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放生池から下卵塔を通り雑木林の道をたどると、見事な五輪塔と石灯籠が建ち並ぶ墓所に出ます。ここが松平信綱(伊豆守信綱)をはじめとする大河内松平家歴代の廟所で、墓域は実に約3千坪を有しています。 私達はここ数年、徳川将軍家の増上寺、寛永寺はじめ多数の霊廟、墓所を調べてきましたが、約3千坪に及ぶ墓域、墓所の広さは他に見当たりません。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 ◆大河内松平家の廟所 (出典:説明文は平林寺の公式Web、写真は青山貞一、池田こみち) 歴代の墓はいずれも豪壮な墓石によって造られ、木漏れ陽の中、歴史を刻んだ五輪塔が整然と建ち並んでいる様は、荘厳そのものです。 本堂から廟所へと続く「廟所参道」は、左右老杉の中を数条の石畳を敷き、俗に座禅燈籠をも呼ばれる基部の太い武家好みの石燈籠を50基ほど並立し、崇高な雰囲気に包まれています。この参道は正式なもので、平常時は使用されません。 石燈籠を50基ほど並立した「廟所参道」 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 石燈籠を50基ほど並立した「廟所参道」 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-1 下図にあるように、この霊所・墓所を左側から入り墓所参道を右に抜ける途中に、松平信綱、正室やその親族の墓所があります。途中、上の写真にある50基に及ぶ石灯籠の参道を右側に見ることできます。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 参道正面の「空風火水地」と刻む五輪塔は、信綱の実祖父である大河内秀綱の墓。左隣には信綱の養父である松平正綱夫婦の五輪塔があり、秀綱の右隣には信綱の実父である大河内久綱の五輪塔があります。 その久綱の五輪塔の右隣に二つ並んで建っているのが、松平信綱夫婦の墓です。向って左の五輪塔が信綱の墓で、地輪正面には「河越侍従松平伊豆守信綱 松林院殿乾徳禅梁大居士 寛文二壬寅年三月十六日」と刻まれています。「智恵伊豆の墓に俳句が詣りけり」と高浜虚子が詠じたのはこの五輪塔です。
下は墓所の外から五輪塔を撮影する池田です。 廟所参道から墓所に入る所には立派な石で出来た門と扉があります。しっかりと頭を下げて入らないと頭をがーんとぶつけます。青山は何度かぶつけました(笑)。おそらく門扉の高さを低く取ったのは、頭を低くして入りなさいよという意味があるのだと察します。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 五輪塔 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-5-1 五輪塔 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 信綱の五輪塔の隣には、貞淑の誉れ高いと伝えられている正室の五輪塔です。地輪正面に「源姓井上氏 隆光院殿太岳静雲大師 寛永十三年丙子三月七日」とあります。いずれも、2メートルはある堂々とした本小松石の五輪塔で、県の史跡に指定されています。 続く右側には、平林寺を岩槻から移転させた信綱の嫡子である輝綱以下、大河内家の直系にあたる伊豆守家歴代の墓石群が建ち並んでいます。 また、養父正綱の墓の後ろには正綱の嫡子である正信以下の大多喜家歴代の墓石群が建ち並び、さらにその左後方には信綱の五男信興をはじめとする右京大夫家歴代の墓石群が並んでいます。 一寺に一大名の墓がこれだけ残っているのは、全国でもあまり例がなく、墓前に配された坐禅燈籠が数十と並ぶさまは、あたかも主君に仕える家臣のように見え、実に壮観です。 文章の出典:平林寺公式Web 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-12-15 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-12-15 下は大河内松平家歴代の墓所にあった石灯籠です。 先に述べましたが、この石灯籠は増上寺の灯籠に似ているが、下半分の円筒形の部分にテーパがないこと、徳川将軍家の三ツ葉葵の紋がないことなど、大きな違いがあります。また高さも増上寺の灯籠の方がかなり高いようです。そのうち正確に各所を測定し比較してみたいと思います。 大河内松平家歴代の墓所の石灯籠 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-1 つづく |