◆過去(明治、昭和)における津波・被害・対応
今回の現地調査に関連し、過去における1896年(明治29年)の三陸海岸に押し寄せた津波の規模、被害、対応などの文献資料調査を行った。調査した文献資料の中に明治大学 建築史・建築論研究室著の「三陸海岸の集落 災害と再生:1896, 1933,
1960」報告があった。
この報告資料によれば、1896年に明治三陸津波が三陸海岸に押し寄せ、三陸各地の集落で膨大な数の犠牲者が出ており、1933年の昭和三陸津波でも被害が出ていたことが分かった。
同資料には、現在の三陸海岸の集落単位のデータが示されており、東日本大震災・津波の規模、影響、被害、対応を評価する際に大いに参考になるものである。
ちなみに1896年(明治29年)の明治三陸地震(推定マグニチュードで8.2から8.5:地震の規模は東北地方太平洋沖地震の15分の1から5分の1ぐらい)とされているが、当時の地震評価技術からして推定マグニチュード数の信頼性はそれほど高くないと思われる。
逆に、本稿の末尾に示した東日本大震災津波と明治三陸地震津波の被害及び津波の波高から評価、判断すると、両者はほぼ同規模であると推察される(青山貞一)。
以下は今回の現地調査の対象地域における明治三陸津波、昭和三陸津波の影響、被害、修復データである。
調査対象となった三陸海岸 作成:青山貞一
●大槌町
資料にあるデータを見ると、たとえば明治三陸津波は大槌町に波高3.8mをもたらし、900名の住民が亡くなっている。昭和三陸津波では波高が2.3mで27名が死亡していることが分かった。これら過去のデータを見ると、東日本大震災・津波の波高に比べると1/5〜1/10であっても、多くの犠牲者を出していたことが分かった。
大槌町では明治、昭和の大津波の経験から高台に住居を移すなどさまざまな対策をとってきたことが分かる。しかし、東日本大震災・津波では、過去を遙かに上回る1,500名以上の死亡者・行方不明者を出してしまったことになる。
大槌町臨海主要部地図 出典:マピオン
大槌町被災地(主に安渡地区) 2011.8.24 動画撮影:青山貞一
★大槌町 |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:3.8m* *3.8m(C1934)
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上)
再生形態:分散移動 |
|
波高:2.3m* *2.3m(C1934)
死者:* *27人(大槌・小槌)(C1934)
流失倒壊戸数:* *222戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):* *8.66ha(C1934)
浸水家屋:* *135戸(大槌+小槌)(C1934) |
★赤浜(現在、大槌町) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:4.2m* *4.20m(C1934)
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上) |
|
波高:3.9m* *3.90m(C1934)
流失倒壊戸数:* *4戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):* *0.29ha(C1934)
浸水家屋:* *26戸(C1934) |
★浪板(現在、大槌町) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:8.85m* *8.85m(C1934)
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上)
再生形態:分散移動 |
|
波高:4.75m* *4.75m(C1934)
流失倒壊戸数:* *6戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):* *0.09ha(C1934) |
★吉里吉里(現在、大槌町) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:8.5m* *8.5m(C1934)
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上)
再生形態:分散移動 |
|
高:4.2m* *4.2m(C1934)
死者:10人* *6人(C1934)
流失倒壊戸数:107戸 * *97戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):21466坪*
*7.09ha(C1934)
浸水家屋:170戸* *10戸(C1934)
再生形態:集団移動
移動戸数:100戸
達成面積(坪):4932坪 |
★安渡(現在、大槌町) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:3.0m* *3.0m(C1934)
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上) |
|
波高:2m* *2.00m(C1934)
死者:22人* *14人(C1934)
流失倒壊戸数:171戸(安渡・惣川・小枕) * *151戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*3.69ha(C1934)
浸水家屋:218戸* *20戸(C1934)
再生形態:集団移動
移動戸数:20戸
達成面積(坪):930坪 |
★小槌(現在、大槌町) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上) |
|
死者:29人* *27人(小鎚・大鎚)(C1934)
流失倒壊戸数:* *222戸(小鎚・大鎚)(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪)* *12.40ha(C1934)
浸水家屋:561戸* *135戸(小鎚・大鎚)(C1934)
再生形態:集団移動 |
★小枕(現在、大槌町) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上) |
|
流失倒壊戸数:171戸(安渡・惣川・小枕)
家屋流失倒壊区域(坪):
再生形態:集団移動
移動戸数:40戸
達成面積(坪):1782坪 |
★惣川(現在、大槌町) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:900人(大槌町)
流失倒壊戸数:500戸(同上) |
|
流失倒壊戸数:171戸(安渡・惣川・小枕)
家屋流失倒壊区域(坪):
移動戸数:20戸
達成面積(坪):790坪 |
|
●釜石市
同資料によれば、現在、釜石市が市町村合併する前の各町村では、明治三陸津波で8,181人な数の住民が亡くなっていることが分かる。
報告によれば、1896年に明治三陸津波が三陸海岸に押し寄せ、当時、旧釜石市では波高7.9mの津波により5,000人に及ぶ死者がでていることが分かった。また小白浜地区では、波高が14.6mもあり、小白浜地区を含む唐丹村では2,136人もの住民が亡くなっていることが分かった。
釜石市臨海部地図 出典:マピオン
釜石市被災地 2011.8.23 動画撮影:青山貞一
★釜石(現在、釜石市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:7.9m* *7.9m(C1934)
死者:5000人(釜石市)
流失倒壊戸数:615戸(同上) |
|
波高:4.13m* *9.30m(C1934)
死者:1人
家屋流失倒壊区域(坪):*
*34.56ha(C1934)
浸水家屋:1267戸 |
★大石(現在、釜石市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:12.5m* *12.5m(C1934)
死者:2136人(唐丹村)
流失倒壊戸数:224戸(同上) |
|
波高:6.9m* *6.90m(C1934)
浸水家屋:1戸 |
★荒川(現在、釜石市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:13m*
*13.0m(C1934)
死者:2136人(唐丹村)
流失倒壊戸数:224戸(同上) |
|
波高:7.8m* *7.80m(C1934)
死者:4人* *7人(C1934)
流失倒壊戸数:* *11戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*0.33ha(C1934)
浸水家屋:10戸 |
★片岸(現在、釜石市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:2136人(唐丹村)
流失倒壊戸数:224戸(同上)
再生形態:分散移動 |
|
死者:5人* *3人(C1934)
流失倒壊戸数:34戸* *33戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):19000坪*
*6.54ha(C1934)
浸水家屋:31戸* *1戸(C1934)
再生形態:集団移動
移動戸数:60戸
達成面積(坪):2762坪 |
★小白浜(現在、釜石市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:14.6m* *16.60m(C1934)
死者:2136人(唐丹村)
流失倒壊戸数:224戸(同上)
再生形態:集団移動 |
|
波高:9.6m* *9.30m(C1934)
死者:4人
流失倒壊戸数:108戸
家屋流失倒壊区域(坪):12430坪*
*4.12ha(C1934)
浸水家屋:105戸
再生形態:集団移動
移動戸数:85戸
達成面積(坪):4168坪 |
★本郷(現在、釜石市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:14.5m*
*14.50m(C1934)
死者:2136人(唐丹村)
流失倒壊戸数:224戸(同上)
再生形態:集団移動
|
|
波高:9.3m* *9.30m(C1934)
死者:209人
流失倒壊戸数:101戸
家屋流失倒壊区域(坪):25500坪*
*5.21ha(C1934)
浸水家屋:101戸
再生形態:集団移動
移動戸数:101戸
達成面積(坪):5637坪 |
★室浜(現在、釜石市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:6.9m* *6.9m(C1934)
死者:1045人(鵜住居村)
流失倒壊戸数:227戸
(鵜住居村)
再生形態:集団移動 |
|
波高:6.0m* *6.0m(C1934)
死者:1人* *1人(C1934)
流失倒壊戸数:* *15戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*0.42ha(C1934)
浸水家屋:29戸* *14戸(C1934) |
★根浜(現在、釜石市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:1045人(鵜住居村)
流失倒壊戸数:227戸(同上) |
|
流失倒壊戸数:* *8戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*0.18ha(C1934)
浸水家屋 :11戸* *3戸(C1934) |
★花露辺(現在、釜石市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:13.8m* *13.80m(C1934)
死者:2136人(唐丹村)
流失倒壊戸数:224戸(同上)
再生形態:分散移動 |
|
波高:8.3m* *8.30m(C1934)
死者:4人* *6人(C1934)
流失倒壊戸数:26戸*
*13戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):2000坪*
*0.66ha(C1934)
浸水家屋:18戸* *3戸(C1934)
再生形態:集団移動
移動戸数:20戸
達成面積(坪):1425坪 |
|
●大船渡市
同資料によれば、現在、大船渡市が市町村合併する前の各町村では、明治三陸津波で3,143人と膨大な数の住民が亡くなっていることが分かった。
とりわけ重要なのは、本郷地区にて明治三陸津波によって波高が最高26.13m、昭和三陸津波の波高でも13.25mもあったことである。おそらくこの波高は地形に原因があったと推察されるが、我が国の過去の津波の波高にこのような大きな値があったことは、直視する必要があると思う。
今回の東日本大震災・津波では、陸前高田全体で449人の甚大な被害者を出している。
大船渡市臨海主要部地図 出典:マピオン
大船渡被災地 2011.8.24 動画撮影:青山貞一
★本郷(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:26.13m* *26.13m(C1934)
死者:194人(吉浜村)
流失倒壊戸数:73戸(同上)
再生形態:分散移動 |
|
波高:1.41m* *14.30m(C1934)
死者:3人
流失倒壊戸数:431戸
家屋流失倒壊区域(坪):52700坪*
*50.50ha(C1934)
浸水家屋:19戸
再生形態:分散移動
移動戸数:11戸
達成面積(坪):549坪 |
★甫嶺(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高 13.25m* *13.25m(C1934)
死者 430人(越喜来村)
流失倒壊戸数 118戸
(同上)
再生形態:分散移動 |
|
波高:8.63m* *8.63m(C1934)
死者:6人* *6人(C1934)
流失倒壊戸数:23戸*
*21戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):1808坪*
*0.59ha(C1934)
浸水家屋:33戸 * *2戸(C1934)
再生形態:分散移動
移動戸数:21戸
達成面積(坪):1252坪 |
★泊(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:430人(越喜来村)
流失倒壊戸数:118戸(同上) |
|
死者:* *1人(C1934)
流失倒壊戸数:29戸*
家屋流失倒壊区域(坪):*
*0.94ha(C1934)
浸水家屋:29戸*
再生形態:分散移動 |
★浦浜(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:9.28m* *9.28m(C1934)
死者:430人(越喜来村)
流失倒壊戸数:118戸(同上)
再生形態:分散移動 |
|
波高:6.72m* *6.72m(C1934)
死者:19人
流失倒壊戸数:58戸
家屋流失倒壊区域(坪):24899坪*
*8.22ha(C1934)
浸水家屋:66戸
再生形態:分散移動
移動戸数:70戸
達成面積(坪):3494坪 |
★崎浜(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:11.63m* *11.63m(C1934)
死者:430人(越喜来村)
流失倒壊戸数:118戸(同上)
再生形態:地区改正 |
|
波高:7.8m* *7.80m(C1934)
死者:31人
流失倒壊戸数:49戸
家屋流失倒壊区域(坪):7526坪*
*2.49ha(C1934)
浸水家屋:47戸
再生形態:分散移動
移動戸数:25戸
達成面積(坪): 780坪 |
★小石浜(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸(同上)
|
|
死者:4人*
流失倒壊戸数:
家屋流失倒壊区域(坪):
浸水家屋:13戸*
再生形態:分散移動 |
★砂子浜(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸(同上) |
|
死者:1人
浸水家屋:2戸 |
★白浜(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:25.6m*
*25.60m(C1934)
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸
(同上) |
|
波高: 18.6m* *18.60m(C1934)
死者: 18人
流失倒壊戸数:34戸
家屋流失倒壊区域(坪):7983坪*
*2.64ha(C1934)
浸水家屋:34戸
再生形態:集団移動
移動戸数: 15戸
達成面積(坪): 842坪 |
★野々浦(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:* *8.0m(C1934)
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸(同上)
再生形態: |
|
浸水家屋:6戸 * |
★岩崎(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸(同上) |
|
死者:1人 * *1人(C1934)
流失倒壊戸数:* *19戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*0.47ha(C1934)
浸水家屋:31戸 * *12戸(C1934) |
★湊(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:12.57m*
*12.57m(C1934)
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸(同上) |
|
波高:9m* *9.00m(C1934)
死者:62人
流失倒壊戸数:117戸
家屋流失倒壊区域(坪):14016坪*
*4.66ha(C1934)
浸水家屋:117戸
再生形態:集団移動
移動戸数:146戸
達成面積(坪): 7287坪 |
★石浜(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸(同上) |
|
波高:9.0m* *9.0m(C1934)
死者:7人 * *7人(C1934)
流失倒壊戸数:29戸* *27戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):2744坪*
*0.91ha(C1934)
浸水家屋:29戸 * *2戸(C1934)
再生形態:集団移動
移動戸数:20戸
達成面積(坪):1130坪 |
★田浜(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:11.0m* *11.0m(C1934)
死者:1347人(綾里村)
流失倒壊戸数:186戸(同上) |
|
波高:7.7m* *7.7m(C1934)
死者:1人* *1人(C1934)
流失倒壊戸数:37戸* *31戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):2448坪*
*0.81ha(C1934)
浸水家屋:37戸 * *6戸(C1934)
再生形態:集団移動
移動戸数:18戸
達成面積(坪):898坪 |
★佐野(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上) |
|
家屋流失倒壊区域(坪):*
*13.87ha(C1934)
浸水家屋:1戸 |
★宿(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:2.7m* *2.70m(C1934)
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上) |
|
波高:1.8m* *1.80m(C1934)
死者:0人* *1人(C1934)
流失倒壊戸数:33戸* *28戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):4370坪*
*1.44ha(C1934)
浸水家屋:33戸* *5戸(C1934)
再生形態:集団移動
移動戸数:20戸
達成面積(坪):1313坪 |
★生形(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上) |
|
死者:3人* *2人(C1934)
流失倒壊戸数:* *13戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*1.02ha(C1934)
浸水家屋:26戸 * *13戸(C1934) |
★山口(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上) |
|
流失倒壊戸数:* *10戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*1.16ha(C1934)
浸水家屋:19戸 * *9戸(C1934) |
★永浜(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:5.45m* *5.45m(C1934)
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上) |
|
波高:3.09m* *3.09m(C1934)
死者:10人* *8人(C1934)
流失倒壊戸数:* *33戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*1.90ha(C1934)
浸水家屋:40戸 * *7戸(C1934) |
★清水
(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上) |
|
死者:16人* *8人(C1934)
流失倒壊戸数:* *16戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*2.41ha(C1934)
浸水家屋:25戸* *9戸(C1934)
|
★蛸ノ浦(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:6.1m*
*6.10m(C1934)
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上) |
|
波高:4.3m* *4.30m(C1934)
死者:32人* *32人(C1934)
流失倒壊戸数:* *40戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*3.66ha(C1934)
浸水家屋:53戸* *13戸(C1934) |
★長崎(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上) |
|
死者:* *1人(C1934)
流失倒壊戸数:* *2戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*30.33ha(C1934)
浸水家屋:5戸* *3戸(C1934) |
★合足(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:18m*
*18.00m(C1934)
死者:455人(赤崎村)
流失倒壊戸数:29戸(同上) |
|
波高:13m* *13.00m(C1934)
死者:20人* *13人(C1934)
流失倒壊戸数:* *8戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*4.27ha(C1934)
浸水家屋:11戸 * *3戸(C1934) |
★碁石(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上) |
|
家屋流失倒壊区域(坪):*
*0.05ha(C1934) |
★泊里(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:8m *
*8.00m(C1934)
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上) |
|
波高:6.5m* *6.50m(C1934)
死者:9人 * *8人(C1934)
流出倒壊戸数:42戸* *29戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):7300坪*
*2.41ha(C1934)
浸水家屋:42戸 * *13戸(C1934)
再生形態:分散移動
移動戸数:19戸
達成面積(坪):136坪 |
★門ノ浦(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:8.9m
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上) |
|
波高:6.5m
流失倒壊戸数:* *8戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*0.31ha(C1934)
浸水家屋:12戸 * *4戸(C1934) |
★小河原(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上)
|
|
流失倒壊戸数:*
*1戸(梅神・小河原)(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪)*
*0.02ha(梅神・小河原)(C1934)
浸水家屋:1戸 |
★梅神(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上) |
|
流失倒壊戸数: *
*1戸(梅神・小河原)(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪)*
*0.02ha(梅神・小河原)(C1934) |
★小細浦(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上) |
|
死者:* *4人(C1934)
流失倒壊戸数:* *13戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*0.66ha(C1934)
浸水家屋:* *2戸(C1934) |
★細浦(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:5m* *5.0m(C1934)
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上) |
|
波高:3m * *3.0m(C1934)
死者:* *1人(C1934)
流失倒壊戸数:33戸*
*32戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):3200坪*
*1.06ha(C1934)
浸水家屋:* *1戸(C1934)
再生形態:
移動戸数:35戸
達成面積(坪):1863坪 |
★舟河原(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:620人(末崎村)
流失倒壊戸数:156戸(同上 |
|
死者:* *15人(C1934)
流出倒壊戸数:* *9戸(C1934)
家屋流出倒壌区域(坪):*
*0.26ha(C1934) |
★下平渡平(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:7m
死者:97人(大船渡町)
流失倒壊戸数:67戸(同上) |
|
波高:6m
死者:2人
流失倒壊戸数:
家屋流失倒壊区域(坪):
浸水家屋:113戸
再生形態:分散移動 |
★永沢(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:97人(大船渡町)
流失倒壊戸数:67戸(同上) |
|
浸水家屋:21戸 |
★笹崎(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:97人(大船渡町)
流失倒壊戸数:67戸(同上) |
|
流失倒壊戸数:* *3戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*1.19ha(C1934)
浸水家屋:10戸 |
★赤沢茶屋前(現在、大船渡市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:97人(大船渡町)
流失倒壊戸数:67戸(同上) |
|
波高:1.8m
流失倒壊戸数:
家屋流失倒壊区域(坪):
浸水家屋:100戸 |
|
●陸前高田市
同資料によれば、現在、陸前高田が市町村合併する前の各町村では、明治三陸津波で845人の住民が亡くなっていることが分かる。
とりわけ重要なのは、陸前高田の根崎・集地区にて明治三陸津波による波高が最高で32.6m、昭和三陸津波の波高でも21.5mもあったことである。おそらくこの波高は地形に原因があったと推察されるが、我が国の過去の津波の波高にこのような大きな値があったことは、直視する必要があると思う。
今回の東日本大震災・津波では、陸前高田全体で2,098人の甚大な被害者を出している。
陸前高田市臨海主要部地図 出典:マピオン
陸前高田市の被災地 2011.8.24 動画撮影:青山貞一
★根崎・集(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:32.6m* *32.60m(C1934)
死者:570人(広田村)
流失倒壊戸数:146戸(同上) |
|
波高:28.87m(根崎・集)*
*28.87m(根崎・集)(C1934)
死者:2人 (同上)* *2人(同上)(C1934)
流失倒壊戸数:* *24戸(同上)(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):*
*1.65ha(同上)(C1934)
浸水家屋:* *1戸(同上)(C1934) |
★高田(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:19人
流失倒壊戸数:1戸 |
|
死者:3人
流失倒壊戸数:
家屋流失倒壊区域(坪):
浸水家屋:4戸 |
★沼田(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:4.21m
死者:11人(米崎村)
流失倒壊戸数:18戸(同上) |
|
浸水家屋:32戸(米崎村) |
★脇ノ坂(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:4.21m
死者:11人(米崎村)
流失倒壊戸数:18戸(同上) |
|
波高:3m
死者:8人
浸水家屋:32戸(米崎村) |
★中沢浜(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:570人(広田村)
流失倒壊戸数:146戸(同上) |
|
死者:2人
流失倒壊戸数:50戸(泊・中沢浜)
家屋流失倒壊区域(坪):10500坪(同上)
移動戸数:45戸(同上) |
★泊(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:6m* *6m(C1934)
死者:570人(広田村)
流失倒壊戸数:146戸(同上) |
|
波高:4m * *4m(C1934)
死者:7人 * *6人(C1934)
流失倒壊戸数:50戸(泊・中沢浜)*
*59戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):10500坪
(同上)* *3.47ha(C1934)
浸水家屋:* *10戸(C1934)
移動戸数:45戸(同上)
達成面積(坪):2735坪(同上) |
★大洋(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:570人(広田村)
流失倒壊戸数:146戸(同上)
再生形態: |
|
浸水家屋:4戸 |
★長洞(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:570人(広田村)
流失倒壊戸数:146戸(同上) |
|
死者:3人
浸水家屋:8戸 |
★唯出(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:9.2m* *9.2m(C1934)
死者:203人(小友村)
流失倒壊戸数:56戸(同上)
再生形態:分散移動 |
|
波高:7.7m* *7.7m(C1934)
死者:8人 * *8人(C1934)
流失倒壊戸数:35戸* *33戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):8500坪*
*2.81ha(C1934)
浸水家屋:35戸 * *2戸(C1934)
再生形態:分散移動
移動戸数:19戸
達成面積(坪):1113坪
|
★両替(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:203人(小友村)
流失倒壊戸数:56戸(同上) |
|
浸水家屋:28戸
再生形態:分散移動 |
★三月市(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:1.4m
死者:203人(小友村)
流失倒壊戸数:56戸(同上) |
|
波高:1.7m
浸水家屋:30戸
再生形態:分散移動 |
★森崎(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:203人(小友村)
流失倒壊戸数:56戸(同上) |
|
浸水家屋:1戸 |
★塩谷(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:203人(小友村)
流失倒壊戸数:56戸(同上) |
|
|
★谷ノ浦(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
死者:203人(小友村)
流失倒壊戸数:56戸(同上) |
|
|
★砂盛・古谷・双六・要谷・福吉(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:3.45m
死者:42人(気仙町)
流失倒壊戸数:36戸(同上) |
|
波高:3.85m
浸水家屋:16戸 |
★長谷(現在、陸前高田市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:3.45m*
*3.45m(C1934)
死者:42人(気仙町)
流失倒壊戸数:36戸(同上) |
|
波高:3.85m* *3.85m(C1934)
死者:31人* *32人(C1934)
流失倒壊戸数:105戸*
*102戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):8688坪*
*2.87ha(C1934)
浸水家屋:62戸 * *3戸(C1934)
再生形態:地区改正
移動戸数:86戸
達成面積(坪):5364坪 |
|
●気仙沼市
同資料によれば、現在、気仙沼市が市町村合併する前の各町村では、明治三陸津波で1,437人の住民が亡くなっていることが分かる。
とりわけ重要なのは、気仙沼市の蔵内地区で明治三陸津波で波高が最高で21.5mもあったことである。おそらくこの波高は地形に原因があったと推察されるが、我が国の過去の津波の波高にこのような大きな値があったことは、直視する必要があると思う。
今回の東日本大震災・津波では、陸前高田全体で1,467人の甚大な被害者を出している。
気仙沼市臨海主要部地図 出典:マピオン
気仙沼市の被災地 2011.8.25 動画撮影:青山貞一
★大沢(現在、気仙沼市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:6.5m* *6.5m(C1934)
死者:178人
流失倒壊戸数:53戸
再生形態:集団移動 |
|
波高:3.9m* *3.90m(C1934)
死者:5人* *5人(C1934)
流失倒壊戸数:20戸* *71戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):16950坪*
*5.60ha(C1934)
浸水家屋:60戸* *15戸(C1934)
再生形態:分散移動
移動戸数:23戸
達成面積(坪):2114坪 |
★只越(現在、気仙沼市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:8.3m* *8.3m(C1934)
死者:237人
流失倒壊戸数:51戸 |
|
波高:6.6m* *6.60m(C1934)
死者:10人* *24人(C1934)
流失倒壊戸数:39戸*
*107戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):8250坪*
*2.72ha(C1934)
浸水家屋:135戸* *7戸(C1934)
再生形態:集団移動
移動戸数:32戸
達成面積(坪):2516坪 |
★小鯖(現在、気仙沼市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:5.7m
死者:115人
流失倒壊戸数:27戸
|
|
波高:2.7m
死者:9人
流失倒壊戸数:
家屋流失倒壊区域(坪):
浸水家屋:73戸
再生形態:集団移動 |
★宿浦(現在、気仙沼市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:2.2m* *2.2m(C1934)
死者:36人
流失倒壊戸数:19戸 |
|
波高:1.3m* *1.30m(C1934)
死者:* *4人(C1934)
流失倒壊戸数:9戸* *29戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪):2050坪*
*0.68ha(C1934)
浸水家屋:54戸* *15戸(C1934)
再生形態:集団移動
移動戸数:23戸
達成面積(坪):1859坪 |
★舞根(現在、気仙沼市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:3.3m
死者:13人
流失倒壊戸数:19戸 |
|
波高:2.15m
死者:
流失倒壊戸数:
家屋流失倒壊区域(坪):
浸水家屋:24戸 |
★波路上杉ノ下(現在、気仙沼市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:5.6m
死者:439人
流失倒壊戸数:92戸
再生形態:集団移動 |
|
波高:2.7m
死者:1人
流失倒壊戸数:6戸
家屋流失倒壊区域(坪):3500坪
浸水家屋:101戸
再生形態:分散移動
移動戸数:6戸
達成面積(坪):560坪 |
★大谷(現在、気仙沼市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:4.9m* *4.9m(C1934)
死者:241人
流失倒壊戸数:70戸
再生形態 :分散移動
|
|
波高:2.9m* *2.9m(C1934)
死者:0人
流失倒壊戸数:* *27戸(C1934)
家屋流失倒壊区域(坪): *
*1.16ha(C1934)
浸水家屋:21戸* *3戸(C1934)
再生形態:分散移動
移動戸数 :6戸
達成面積(坪):466坪 |
★二十一浜(現在、気仙沼市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:7.9m
死者:148人
流失倒壊戸数:37戸 |
|
波高:3.7m
死者:9人
流失倒壊戸数:18戸
家屋流失倒壊区域(坪):5250坪
浸水家屋:60戸
再生形態:分散移動
移動戸数:5戸
達成面積(坪):424坪 |
★蔵内(現在、気仙沼市) |
明治三陸津波(1896) |
|
昭和三陸津波(1933) |
波高:21.5m
死者:60人
流失倒壊戸数:19戸 |
|
波高:7.5m
死者:
流失倒壊戸数:4戸
家屋流失倒壊区域(坪):650坪
浸水家屋:
再生形態:分散移動
移動戸数:6戸
達成面積(坪):428坪 |
|
●調査対象地域別津波犠牲者比較
以下は、上記の推計値を現在の市町村に換算して被害者数を比較したものである。
調査対象地域別津波犠牲者比較(推計未了)
★岩手県
津波被害者数
2011年 1896年(推定値)
東日本大震災津波 明治三陸津波
----------------------------------------------------------------
大槌町 1,450人 900人 ( Max8.85m, Ave5.67m)
釜石市 1,180人 8,181人 (Max14.6m, Ave11.9m)
大船渡市 449人 3,143人 (Max26.13m, Ave11.16m)
陸前高田市 2,098人 845人 (Max32.6m, Ave8.5m)
★宮城県 津波被害者数
2011年 1896年(推定値) 東日本大震災津波 明治三陸津波
----------------------------------------------------------------
気仙沼市 1,411人 1,467人 (Max21.5m, Ave7.32m)
----------------------------------------------------------------
合計 6,588人 14,536人
( )内は最高波高と平均波高
出典:東京都市大学青山貞一研究室、環境総合研究所(東京都品川区) |
上記の数字を見ると、東日本大震災・津波の被害が「1000年に一度」という表現は明らかに間違いであることが分かる。明治三陸自身の被害者は、東日本大震災津波とほぼ同規模の被害であり、せいぜい「100年に一度」であることが分かる!
また冒頭に述べたように、1896年(明治29年)の明治三陸地震(推定マグニチュードで8.2から8.5:地震の規模は東北地方太平洋沖地震の15分の1から5分の1ぐらい)とされているが、当時の地震評価技術からして推定マグニチュード数の信頼性はそれほど高くないと思われる。
逆に、本稿に示した東日本大震災津波と明治三陸地震津波の被害及び津波の波高から評価、判断すると、両者はほぼ同規模であると推察される(青山貞一)。
2011年8月23−25日、三陸海岸津波調査対象地域
調査対象となった三陸海岸 作成:青山貞一
つづく |