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厳寒のロシア2大都市短訪

   
エルミタージュ西洋絵画

オランダ・レンブラント・ハルメンソーン・
ファン・レイン


青山貞一 Teiichi Aoyama  
池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo

無断転載禁
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 ・西洋画コレクション(大エルミタージュ)
 
 イタリア  ダヴィンチ       イタリア  ラファエロ
   イタリア  ティツィアーノ     イタリア  ジョルジョーネ
   イタリア  カラヴァッジオ    ギリシャ   エル・グレコ  
   スペイン フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ
   スペイン   ベラスケス     フランドル ルーベンス
   フランドル ダイク        オランダ  レンブラント


サンクトペテルブルグ(Saint Petersburg)
  サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群

    

西洋絵画コレクション

◆レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン


Source:Wikimedia Commons
レンブラント・ファン・レイン - Selected work 16a from Self Portrait: Renaissance to Contemporary (Anthony Bond, Joanna Woodall, ISBN 978-1855143579)., パブリック・ドメイン, リンクによる



 レンブラントは、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)の画家で、バロック期を代表する画家の1人です。レンブラント(Rembrandt)の通称で広く知られ、大画面と、光と影の明暗を明確にする技法を得意としました。

 レンブラントは、同じオランダのフェルメール、イタリアのカラヴァッジョ、フランドルのルーベンス、スペインのベラスケスなどと共に、バロック絵画を代表する画家の1人です。また、ヨーロッパ美術史における重要人物の一人でもあります。

 「光の画家」「光の魔術師」の異名を持ち[2]、油彩だけでなくエッチングや複合技法による銅版画やデッサンでも多くの作品を残しました。絵画『夜警』はレンブラントの代表作として著名です。また、生涯を通じて自画像を描いたことでも知られ、これらはその時々の彼の内面までも伝えています。

 若くして肖像画家として成功し、晩年には私生活における度重なる不幸と浪費癖による財政的苦難に喘ぎましだが、生前、すでに著名で高い評価を受けました、オランダには比類すべき画家がいないとさえ考えられています。フェルディナント・ボル、ホーファールト・フリンクなどはレンブラントの弟子として知られます。なお、オランダ政府観光局による片仮名表記はレンブラント・ファン・ラインとなっています。

参照:Wikipedia

 下はレンブラントのフローラに扮したサスキア 1634年です。

・フローラに扮したサスキア


レンブラント  フローラに扮したサスキア 1634年
Source:Wikimedia Commons
レンブラント・ファン・レイン - www.wga.hu : Home : Info, パブリック・ドメイン, リンクによる


 下の写真は、エルミタージュ美術館におけるレンブラント の「フローラに扮したサスキア」 の実物展示を撮影したものです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2017-2

 レンブラントが故郷のライデンからアムステルダムに活動拠点を移し、名声を確立し始めた頃の作品の一つです。

 レンブラントは当時、以前から交流があった画商であり画家のヘンドリック・ファン・アイレンブルフのアムステルダムにある工房に間借りをしており、そこで肖像画を中心として創作活動をしていまし。彼はそこで、アイレンブルフのいとこ(またいとこ、姪という説もある)であるサスキア・ファン・アイレンブルフと1633年に出会い、同年婚約をしました。翌年1634年7月22日には結婚します。

 裕福な一族の一員であった彼女の夫として、レンブラントは多額の持参金と富裕層へのコネクションを手に入れました。サスキアはその後レンブラントの絵画に度々登場します。本作品も元来、サスキアが花と美の女神フローラに扮した肖像画であると考えられてきました。しかし一部の専門家からは、レンブラントが婚約の3日後に描いたサスキアの素描とあまりにも類似点が少なすぎるという点から、この伝統的な解釈に異議を唱える者もいます。

 本作がなぜ製作されたのかその理由は明らかになっていませんが、当時の財産目録などを調べるとサスキアの肖像というよりも商用画「フローラ」として描かれた可能性が高いとされます。この作品の中で女性は牧歌的な田園生活を想像させる羊飼いの衣装を身にまとっていますが、これは肖像画だけでなく当時の詩歌や演劇でも多用された主題であったと言えます。この美しい衣装を見事に細部まで描ききっているのもこの作品の見どころの一つです。

解説の出典:MUSEY


作者 Rembrandt(1606~1669) レンブラント
Title フローラに扮したサスキア
Date
Medium キャンバスの油絵
Dimensions Height: 125 cm (49.2 in). Width: 101 cm (39.8 in).
所蔵 エルミタージュ美術館
ルーム番号 room 254
Object history between 1770 and 1774: acquired by the?Hermitage Museum,?Saint Petersburg
Exhibition history Rembrandt Tentoonstelling. Ter herdenking van de geboorte van Rembrandt op 15 juli 1606, Rijksmuseum,?Amsterdam,?18 May 1956?5 August 1956, Museum Boijmans Van Beuningen,?Rotterdam,?8 August 1956?21 October 1956, OCLC 15659340, cat.no. 24.


・ダナエ


レンブラント ダナエ 1636 - 1647年頃
Source:Wikimedia Commons
レンブラント・ファン・レイン - The Yorck Project (2002年) 10.000 Meisterwerke der Malerei (DVD-ROM), distributed by DIRECTMEDIA Publishing GmbH. ISBN: 3936122202., パブリック・ドメイン, リンクによる

 ダナエとは

 ギリシア神話の女性。アルゴス王アクリシオスの娘。ペルセウスの母。アクリシオスは娘の子に殺されるであろうという神託を得たため,ダナエを青銅の塔に閉じ込めました。ゼウスは黄金の雨に変じて彼女と交わり,ペルセウスが生れました。

 母子はアクリシオスにより木箱に入れられて海に流されましたが,セリフォス島に漂着し,ディクテュスに助けられました。のちにダナエはディクテュスの兄弟で土地の王だったポリュデクテスに求愛されましたが,これがきっかけとなって,すでに成人していたペルセウスがゴルゴ退治の冒険におもむくことになりました。

出典:デジタル大辞泉

作者 Rembrandt(1606~1669) レンブラント
Title ダナエ
作成年月 1636 から 1643年の間
The initial painting was probably finished in 1636 and later altered by Rembrandt himself some time before 1643.
Medium キャンバスの油絵
Dimensions Height: 185 cm (72.8 in). Width: 202.5 cm (79.7 in).
所蔵 Hermitage Museum エルミタージュ美術館
Object history by 1750: Joseph Antoine Crozat (1699-1750),France
1750: inherited by Louis Antoine Crozat (1700-1770),?Paris
1772: purchased by Catherine II of Russia (1729-1796),?Saint Petersburg, through Denis Diderot (1713-1784)
from 1772: Hermitage Museum, Saint Petersburg
Inscriptions Traces of signature and date bottom left: Remb[randt] f 1[63]6
References RKDimages, Art-work number 40824, as?Danae, 1636-1643, 185 × 203 cm (72.8 × 79.9 in).
Web Gallery of Art, as?Dana?, 1636, 165 × 203 cm (65?


・放蕩息子の帰還


レンブラント『放蕩息子の帰還』  1663 - 1665年
Source:Wikimedia Commons
レンブラント・ファン・レイン - 5QFIEhic3owZ-A at Google Cultural Institute, zoom level maximum, パブリック・ドメイン, リンクによる


 本作は、新約聖書ルカ福音書における「放蕩息子」の逸話を題材としています。1666年-1668年に描かれた晩年の作品です。

 父から財産を等分に与えられた兄弟のうち、弟は家を出て放蕩し財産を消費した後、豚の世話役となり、その餌で餓えを凌いでいましたが、最後には実家へと戻るものの、父は息子の帰還を喜び祝福を与える姿を描いたものです。

 「酒場のレンブラントとサスキア」のように「放蕩」を主題としているものの、本作は信仰・慈悲・希望といったキリスト教的価値観や、登場人物の深い感情表現、放蕩息子と父親の親子の繋がりが描かれ、異なる側面がされています。

解説の出典:MUSEY

作者 Rembrandt (1606~1669) レンブラント
タイトル 放蕩息子の帰還
作成年 circa 1668年
Medium キャンバスの油絵
Dimensions Height: 262 cm (103.1 in). Width: 205 cm (80.7 in).
所蔵 エルミタージュ美術館
ルーム番号 room 254
References The State Hermitage Museum: Digital Collection, as Rembrandt,Return of the Prodigal Son, circa 1668, 262 × 205 cm (103.1 × 80.7 in).
RKDimages, Art-work number 40809, as Rembrandt or workshop,Return of the prodigal son, 1660s (1660-1669), 262 × 205 cm (103.1 × 80.7 in).
Web Gallery of Art, as The Return of the Prodigal Son, circa 1669, 262 × 206 cm (103.1 × 81.1 in).
Source/Photographer 5QFIEhic3owZ-A at Google Cultural Institute, zoom level maximum



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