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 シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

フェルガナ

(Fergana・Buxoro、ウズベキスタン)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月
独立系メディア E-wave Tokyo
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 次はシルクロードの中間点にありますウズベキスタンのフェルガナです。

◆フェルガナ


フェルガナ(ウズベキスタン)の位置
出典:グーグルマップ


フェルガナの位置
Source:Wikimedia Commons


フェルガナ門
Source:Wikimedia Commons


概要

 フェルガナまたはフェルガーナ(英語: Fergana、ロシア語: Фергана、ウズベク語: Farg‘ona / Фарғона、タジク語: Фарғона、ペルシア語: فرغانه‎、中国語: 費爾干納)は、ウズベキスタン共和国東部の都市。フェルガナ州の州都です。

 人口は214,000人。アラル海に注ぐシルダリア川の上流とカラテギン(フェルガナ)山地に挟まれたフェルガナ盆地の南端に位置しまあす。 タジキスタン・キルギスの国境地帯に位置しています。アンディジャンの西75km、タシュケントの東420kmに位置します。


フェルガナの市場
Source:Wikimedia Commons

歴史

 フェルガナは大宛国、ゾロアスター教の故地の1つとされています。

 フェルガナ盆地は名馬の産地であり、汗血馬と呼ばれる良馬を求め、前漢の武帝が征服しました。漢字では漢代には「大宛」と呼ばれたが、西晋より後はフェルガナの音訳である「破洛那」が用いられるようになり、豊饒の地として知られるようになりました。


Grabbeigabe Pferd aus Fergana; China; Tang-Dynastie; ca. 7. Jh.; heller Ton;
Reste von kalter Bemalung; im Überseemuseum
Source:Wikimedia Commons

 7世紀からは突厥などテュルク系民族の支配下に入りました。8世紀にアラブに征服されてアッバース朝の支配下に入りイスラーム化が始まりました。サーマーン朝がアッバース朝の宗主権のもと中央アジア支配を確立すると、フェルガナはサーマーン朝の所領となり、フェルガナから兵がカリフに配給されました。

 フェルガナ地方はカシュガルから中央アジアへ抜ける街道として位置付けられ、カラハン朝や西遼、モンゴル帝国などもこの地を通過し、支配を行いました。ティムール朝時代にはティムールの息子ミーラーン・シャーの一族の所領となり、その玄孫でムガル朝の開祖となったバーブルはフェルガナの出身です。

 16世紀にはシャイバーニー朝が南下し、中央アジアに侵入してティムール朝を滅ぼしました。これによりウズベク民族がこの地に定着して現在の民族構成の形ができあがりました。18世紀にはコーカンド・ハン国が統治しました。

 1875年、ロシア帝国が占領しました(フェルガナ州)。1876年、ロシアはこの地に軍事要塞を建設、マルギラン(Margilan)の北に位置していたことから「新マルギラン」(ノーヴィマルギラン、Новый Маргелан)と名づけました。

 その後、この地のロシア総督ミハイル・スコベレフの名にちなんで, スコベレフ(Скобелев)と改名する。今日のフェルガナは軍事都市として発展しました。 ロシア革命でボルシェビキ軍がこの地を占領すると、1924年にフェルガナの名前になりました。1930年代には運河が完成しました。フェルガナに居住する住民は、サルト人とも呼ばれるが、人種的にはウズベク系とタジク系に分かれます。


Negotiations with basmachs Fergana, 1921
Source:Wikimedia Commons


ソ連時代の市役所
Source:Wikimedia Commons


タシケント医学アカデミーのフェルガナ支部
Source:Wikimedia Commons


気候
 
 大陸性気候であり、年間降水量は188mmと少なく、夏は暑いものの、40度を超える気温となるフェルガナ盆地周辺部と比べてると590mと標高が高い分、暑さは多少は緩和されます。また、冬は気温が氷点下になることも多く寒冷で、真冬にはマイナス15度を下回ることもあります。

建築

 フェルガナに見られる、木が植えこまれ広く整然とした通りや青を多く用いた19世紀のロシア帝国風建築は近代以前、地震以前のタシュケントの建築でよく見られた形式だと言われています。

 また、フェルガナ盆地にある他の地域に比べてロシア人、高麗人、タタール人の居住率が高く多民族都市となっています。ロシア人が多く居住することから第一言語をロシア語とするものも多く、国内の大多数の都市と比べ異国情緒に溢れた街と言えます。街にはソビエト連邦より独立する以前の面影が残っています。

観光名所

 ・地域研究博物館 – フェルガナ盆地の自然の歴史や写真、伝統工芸品などを展示しています。

 ・フェルガナ劇場 – 1877年に建設されたミハイル・スコベレフ大将の邸宅です。


Muḥammad al-Farghānī’s Elements of Chronology and Astronomy
Source:Wikimedia Commons



フェルガナの織物
Source:Wikimedia Commons


サマルカンド・ブハラへつづく