シルクロードの今を征く Now on the Silk Road パドヴァ( Padova、イタリア) スクロヴェーニ礼拝堂11 Cappella degli Scrovegni 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2020年10月10日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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Source:Wikimedia Commons パブリック・ドメイン, リンクによる 礼拝堂内部に描かれている場面(ほぼすべて) スクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画に描かれているのは「キリストの生涯」と「聖母マリアの生涯」です。なかでも『受胎告知』の場面が内陣アーチの中央部分を占め、最重要な絵画になっています。 ◆キリストの生涯(北南の壁、祭壇を望み右の壁(水色)、下段域) %34 ・弟子の足を洗うキリスト (The washing of the feet) Source:Wikimedia Commons パブリック・ドメイン, リンクによる 注)洗足式とは、足を洗うキリスト教の儀式。 最後の晩餐のとき、イエス・キリストが弟子たちの足を洗い、 「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、 あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」(ヨハネ による福音書13:1-17、新共同訳聖書)と命じた聖句によるもの です。 #35 ・ユダの接吻、キリストの逮捕(The Kiss of Judas) Source:Wikimedia Commons パブリック・ドメイン, リンクによる 注)ユダの接吻とは ユダの接吻は新約聖書においてユダがイエス・キリストを売る為に 行った行為の場面です。 最後の晩餐の翌日、キリストはゲッセ マネの園にいました。 三名の使徒と共にいると、なにやら足音が聞 こえてきます。 明かりと武器を持った、ユダヤ祭司長の兵士一団が 現れたのです #36 ・キリストを引見するカイアファ (Jesus before Caiaphas) Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 4.0, Link %37 ・鞭打たれるキリスト (Flagellation of Christ) Source:Wikimedia Commons Public Domain, Link #38 ・十字架磔刑への道行 (The ascent to Calvary) Source:Wikimedia Commons Public Domain, Link 注)十字架磔刑への道行 イエス・キリストの裁判の行われたピラトの総督邸からイエスの受難の 道をたどる礼拝は,エルサレムを訪れる巡礼者たちによって古くから 実際に行われていました。またこれらの一連の道行きの場面を視覚的 に表現したものはシャルトル聖堂浮彫 (13世紀) にもみられますが,14 世紀以来聖フランシスコ修道会によってこの礼拝方法が聖堂内での信 心に用いられはじめて以来,イエスへの死刑宣告から埋葬にいたる各 場面が 14図として聖堂内に図示されるようになりました。信者たちはそ のひとつひとつの場面を見て黙想した。死刑宣言,十字架を荷い,転倒, 聖母との出会い,シモンの助け,聖ベロニカイエスの顔を拭い,2度目の 転倒,エルサレムの女への慰め,3度目の転倒,衣をはがれ,十字架へ の磔刑,十字架上での絶命,降架,埋葬から成る 14図が完全に形を整 えるのは 15世紀以後であり,15世紀デューラーの銅版画にみられます。 出典:出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 %39 ・はりつけ、磔刑 (Crucifixion) Source:Wikimedia Commons パブリック・ドメイン, リンクによる 注)・はりつけ、磔刑 キリストの磔刑は、キリスト教の聖典である新約聖書の四『福音書』に 書かれているエピソードの一つです。ナザレのイエスがエルサレム神殿 を頂点とするユダヤ教体制を批判したため、死刑の権限のないユダヤ 人の指導者たちによって、その権限のある支配者ローマ帝国へ反逆者 として渡され、公開処刑の死刑である十字架に磔(はりつけ)になって処 刑されたというものである。 スクロヴェーニ礼拝堂12につづく <ヴェネツィア総合メニュー> |