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Aソレントから見たヴェスヴィオ山
Mt.Vesuvio from Sorrento
青山貞一 Teiichi Aoyama
 2008年3月7日 転載禁
青山貞一 南イタリア短紀行  ソレント
@ソレントでフェラーリ
Aソレントから見たヴェスヴィオ
Bソレントの夕日
Cサンタニェーロからソレントへ
D秀逸なソレントの伝統工芸
Eソレントの歴史文化魅力の源泉
Fソレント半島西端のカントーネ

 2008年2月19日から27日、環境政策の現地調査でイタリアにでかけた。仕事が終わった週末、南イタリアのカンパニア州(Campania)ソレント(Sorrento)にでかけた。

 ソレントは人口1万7千人ほどの小さな町だ。宿泊したB&Bはソレントから2kmほどナポリ(Napoli)よりのサンタニェーロ(Sant'Angello)という小さな住宅地だ。到着した日の夕方は小雨だったが、翌日は曇りから晴れとなった。下の写真は朝7時、ホテルのすぐ前にある展望台で撮影したヴェスヴィオ山(Mt.Vesuvio)の勇姿だ。

 ヴェスヴィオ山は言うまでもない、AD79年の大噴火によりポンペイ(Ponpei)を壊滅させた火山である。ソレントからヴェスヴィオ山までの距離はナポリ湾をはさんで50km以上あり、その勇姿を見ることは容易でない。

 実際、ソレントに私が滞在した間、写真撮影用に綺麗に見えたのは、一度だけだった。写真は、いずれもそのときに撮影したものである!!

 そもそも、この時期、快晴の場合は水蒸気があがりだめ、曇りがよいのだが、当然のこととしてヴェスヴィオ山に雲がかかっていてはだめだ。ソレントからみた場合、太陽はヴェスヴィオ山側から上がるから、ヴェスヴィオ山に雲がかからず、しかもそれより上空に雲があることが条件となる。

 ヴェスヴィオ山は見る角度により大きくその姿を変える。おそらく一番美しい眺望は、ソレントからナポリ湾を経由し臨む角度である。


撮影:Nikon CoolPix S10


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S10


ヴェスヴィオとソレントの位置関係 出典:Google Map

つづく

ポンペイ(ラテン語:Pompeii、イタリア語:Pompei

1世紀までナポリ近郊にあった都市国家。ヴェスヴィオ火山の大噴火により、79年に壊滅した。18世紀に発掘が開始され、現在は主要な部分が有料で一般公開されている。その遺跡は世界遺産になっている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヴェスヴィオVesuvio

イタリア・カンパニア州にある火山。ナポリから東へ約9キロメーターのナポリ湾岸にある。現在は噴火していない。

標高は1,281m。日本ではベスビオ火山と表記されることが多い。イタリア語ではヴェズーヴィオ。英語からヴェスヴィアス、ラテン語からウェスウィウス、あるいはヴェスヴィオスとも呼ばれる。狭義のヴェスヴィオ山を、ソンマ山(1,132m)とよばれる外輪山が取り巻いた複合成層火山。

紀元後79年8月24日の大噴火が有名であり、この時、噴出物(火砕流)でポンペイ市を、泥流でヘルクラネウム(現在のエルコラーノ)を埋没させた。この噴火の様子は小プリニウスの書簡により詳細な描写が残されており、ヴェスヴィオ山のように大量の軽石や火山灰を高く噴き上げる大規模な噴火をプリニー式噴火というようになった。以降頻繁に噴火を繰り返している。最近の噴火は1944年3月22日のもので、サン・セバスティアーノ村を埋没させた。

1880年には山麓から火口まで登山電車(フニコラーレ)が開通した。これを記念して作られた歌(いわゆるコマーシャルソング)がナポリ民謡『フニクリ・フニクラ』である。この登山電車は前述の1944年の噴火で破壊された(のちに1990年に復旧・再開された)。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』