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秦始皇帝・兵馬俑・博物院概要(百度百科11)

西安
(Xi'an、中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

 次は秦始皇帝陵博物院の展示物を紹介する百度百科11です。

◆秦始皇帝陵博物院  百度百科11

  

【32】秦の銅製印章


出典:中国百度百科 秦始皇帝陵博物院

 秦時代の青銅器、高さ1.1cm、底の大きさは1.45×1.45cmの正方形で、秦の始皇帝陵園東側陪葬墓から出土しました。1976年、上焦村の二つの墓からそれぞれ銅製の印章がひとつずつ出土しました。一つの墓主は男性で、年齢は30歳前後、棺の中から根付け紐がついた四角い銅製印が1枚出土し、くぼませて彫った小さな篆書文字で「荣禄」の二文字がありました。

 これはおそらく墓主の私的な印で、墓主の名前が「荣禄(えいろく」だった可能性があります。この印は、墓主の身分を研究する上で実物の資料を提供し、この墓の持ち主は秦の始皇帝の息子の可能性を示しています。秦の始皇帝陵博物院に収蔵されています。


33】秦陵一号青銅製馬車


出典:中国百度百科 秦始皇帝陵博物院

 秦時代の青銅器、秦陵一号銅製馬車は“立車”(縦型車)で、これは古代の単轅双輪車(一本の轅で二輪車)であり、秦時代の本当の馬車を参考に1/2の大きさで作成されています。銅の馬車は全体が青銅で鋳造され、各部分は鋳造の後、象嵌、溶接、留め金による接続、活鉸連接(一体丁番)などの様々な工芸技術を用いて組み立て成型します。

 これは中国考古学史上、これまでに出土した最大のもので、最も複雑な構造の遺品であるとともに、最も形の整った保存状態の良い古代の馬車であり、「青銅の冠」という誉れある名前で知られています。銅製車と馬には色彩が施され、雲の模様や、幾何学模様、夔(き)龍紋などの図案が、赤、緑、紫、藍などの色彩豊かに美しく描かれ秦時代の皇族が所有する車としての豪華さと気品を備えていました。秦の始皇帝陵博物院に収蔵されています。

 注)轅(ながえ)
  《「長柄」の意》馬車・牛車(ぎっしゃ)などの前方に長く突き出ている2本の棒。
  先端に軛(くびき)をつけて牛や馬にひかせる。 馬車・牛車ぎつしやなどの前に長く出した二本の棒。その前端に軛くびき  をわたして牛馬にひかせる。


【34】秦陵二号青銅馬車


出典:中国百度百科 秦始皇帝陵博物院

 秦時代の青銅器、秦陵二号銅馬車は“安車”(中国古代、すわって乗れるようにつくった、老人や婦人用の馬車)で、これは古代の単轅二輪車であり本物の車と馬の1/2の大きさで作られています。(以下は一号青銅馬車と同じ記述)


【35】秦時代の銅製盾


出典:中国百度百科 秦始皇帝陵博物院

 秦時代の青銅器、盾の頭頂部は四角く、弓形の肩で、腰は曲がり、底は平です。正面には一本の縦の背があり、中程は隆起しています。背面には握り手があります。銅製盾の陵埋めんに夔(き)龍の返送した模様が描かれ、龍の体は曲がって舞い上がった様子が描かれているため、この盾は龍盾と名付けられています。秦の始皇帝陵博物院に収蔵されています。


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