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@ソレントでフェラーリ
  Ferrari in Sorrento
青山貞一 Teiichi Aoyama
 2008年3月7日 転載禁
青山貞一 南イタリア短紀行  ソレント
@ソレントでフェラーリ
Aソレントから見たヴェスヴィオ
Bソレントの夕日
Cサンタニェーロからソレントへ
D秀逸なソレントの伝統工芸
Eソレントの歴史文化魅力の源泉
Fソレント半島西端のカントーネ

●2008年2月24日(日) 夕方

 2年前、2006年3月、イタリアの北ミラノにあるセベソに現地調査を行った。

 いうまでもなく、セベソは30年前(2006年当時)に農薬工場の大爆発による甚大なダイオキシン汚染が起きた場所だ。

 その後、私はセベソ事故をあらゆる角度から徹底調査した。たまたま米国の研究者から買ったダイオキシン関連の著作のなかに、カナダのトロント大学の社会学の教授が興味深いコラムを書いていたのに偶然出会った。

 それがきっかけとなりセベソのダイオキシン汚染分布に決定的な疑義を感じ、ある仮説を立てこの間、研究を行ってきた。

 2008年2月19日〜2月27日、その研究成果をイタリアの環境研究者にぶつけ、議論するのが今回イタリアを訪問した主な目的であった。研究成果については別途報告したい。

 私が在職する武蔵工業大学では、海外出張する場合、学長が最終的に決済するが、中村英夫学長とイタリアに行く前日、大学の近くのお好み焼き屋で懇談した際、青山先生がイタリアにゆくならと、帰り道でサンタ・ルチアやオーソレミオを大きな声で歌ってくれた(笑い)。

 実は、せっかくイタリアに行くなら、ぜひともでかけてみたい場所があった。それはソレント半島とアマルフィ海岸だ。 

 ソレント(Sorrento)へはナポリからバスか電車で約1時間で行ける。

 しかし、日本人でソレントまで足を伸ばすひとはほとんどいない。学長は私以上に、世界中、とくに欧州のあちこちを旅行されているが、ナポリ(Napoli)、ポンペイ(Ponpei)、サレルノ(Salerno)までは出かけているものの、ソレント半島には行っていないという。

 私がソレントで宿泊したB&Bは、ソレントから電車でひとつナポリよりのサンタニェーロ(Sant'Angello)というナポリ湾に面した小さな閑静な住宅地だった。

 そこからゆっくり歩いても30分あればソレントに行ける。そこを拠点にしてソレントだけでなく、ポジターノ、アマルフィなど、ソレント半島の南側の断崖絶壁にある諸都市に足を伸ばす予定だ。

 到着後、毎日のようにソレントにでかけた。下はソレントの中心地であるタッソー広場である。


ソレント旧市街の中心にあるタッソー広場、
撮影:デジカメ Nikon CoolPix S10

 現地では有名なタッソー広場の一角にチョコレートなどをつくり売っている大きなお菓子屋さんがあった。上の写真の左側に写っている大きな建物がお菓子屋さんである。

 最初に出かけたとき、このお菓子屋でチョコレートを使って、なんとフェラーリのF1カーを作っていた!


チョコレートを使ってフェラーリのF1をつくったパティシエら
撮影:デジカメ Nikon CoolPix S10

 フェラーリといえば、世界中の自動車愛好家の垂涎の的の車だ。その原産地、イタリアでもそう簡単におめにかかれない。

 そして帰国する前前日の日曜日の夕方、ソレント半島の突端にある保養地、カントーネにソレントからでかけた。


ネラーノの町
撮影:デジカメ Nikon CoolPix S10

 ソレント駅の路線バス乗り場から、まず半島突端近くのネラーノ(Nerano)まで行き、そこから歩いて裏道を抜け30分ほど下り、カントーネ(Cantone)の海岸に出た。この辺の町はどこもかしこも断崖絶壁の黒い山(イタリア語でモンテ・ネグロ)の裾にある。


ソレント半島の突端にあるカントーネ海岸
撮影:デジカメ Nikon CoolPix S10

 カントーネの町はイタリア語で、Marina del Cantone といい、まさに海辺にある。夏は海水浴場でにぎわうそうだが、なにしろ2月なので、さすがに泳いでいるひとはいない。とはいえ、ここは地中海でも温暖で穏やかな南のティレニア海に面している。なにしろ温暖で穏やかだ。犬の表情からもそれが分かる?


カントーネでは犬も猫ものんびり寝ている
撮影:デジカメ Nikon CoolPix S10


カントーネ海岸で砂遊びする坊や
撮影:デジカメ Nikon CoolPix S10

 ソレント半島の突端、カントーネ海岸は冬でも日中はポッカポカの陽気だ。何しろ日中は3時間に一本くらいしか路線バスはこない。いつの間にかバス停で寝てしまう始末だった。

 バス停の後ろから突然、低周波振動が来るのでおきて振り返ると、そこに下の写真にあるフェラーリ599がいた。フェラーリ599モデルは日本では3000万円以上もするらしい。


フェラーリ599モデルと筆者
撮影:デジカメ Nikon CoolPix S10

 やっと路線バスがカントーネに来たので、カントーネ、アガタ経由でソソレントのタッソ広場に戻ってきら、タッソー広場に人だかりが出来ている。近寄ってみると10台以上の赤いフェラーリが広場の一角を埋め尽くしているではないか! これにはびっくり。

 チョコレートでフェラーリのF1を作っていたのも、この日のためのイベントであったのだ。


20台近くのフェラーリが一堂に会する様は壮観
撮影:デジカメ Nikon CoolPix S10

 私自身、車には興味はないが、フェラーリは日本で買えば一台で2000〜3000万円もする世界の最高級スポーツカー、それが10台以上並んでいる様には圧倒された。

 
赤いフェラーリの隣で、筆者
撮影:デジカメ Nikon CoolPix S10

 タッソー広場からソレント駅方面に向かい、サンタニェーロのB&Bに戻る途中、ソレントからナポリに向かう狭いメインストリートをさっそうと赤いフェラーリが帰って行った。窓からおねいさんが手を振っていた。


ソレントのタッソ広場からナポリ方面に帰る赤いフェラーリ
撮影:デジカメ Nikon CoolPix S10

フェラーリFerrari S.p.A

イタリアの自動車メーカーである。現在はフィアットグループの傘下にあり、本社はモデナ県マラネッロにある。基本的に高級GTカー及び高級スポーツカーしか製造していない。

1947年に、アルファ・ロメオのレーシングドライバーであったエンツォ・フェラーリにより、レーシングチーム運営のための会社として創立。創立当初はスクーデリア・フェラーリとして、アルファ・ロメオのレース運営の会社として機能していたが、やがて自社のレーシングカーを開発するようになり、アルファ・ロメオ社のレース撤退と共にその資産を受け継いだ。

当初はレースに参戦する費用の捻出のために、旧モデルとなったレーシングカーをロードカーとして仕立て上げて貴族や富豪に販売していたが、250シリーズで初めて市販車の製造を開始した。しかしながら、初代は熱い、うるさい、乗り心地が悪い、故障が多いなどと不評も多かった。シリーズを重ねるごとに改良は進んだが、エンツォは自社の市販車にスポーツカーという言葉は用いなかったばかりか、乗り心地や快適性を求める購入者を蔑んでいたと言われる。

当時の市販車は、それまでのフェラーリにしては量産車と言える物であったが、その価格は依然として高かった。その割りに工業製品としての品質はかなり低く、工作精度や品質のばらつきが大きい上に、ロードカーとしては設計上の問題も多かった。後にフィアットの傘下に入ってある程度の品質向上はできたものの、そもそもエンツォ自身がロードカーの開発に積極的でなかったためか、依然としてどこかに設計上の問題点を抱えていた。

カタログ上の性能の向上はもちろん進んでいたのだが、ボディ剛性、サスペンションシステム、ミッドシップにもかかわらず高い重心など、「スポーツカー」としての素質はいまひとつであった(これはそもそもフェラーリ社がスポーツカーとしての設計をしていなかったためともいえよう)。そのため、限界速度域での挙動がデリケートで運転が難しくなり、「跳ね馬」成らぬ「じゃじゃ馬」と呼ばれていたこともある。ただし、レース用車両をベースに開発された市販車はその限りではなかったようである。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


つづく