厳寒のロシア2大都市短訪 エカテリーナ宮殿 主階段 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
ロシア短訪・総目次に戻る ・エカテリーナ宮殿施設・内装 主階段 チャペル 大ホール1 大ホール2 緑の柱の間 中国青壁の間 アレクサンダー一世の間 瑠璃色の間 緑色ダイニング リヨンの応接間1 リヨンの応接間2 アラベスクの広間 給仕人の間 パントリー ダイニング 各部屋の暖炉 ◆サンクトペテルブルグ市 ◆エカテリーナ宮殿に入る 以下が入って正面中央の二階に上る有名な主階段です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpis S9900 2017-2 サンクトペテルブルグ-大エカテリーナ宮殿 - 屋内 Source:Wikimedia Commons エカテリーナ宮殿の前階段 Source:Wikimedia Commons By I, Sailko, CC BY-SA 3.0, Link ◆主階段 The Main Staircase 1750年代、バルトロメオ・フランチェスコ・ラストレッリが大宮殿を再建した際に、入場門から少し離れて、宮殿の南部分のドームと尖塔を冠した部分に主階段を設置しました。 エカテリーナ2世の支配下では、ラストレッリのメイン階段が削除され、ツァルスコエ・セローの女主人の希望に沿い、チャールズ・キャメロンはラストレリが設計した中国の広間の代わりに、宮殿の中心にマホガニーの新しい階段を建設しました。 1860年から63年には建築家イッポリト・モンゲッティ(Ippolito Monighetti)が階段を再建しました。 彼はロココを模倣した様式の大理石の新しいものを製作し、精巧に彫刻された欄干と花瓶で装飾を施しました。 階段は宮殿の全体の高さと幅を占め、東と西の3層の窓から光を取り入れています。白い大理石の階段は、両側から中央の踊り場まで上昇し、そこから4つの階段が各部屋がある1階まで続きます。 壁は、1700年代半ばにここにあった中国の広間を思い出させるような、型押しの飾りや中国と日本の磁器(18世紀と19世紀)で作られた装飾的な花瓶や皿などで飾られていました。 第二次大戦の間、主階段の装飾は火災によって焼失してしまいましたが、わずかに陶磁器のコレクションだけが、大理石の花瓶の破片と共に疎開していて一部生き残り、欄干(手摺り)とともに残骸の中から発見されました。 今日、階段上部の踊り場は、再建され、アレクサンドル2世の妻、マリア・フィオドロブナ皇后の命令によって1860年にヴィクトール・ブロズキーが彫った大理石の彫刻、眠るキューピッドと目覚めるキューピッドが飾られています。 下は階段の両側にある装飾が施された時計の写真です。左右で4つあります。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpis S9900 2017-2 下はその時計の拡大写真です 撮影:青山貞一 Nikon Coolpis S9900 2017-2 下は階段を上ったすぐのところにある寝ているキューピッドの彫刻です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpis S9900 2017-2 撮影:青山貞一 Nikon Coolpis S9900 2017-2 つづく |