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El Greco - Portrait of a Man - WGA10554
エルグレコ肖像画 (1541年 - 1614年4月7日)
Source:Wikimedia Commons
エル・グレコ - ウィキメディア・コモンズはこのファイルをメトロポリタン美術館プロジェクトの一環として受贈しました。「画像ならびにデータ情報源に関するオープンアクセス方針」Image and Data Resources Open Access Policyをご参照ください。, パブリック・ドメイン, リンクによる
エル・グレコ(El Greco、1541年 - 1614年4月7日)は、現在のギリシア領クレタ島、イラクリオン出身の画家です。
本名はドメニコス・テオトコプーロス(Δομ?νικο? Θεοτοκ?πουλο)で、一般に知られるエル・グレコの名は、スペイン来訪前にイタリアにいたためイタリア語で「ギリシャ人」を意味するグレコにスペイン語の男性定冠詞エルがついた通称であります。
マニエリスム後期の巨匠として知られる。マドリードにあるプラド美術館には、グレコの作品が多数展示されています。
参照:Wikipedia |
下はエル。グレコの 『使徒ペトロとパウロ』 1587 - 1592年です。
使徒ペトロとパウロ
エル・グレコ 『使徒ペトロとパウロ』 1587 - 1592年
エルミタージュ美術館所蔵 Source:Wikimedia Commons
エル・グレコ - Hermitage Torrent(.torrent with info-hash), パブリック・ドメイン, リンクによる
下はエル・グレエコの『使徒ペトロとパウロ』を展示している新エルミタージュの展示室です。本当に、身近な場所に展示されています。
新エルミタージュ・ギリシャ・ローマ絵画ギャラリー
出典:グーグルストリートビュー
《聖ペトロと聖パウロ》はカタルーニャ美術館が1932年に購入し、現在同場所で展示されています。
エル・グレコはスペインのトレドに住んでいる間、1590年と1600年の間に《聖ペトロと聖パウロ》を完成させました。
《聖ペトロと聖パウロ》は、イエスの2人の弟子です、ペトロとパウロを描いています。絵の左側はペテロで右側にはパウロです。カタルーニャ州美術館において、「《聖ペトロと聖パウロ》は近代的な豊かな色づかいで、エル・グレコはイタリアのヴェネツィアで学んだ成果が見られる」と紹介されています。
エル・グレコは、背景の雲の中に丸く青空を描くことで聖人の頭の周りに光背が現れているように表現しました。ペトロとパウロの手の位置は交差してお互い触れていません。それは二人の間の意見の相違を象徴しています。
年長のペテロは、左側のパウロに向かって手振りで意思表示し、意見の相違に伏することを表現しています。聖書では、ペテロはイエスがの最初の弟子の一人です。
マタイの書で、イエスはペテロに「私はこの岩の上に私の教会を建て、黄泉の門もそれに対抗できません。私はあなたに天の国の鍵を授けます。あなたが地上でつむぐことは、天でもつむがれます。地上で解くことは天国でも解かれる。」と語っています。
本作でも、ペテロは左手に天国の鍵を持っています。また、パウロはイエスの忠実な兵士であり支持者として、彼の殉教のシンボルである剣を抱えています。
出典:MUSEY
作者 |
El Greco(1541~1614) エルグレコ |
タイトル |
English:Saint Peter and Saint Paul
邦題:『使徒ペトロとパウロ』 |
所蔵 |
エルミタージュ美術館(ロシア) |
Accession number |
ГЭ-390Accession number retrieved from Wikidata |
Source/Photographer |
Hermitage Torrent |
エル・グレコは、現在のギリシア領クレタ島、イラクリオン出身の画家。本名はドメニコス・テオトコプーロスで、一般に知られるエル・グレコの名は、スペイン来訪前にイタリアにいたためイタリア語で「ギリシャ人」を意味するグレコにスペイン語の男性定冠詞エルがついた通称です。マニエリスム後期の巨匠として知られています。マドリードにあるプラド美術館には、グレコの作品が多数展示されています。
ヴェネツィア共和国統治時代のクレタ島のカンディア(現イラクリオン)に生まれ、イタリアを経てスペインに渡り、トレドに暮らしました。
ギリシア人でありながらフェリペ2世に仕えようとしましたが、グレコの作品はフェリペに評価されず、宮廷画家になることは叶いませんでした。グレコは晩年に至るまで自身の作品にギリシア語の本名でサインをしていました。
グレコの現存する作品のおよそ85%が聖人画を含む宗教画であり、10%は肖像画となっています。グレコは絵画だけではなく、彫刻や建築の構想も手掛け、特にスペインにいた時期は建築に強い関心を寄せましたが、実際に建物の建築をすることはありませんでした。一方でグレコは自分が描いた油彩画が収められる祭壇衝立の設計、工房の彫刻家の人物像の原案の素描、建築家と共に祭壇衝立の設置される礼拝堂の建築、採光の考案なども手掛けています。
つづく
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