厳寒のロシア2大都市短訪 エカテリーナ宮殿 アラベスクの広間 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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ロシア短訪・総目次に戻る ・エカテリーナ宮殿施設・内装 主階段 チャペル 大ホール1 大ホール2 緑の柱の間 中国青壁の間 アレクサンダー一世の間 瑠璃色の間 緑色ダイニング リヨンの応接間1 リヨンの応接間2 アラベスクの広間 給仕人の間 パントリー ダイニング 各部屋の暖炉 ◆サンクトペテルブルグ市 ◆エカテリーナ宮殿 アラベスクの広間 THE ARABESQUE HAL http://eng.tzar.ru/museums/palaces/c_atherine/arabesque_hall 以下はエカテリーナ宮殿のアラベスクの広間の写真です。 ツァルスコエ・セロー(プーシキン)、エカテリーナ宮殿の内部(1717年にヨハン・フリードリッヒ・ブラウンシュテインの指揮下に置かれ、バルトロメオ・フランチェスコ・ラストレッリが1752-1756年に再建しました)。 アラベスクの間(チャールズ・カメロナが家具を整えた)は、2010年に改装されオープンしました。 By Aleks G - Own work, CC BY-SA 3.0, Link Source:Wikimedia Commons アラベスクの広間(アラビア風の広間)は、女帝エカテリーナ2世のために、チャールズ・キャメロンが偉大なツァルスコエエ・セロ宮殿で創造した最も美しいガラ・ルーム(特別の催しのための部屋)のひとつです。 エカテリーナ2世の居住区と私有地は、宮殿南側のラストレッリによる公式な階段(Formal Staircase)、第四および第五の控えの間(Fourth and Fifth Antechambers)の代わりに造られました。そして1779-1780年には女帝の要望によって新たな棟が建設され、 その後、その建物は、Zubov Wingと命名されました。 新しい部屋はスコットランド人で女帝と同じくらい古典的なことについて情熱的なチャールズ・キャメロン(1743~1812)の設計によっるもので、完成までに数年を要しました。 キャメロンは、アラベスク、リヨン、そして中国の間、丸天井の食堂などの装飾を監督し、また、寝室、青の書斎または嗅ぎたばこ入れの間、銀と鏡の書斎、ラファエルの間(個人用居室)などの部屋の装飾を手がけました。 それらの各部屋の内装では、キャメロンはツァルスコエ・セローの女主人を夢中にして、最も独創的な建築思想を実現し彼の同時代を驚かせました。 部屋は第二次世界大戦中にひどく痛みました。 1950年代初めに海軍学校に再建された後、彼らは後に邸宅と美術学校を収容し、2005年に復興が終わった後に歴史的レイアウトを再構築しました。 アラベスクの間は、エカテリーナ2世の一部再建された最初の部屋になりました。 キャメロンはラストレッリの第四控え室の代わりにそれを造りました。その部屋は、建物の幅全体を占め、東西両側から陽射しが差し込でいましたが、1700年代後半には2つに分割されてしまいました。 宮殿内のすべてのガラ・ルームと同様に、アラベスク・ホールはメインの中庭に面しています。 エカテリーナ宮殿のアラベスクの間 By Ринат Камалиев - Own work, CC BY-SA 3.0, Link Source:Wikimedia Commons
エカテリーナ宮殿-アラベスクの間-家具/調度品(プーシキン、ロシア) Source:Wikimedia Commons エカテリーナ宮殿-アラベスクの間-家具/調度品(プーシキン、ロシア) Source:Wikimedia Commons Gzen92 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, リンクによる ツァルスコエ・セロー、エカテリーナ宮殿のアラベスクの間の天井画 作者:チャールス・キャメロン 作法:ペンとブラシ、インドのインクと水彩による。 41x60 cm オリジナル:英国、1780年代初頭 入手経路:キャメロンのアーカイブの一部として1822年にチャールス・キャメロンの先祖から入手したもの。 テーマ:建築 Source:Wikimedia Commons 未了 つづく |