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ここでソレントの歴史について概観してみよう。 ソレント市長がイタリア旅行情報サイトJAPAN-ITALY Travelの「市長が語る我が町観光自慢」で話している内容と、現地で撮影した写真などをもとに、ソレントのまちの歴史を概観したい。 ソレントでは切り立った海岸線、まさに息を呑むような美しい眺望、景観のパノラマが訪れる人を魅了する。それは青い空と紺碧の海に浮かんだような町だ。 切り立った海岸線の眺望・景観が人々を間違いなく魅了する海岸線 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S10 伝説によれば、ソレントの海の中には、美しい歌声でユリシーズを誘惑しようとした妖精たちが住んでいたという。だが、誘惑に失敗して失望した彼女たちは岩礁に姿を変えた。 それが現在のソレントからナポリ湾一帯にあるガッリ諸島になったと言いつたえられている。いわばホメロスの時代からソレントはひとびとの想像をかきたてるロマンチックな場所として知られていた。 まず、ソレントは古い歴史のある場所だ。 ソレント岬のニコルッチの洞窟には、先史時代に人が住んでいた跡が残っている。ナポリやソレント半島など、イタリアのカンパーニア州に居住した古代民族アウソーニア人によって築かれたソレントのまちは、ギリシア文明の影響を強く受けている。 それは今でもパルサーノ港やマリーナ・グランデ港の都市設計の名残を見ることができまる。その後、ソレントはエトルリア人、オスク人、ローマ人に支配された。 町の中心地にある主要道路の構造は古い時代のものを残している。また、町の守護聖人サンタントニオにささげた美しい教会がある。その側面の扉には古代寺院にあった円柱が2本使われている。サン・フランチェスコ教会の回廊にも同様のものが見られる。 ソレントの守護聖人、サンタントニオ像。タッソ広場の真ん中にある 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S10 ソレントは古代ローマの詩人ホラティウスなどに理想的な別荘地として褒め称えられた。ティベリウス皇帝の時代には、多くのローマ人たちがカプリを離れてソレントに住居を構えた。 古代ローマ時代につくられた海沿いにある7つの別荘のうち、カンパーニア州に残る一つがポッリオ・フェリーチェの別荘である。海から、あるいはソレント岬から続く小道を通って別荘に行くことができまる。海岸線に沿って広がるこの古い別荘跡は当時の輝きを今に伝えている。 常にバカンスの目的地だったソレントには、多くの詩人、作家、芸術たちが訪れた。 ノルウェーの劇作家イプセン、ゲーテ、スタンダール、バイロン、ディケンズ、ニーチェ、ワーグナー、アナトール・フランス、トルストイ、アレッサンドロ・デュマ、ゴーリキなどなど、ここでインスピレーションを得た人たちは数多くいる。 また、イタリアの有名な詩人トルクワート・タッソはこの地の出身である。海岸沿いには、1800年代のホテルを今でも見ることができる。 ソレントを知るには歩いて散策することをおすすめしたい。
アマルフィ海岸地域に行くとさらに顕著となることだが、シチリア島はじめソレントからバーリまでの南イタリアでは、モスリム、イスラム教の影響が建築物、建造物はもとより、生活から文化に至るまで、その痕跡が随所に大きく残っている。 具体的には9世紀にはイスラム勢力が北アフリカからシチリア島に侵入した。831年にパレルモ(現在シチリアの州都)は陥落し、965年にシチリア全島がイスラムの手に落ちることになる。 この城は軍事上でも居城でもなく別荘または客をもてなすために使用されたと考えられている。 |