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シルクロードの今を征く

Now on the Silk Road

マザーリシャリーフ

Mazar-e Sharif、アフガニスタン)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月25日 更新:2019年4月~6月
独立系メディア E-wave Tokyo
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アフガニスタン
カーブル  ヘラート  マザーリシャリーフ1  マザーリシャリーフ2
カンダハール  バーミヤーン
  バーミヤーン遺跡1  バーミヤーン遺跡2 

 次はアフガニスタンのマザーリシャリーフです。

◆マザーリシャリーフMazar-e Sharif,アフガニスタン)


マザーリシャリーフの位置
Source:Wikimedia Commons


出典:Wikipedia

 マザーリシャリーフ( Mazar-e Sharif)は、アフガニスタン北部のバルフ州にある都市。州都であり、アフガニスタンにおける大都市の1つです。幹線道路によって、南東にカーブル、西にヘラート、北にウズベキスタンと繋がれている交通の要衝です。

歴史

前史


 マザーリシャリーフはヒンドゥークシュ山脈とアムダリヤ川の間に挟まれた平野部にあります。アムダリヤ川の北側は中央アジアであり、この平野を通じてアフガニスタンの中に中央アジアが入り込むような地形になっています。

 この平野には古来からシルクロードやシルクロードからインドへ向かう街道が通っており、交通の要所として知られていました。

 そのため街道を通じて様々な異民族が侵入して、興亡を繰り返した。例えば紀元前4世紀にはアレクサンドロス3世が攻めて来て、ギリシャ人の街を作りました。

 7世紀には中国からインドに向かう途中の玄奘三蔵が訪れた「縛喝国」(バルク国)があったと言います。中世まで、この平野の中心的な都市はバルフでした。一方、東に20kmほど離れたマザーリシャリーフはバフルの近郊にすぎず、中世までは何も無かったようであります。

マザールの発見

 マザールとはアラブ語で「訪れるべき場所、参詣すべき場所」という意味であります。イスラム教には聖者(ワリー)の墓廟(マザール)を参詣する風習があり、マザーリシャリーフには「ハズラト・アリー廟」が祭られています。

 アリーとはアリー・イブン=アビー=ターリブの事です。この人物はスンナ派の第4代正統カリフであり、シーア派の初代イマームでもあります。

 661年、アリーはイラクのナジャフにある「クーファの大モスク」で暗殺されました。遺体はその地に埋葬されたと一般には信じられています。しかし1135年頃、イラクから遠く離れたバルフ近郊のアル・ハイル村の住民達が、アリーが夢枕に立つとセルジューク朝の領主のクマジュに訴えました。

 領主が部下に夢の場所を掘らせてみると、アリーの遺体と証拠のレンガが見つかったので、領主は立派な廟を建てて祭りました。

 しかし、13世紀にモンゴル軍が襲来し地域が混乱した為か、墓の場所は分からなくなっりまし。

 1480年頃、領主のフサイン・バイカラの元に墓の在り処を示す書物を持った人物が現れました。スルタンがその場所に行ってみると墓が見つかったので大いに喜びし、立派な廟を建てたという伝承があります。これが現在のブルーモスクの原型であり、マザーリシャリーフは信仰を集め、隣街のバルフに代わってこの地方の中心都市として発展しました。



マザーリシャリーフのブルーモスク
Source:Wikimedia Commons


マザーリシャリーフのブルーモスク
Source:Wikimedia Commons


フンザ1つづく