2018年・東日本大震災 復旧実態調査(福島県編) いわき市塩屋岬・薄磯海岸 青山貞一・池田こみち 環境総合研究所顧問 掲載月日:2018年6月28日 2020年3月11日第2次公開 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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この後、豊間海岸からその北にある薄磯海岸に車を飛ばす。もともと、この辺りは、海岸線にある堤防に沿って一般道があり、そこを通って豊間から薄磯に行けた。 しかし、今回は、両海岸にそって大々的な防波堤、防潮林造成の工事を行っていた。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 下は豊間側ら薄磯側を撮影した写真である。見てわかるように、道路は二手に分かれ、右側は海岸線に沿って薄磯から新舞子に行く道路、左側は二つ目の堤防の左側を通りやはり新舞子側に行く道路となっていた。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 下の写真は上の写真の真ん中にある新たな堤防の上から、海側を遠望したものだ。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 この堤防に上るには下の階段を上ることになる。しかし、道路が二股にわかれる地点には堤防がない(切れている)ので、果たして上の写真の堤防でどれだけ津波に対して効果があるかわからない。 堤防の上は遊歩道として整備されている。 豊間と同様、海側の盛り土を施した堤防にはマツの苗木が植えられており、まだまだ成長に時間がかかる状況は同じである。家屋はこの二つ目の防潮堤の下の道路の陸側に数軒が建っているがほとんど家はなく、かつての薄磯海岸一帯の賑わいはまったくなくなっていた。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 下の表を見るまでもなく、薄磯海岸あたりの津波は、6m前後あった。
つづく |