、増上寺や寛永寺の灯篭とは異なりますが、かなり似ています。 違いは燈籠の下部が完全な円筒形となっていることです。増上寺の灯篭はビヤダル型、すなわち上部、下部に比べ中央部の直径が大きくなっています。また三つ葉葵の紋がありません。 平林寺の灯篭 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-1
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