2012年11月22日〜25日、青山貞一、池田こみち(ともに環境総合研究所顧問、東京都品川区)は、宮城県、仙台市および岩手県内の「がれき処理状況」を現地視察したが、それに関連し、津波被災地を訪問してきたので、概要を紹介したい。
第1日目 2012年11月23日(金)
■岩手県陸前高田市
気仙沼市の海上地区、気仙沼地区を視察した後、わたくしたちは一路、国道45号線を岩手県に向かった。
下の地図にあるように、宮城県気仙沼市のすぐ北が岩手県陸前高田市である。
出典:グーグルマップ
陸前高田市の中心市街地は、下の地図で分かるように、松林がある高田松原の背後に平坦に広がるまちである。高田松原は1本の松の木を残し、3.11の大津波で破壊され、背後地の陸前高田の市街地を席巻した。
出典:グーグルマップ
その結果、陸前高田市は、南三陸町同様、もろに大津波を受け、甚大な被害を受けた。
市町村名 |
死者数A |
行方不明者数B |
死者+行方不明者数A+B=C |
陸前高田市 |
1,546 |
562 |
2,108 |
以下は陸前高田市の浸水被害の実態である。図より分かるように陸前高田市では、市域の相当奥深くまで浸水していることが分かる。
出典:東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会配付資料
以下は岩手県内の市町村別の死者、行方不明者数である。
出典:東北地方太平洋沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門調査会配付資料
陸前高田市にて 2011.8.24 撮影:青山貞一
この陸前高田市は、市町村合併により多くの町村が合併して出来ているのだが、明治三陸津波、昭和三陸津波、とくに1896年の明治三陸津波来襲時には、以下にあるように、やはり甚大な被害を受けている。
ただし、以下の表では旧町村間で死亡者すうに重複がある。重複を省くと明治三陸津波時の死亡者は845人になる。
★根崎・集(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
波高:32.6m* *32.60m(C1934)
死者:570人(広田村)
流失倒壊戸数:146戸(同上) |
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波高:28.87m(根崎・集)*
*28.87m(根崎・集)(C1934)
死者:2人 (同上)* *2人(同上)(C1934)
流失倒壊戸数:* *24戸(同上)(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*1.65ha(同上)(C1934)
浸水家屋:* *1戸(同上)(C1934) |
★高田(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
死者:19人
流失倒壊戸数:1戸 |
|
死者:3人
流失倒壊戸数:
家屋流失倒壊区域(坪):
浸水家屋:4戸 |
★沼田(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:4.21m
死者:11人(米崎村)
流失倒壊戸数:18戸(同上) |
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浸水家屋:32戸(米崎村) |
★脇ノ坂(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:4.21m
死者:11人(米崎村)
流失倒壊戸数:18戸(同上) |
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波高:3m
死者:8人
浸水家屋:32戸(米崎村) |
★中沢浜(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
死者:570人(広田村)
流失倒壊戸数:146戸(同上) |
|
死者:2人
流失倒壊戸数:50戸(泊・中沢浜)
家屋流失倒壊区域(坪):10500坪(同上)
移動戸数:45戸(同上) |
★泊(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
波高:6m* *6m(C1934)
死者:570人(広田村)
流失倒壊戸数:146戸(同上) |
|
波高:4m * *4m(C1934)
死者:7人 * *6人(C1934)
流失倒壊戸数:50戸(泊・中沢浜)*
*59戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):10500坪
(同上)* *3.47ha(C1934)
浸水家屋:* *10戸(C1934)
移動戸数:45戸(同上)
達成面積(坪):2735坪(同上) |
★大洋(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
死者:570人(広田村)
流失倒壊戸数:146戸(同上)
再生形態: |
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浸水家屋:4戸 |
★長洞(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
死者:570人(広田村)
流失倒壊戸数:146戸(同上) |
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死者:3人
浸水家屋:8戸 |
★唯出(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
波高:9.2m* *9.2m(C1934)
死者:203人(小友村)
流失倒壊戸数:56戸(同上)
再生形態:分散移動 |
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波高:7.7m* *7.7m(C1934)
死者:8人 * *8人(C1934)
流失倒壊戸数:35戸* *33戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):8500坪*
*2.81ha(C1934)
浸水家屋:35戸 * *2戸(C1934)
再生形態:分散移動
移動戸数:19戸
達成面積(坪):1113坪
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★両替(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
死者:203人(小友村)
流失倒壊戸数:56戸(同上) |
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浸水家屋:28戸
再生形態:分散移動 |
★三月市(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
波高:1.4m
死者:203人(小友村)
流失倒壊戸数:56戸(同上) |
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波高:1.7m
浸水家屋:30戸
再生形態:分散移動 |
★森崎(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
死者:203人(小友村)
流失倒壊戸数:56戸(同上) |
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浸水家屋:1戸 |
★塩谷(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
死者:203人(小友村)
流失倒壊戸数:56戸(同上) |
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★谷ノ浦(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
死者:203人(小友村)
流失倒壊戸数:56戸(同上) |
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★砂盛・古谷・双六・要谷・福吉(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
波高:3.45m
死者:42人(気仙町)
流失倒壊戸数:36戸(同上) |
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波高:3.85m
浸水家屋:16戸 |
★長谷(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
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昭和三陸津波(1933) |
波高:3.45m*
*3.45m(C1934)
死者:42人(気仙町)
流失倒壊戸数:36戸(同上) |
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波高:3.85m* *3.85m(C1934)
死者:31人* *32人(C1934)
流失倒壊戸数:105戸*
*102戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):8688坪*
*2.87ha(C1934)
浸水家屋:62戸 * *3戸(C1934)
再生形態:地区改正
移動戸数:86戸
達成面積(坪):5364坪 |
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参照・引用文献の出典:
・明治大学 建築史・建築論研究室著の「三陸海岸の集落 災害と再生」
・青山・池田:三陸海岸 津波被災地現地調査 過去の津波被害(詳細)
陸前高田市臨海主要部地図 出典:マピオン
◆第一次岩手・宮城被災地現地調査(2011.8)報告より
下の写真はまさに焦土と化した陸前高田市の中心市街地があった場所に立つ池田こみち。
陸前高田市にて 2011.8.24 撮影:青山貞一
下の動画を見てもらうと分かるように、ここにあった陸前高田市の中心市街地は、まったく無くなっていることが分かる。
陸前高田市の被災地 2011.8.24 動画撮影:青山貞一
東日本大震災・津波後の陸前高田中心部。 見渡す限り”焦土化”していた!
出典:グーグルアース
陸前高田市の被災地調査は、今回で2度目である。下は大船渡市方面から入り気仙沼方面に抜けるまでを撮影した動画である!2011年11月20現在にあって、瓦礫が片付けられたものの、津波によるまちの壊滅状態は変わっていない。
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以下は、今回、気仙沼市の調査終了後、国道45号線で気仙沼から陸前高田市に入って海沿いの津波で甚大な被害を受けた市街地を抜けるところまでを撮影した動画である。
動画撮影:青山貞一 Yashika ハイビジョンビデオカメラADV-1025HD
見ると分かるように、昨年の8月、11月の動画、写真と比べてもほどんど変わっていないことが分かる。
つづく |