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 サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群
 
 
      
 ◆西洋絵画コレクション
 
 
 
        
          
            | ◆フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス (1746年3月30日 - 1828年4月16日)
 
 
  フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス肖像
 Source:Wikimedia Commons
 ヴィセンテ・ロペス・イ・ポルターニャ - Museo Nacional del Prado, Galería online, パブリック・ドメイン, リンクによる
 
 
  
 フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテスは、近代絵画の創始者の一人として知られるスペインの巨匠。1780年サン・フェルナンド王立美術アカデミーへの入会が認められ、王室や貴族の肖像画を描きます。
 
 その写実的な作風が当時飽食気味であったロココ美術に変わるものとして支持を受け、1786年国王付の画家、1786年、新国王になったばかりのカルロス4世の任命から宮廷画家となりますが、1790年代に入ると聴覚の喪失、知識人との交流を経て、強い批判精神と観察力を会得します。
 
 1801年に王室を描いた作品『カルロス4世の家族』を制作。また当時のスペインはフランス軍の侵入もあり、自由革命や独立闘争などの争いが絶えなかったという情勢もあり、その時期には『1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺』や、住んでいた家の壁に描いた連作『黒い絵』など数々の名作を描きました。1824年フランスに亡命し、ボルドーで死去。享年82歳。
 
 参照:Wikipedia
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  下はゴヤの 『アントニア・サラテの肖像』 1810 - 1811年です。
 
   ゴヤ 『アントニア・サラテの肖像』 1810 - 1811年
 Source:Wikimedia Commons
 フランシスコ・デ・ゴヤ - 1. arthermitage.org2. The Hermitage, St. Petersburg, パブリック・ドメイン, リンクによる
 
 
 
  撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2017-2
 
 
 
  
            | 作者 | Francisco de Goya(1746~1828) ゴヤ |  
            | タイトル | Spanish:Retrato de la actriz Antonia Zrate |  
            | Portrait of the Actress Antonia Z?rate 邦題 アントニア・サラテの肖
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            | 年月日 | circa 1810~1811年 |  
            | Medium | 油絵キャンバス |  
            | 現在の所蔵 | エルミタージュ美術館 |  
            |  | The New Hermitage, room 239 |  
            | Accession number | ГЭ-10198 |  
            | Object history | gift of Armand Hammer, 1972 |  
下の写真は、エルミタージュ美術館におけるゴヤ、「アントニア・サラテの肖像」
      の実物展示を撮影したものです。
 
 
  撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2017-2
 
 『ドニャ・アントニア・サラテの肖像画(1810~1811)』は、スペインの女優ドニャ・アントニア・サラテ(1775年生、1811年没)を描いた作品である。1810~1811年頃、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤとその工房の弟子たちとで制作したもですだ。
 
 本作品は、現在、ロシアのサンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館で所蔵されています。もし自著入りの作品であれば、ロシアのコレクションにおいて唯一のゴヤ作品です。
 
 本作品は、1811年、彼女の死後に息子のアントニオ・ギル・イ・サラテから依頼されていたようで、おそらく1805年に制作した同題作品に手を加えて仕上げたものと思われます。
 
 1900年まで、本作品はスペインにありましたが、その後、アメリカのニューヨークに売却されました。様々な美術商やオーナー達の間を転々としてきましたが、ケネードラー・ギャラリーが、シカゴにある百貨店の創立者マーシャル・フィールドの相続人から、6万ドルで本作品を買い取りました。
 
 そのギャラリーの所有者は、アメリカの大富豪であり美術品収集家のアーマンド・ハマー(1898年5月21日生?1990年12月10日没)でした。彼は、自身が出資するアーマンド・ハマー財団に16万ドルで本作品を売却するべく、リヒテンシュタイン公国の国境を利用しました。1972年、ハマーは、エルミタージュ美術館に本作品を寄贈し、100万ドルの価値があると主張しました。
 
 出典:MUSEY
 
 
 つづく
 
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