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◆釜石市知人への被災状況インタビュー 池田こみち ●東日本大震災・津波〜3.11から今まで 釜石市中心市街地全景. 写真中左から真ん中の見える工場の多くは新日鐵釜石(製鉄工場) 出典:グーグルアース ここは、海から直線距離で5km内陸に位置しているので、幸い、津波の被害はありませんでした。海辺地域に比べて10mまでは高くないと思います。 その時、3月11日の午後2時40分頃ですが、私は、2kmくらい離れた近くのスーパーに買い物に行って、自宅に戻ったところでした。荷物を玄関に置いたとたんに地震が来て、靴をぬいで家に上がることも出来ず、2階にいる家族に下りてきて下りてきてと大声で声をかけました。玄関を開けたままにして地震が収まるまでじっとしていました。津波は来なかったのですが、上流にある日向ダムが決壊したらどうしようという心配もありました。 幸い、家具などにも被害はなかったのですが、その時から電気、ガス、水道がとまり、寒い時期だったので大変でした。東京の知人が安否確認の伝言ダイヤルをしてくれていたのですが、それにも何日もの間、連絡が取れず、返事をするために何時間も並ばなければならない状態でした。 停電は10日ほど続きました。ガスは1ヶ月半経ってようやく復旧しました。 その間は、電話もテレビも通じず、ラジオだけが頼りでした。釜石の海沿いの商店街などが津波で酷い被害に遭っていることも、地元のことなのにまったく情報がはいらず、神奈川県にいる娘がテレビのニュースを録画して送ってくれて後からその実態を知ったような状況でした。 自分の町がこんなになっているということ後から知ってほんとうにびっくりしました。テレビは有線だったので電気が開通してもなかなか見られませんでした。それで、有線はいざというときに役に立たないと思い、アンテナに切り替えたのです。有線テレビは復旧までにかなり時間がかかりました。 寒い日が続いたので、一部屋にあつまって、ペットボトルにお湯を入れて炬燵に入れたり、鞍下にしたり、そのお湯で洗い物をしたりと工夫しながら過ごしました。 買い物はスーパーが一人5点まで、10点までと品数を制限して販売してくれたのでなんとかそれで凌ぎました。車を持っている人でガソリンに余裕がある人は遠野まで買い出しに行ってくれて助かりました。 撮影:青山貞一 ●避難所の様子 被災された方々はほんとうにお気の毒でかける言葉もありませんでした。自宅のすぐ隣が避難所となったので、町内会で交代制をとって炊き出しなどの手伝いを行っていました。自衛隊の方々も来て、避難所の方々に毎日暖かいおにぎりなどをつくって配りました。 避難された方々は家もなくされ大変な思いをされているのに、海の仕事をしている方が多いせいか、思いの外元気な様子で、子どもたちも明るく過ごしていたのでせめてもの慰めとなりました。 今はすべての避難者が仮設住宅に入ったようですが、一部には仮設では音がうるさくて休めないなどの理由から、民間の住宅に移ったりしている方もいるようです。仮設にはテレビ、冷蔵庫、洗濯機、空調設備など8点の家電製品が供えられているようですが、それを持って民間のアパートなどに移る人もいたようです。何もなくては生活も出来ないのでそれも仕方がないことなのかも知れません。 夏は暑い日も多かったのですが、仮設の方々はあまりクーラーも付けないで生活したということを聞いています。一方で、避難所ならお金がかからずに生活できましたが、仮設にはいると電気ガス、食費などは自分で負担しなければならなくなるため、なかなか避難所を出ない方もいたようです。 犬を連れてきている方も多いようですが、夕方になると犬が悲しそうな声で泣くので犬たちも怖い目にあったのだろうと想像します。 仮設住宅の造りは、町によってずいぶん違うようです。釜石ではプレハブが多いですが、住田町では気仙の木材を利用したとても快適な仮設住宅だと聞いています。そういう仮設ならいいですが、プレハブでは夏は暑く冬は寒く大変だと思います。 ●釜石市内の被害状況 津波の第一波が引いたので、一旦自宅に荷物を取りに戻った方々が大勢被災されたと聞いています。全部で津波は5波くらい押し寄せたとのことです。一波で高台に逃げた方のお話しでは、二波が襲ったときには、家と車と人が一緒に流されていく様子が見えて、まるで地獄絵のようだったとのことです。 釜石市役所は商店街(只越町)のちょっと高台にありますが、それでも1階は津波が襲われたそうです。それを考えると下の商店街では2階まで津波が来たというのも頷けます。テレビでは2階の屋上に逃げた方も津波に頭まで浸かるほどだったという報道がありました。 商店街の方々の多くは市役所側の高台や病院の2階、3階に逃げたと聞いています。只越町の商店街では、津波で流されている車が店のシャッターを突き破って家の中に入ってきたという例がたくさんあったようです。 大勢の方が津波でずぶぬれになって避難されたとのことで、あの寒いなかよく風邪など引かなかったと思います。お年寄りや子どもたちは可愛そうでした。すぐに避難所に毛布や布団を提供して欲しいとのことで5,6枚提供しました。 商店街はほぼ全滅で海岸線の被害は大きく、今も船が乗り上げたままの状態になっています。しかし、船が乗り上げている東前町からさらに海岸線を先に行くと新浜町では、それほど被害がなかったということなので、ちょっとした向きや高さの違いで被害を免れていることが分かります。 ある人は、湾口防波堤があったから津波の被害がこの程度で済んだけれど、もしなかったら津波はもっと奥まで押し寄せただろう、と言ってます。 釜石で亡くなった方は881人(内身元不明者77人)、行方不明264となっているので全部で1150人くらいが亡くなってます。岩手県内で一番被害が大きいのは陸前高田市か大槌町です。大槌町までは30〜40分くらいですが、町長も亡くなって大変な状況です。 陸前高田の人に聞きましたが、町が全滅して海がすぐ近くに見えるようになってしまいまた津波に襲われるような気がしてとても怖いとのことでした。トラウマになっているのかも知れません。釜石でもそうですが、大潮や満潮時には海水が今まで陸だったところにも上がってきてる状態です。 現在、「復興釜石新聞」という新聞が無料で週2回配達されています。以前は「岩手東海新聞」という新聞が有料で出されていたのですが、それが津波の被害にあって、元社員の有志の方々が「復興釜石新聞」として新聞を再開し、無料で配達されるようになっています。主に市の広報誌的な内容ではありますが、いろいろな情報が分かるので有り難いです。仮設の方々も無料の新聞でいろいろな情報が得られるので助かっているようです。 未だ陸上に乗り上げたままとなっている大きな船 釜石市の臨港部にて 撮影:青山貞一 衛星画像による釜石市の臨港部。右下に大きな船が座礁しているのが分かる 出典:グーグルアース ●ガレキ 現在は、ガレキはほぼ仮置き場に集積してあるようです。新日鐵の工場敷地内や警察署などはそこに流れ着いたガレキを山のように盛り上げてある状態です。まだ分別はされていないようでした。 平田地区のリサイクルセンターや焼却炉のある地域に大規模なガレキ集積所が設置されています。あの焼却炉も国道の下に位置しているので津波にやられ一時は使用できなくなっていたようです。 釜石市の焼却炉にて 撮影:青山貞一 今回の災害で、改めて日頃の文化生活、スイッチや蛇口をひねるだけで水や電気を何も気にせず使えることのありがたさを身にしみて感じました。家が被害を受けなかったことはほんとうに有り難いことですから、これからもものを大切に、慎ましい暮らしをしていくことを心がけたいと思っています。 釜石市市街地にて 撮影:青山貞一 ◆公共空地には膨大な数の仮設住宅〜その問題点〜(青山) 一方、被災地周辺にある公共空地のほとんどに、仮設住宅がつくられていた。そのなかあるいはその近くに、食品はじめ身の回りのものを売る臨時の店が出店していた。 岩手県のデータによると、今までに13,984戸の仮設住宅が建設されている。今回視察した自治体では、大槌町2152戸、遠野市40戸、釜石市3,138戸、住田町93戸、大船渡市1,795戸、陸前高田市2,215戸、また宮城県のデータによると気仙沼市では7,297戸がすでに建設されている。 公共空地のほとんどに仮設住宅 撮影:青山貞一 陸前高田市の仮設住宅 撮影:青山貞一 しかし、仮設住宅にはいると電気代、水道代、ガス代などの基礎的生活費用の支払いが義務づけられることから依然として公民館や体育館で生活せざるをえないひとが結構いることがインタビューで分かった。 仮設住宅の生活と支援に係わる状況と課題を以下に整理してみた。 ・入居者には高齢者・低所得者が多い。 ・入居者は65歳以上の高齢者が多く(3割以上)を占めている。 ・入居者の主な収入源は、年金、恩給による世帯が多く、職に ついていない世帯も多い。 ・居住環境の問題も多くあり、改善が進められている。 ・高齢者や身体障害者には使い勝手が悪いなどの課題がある。 ・ボランティア等による改善も行われた。 ・隣の物音が響く、夏は暑く(おそらく冬は寒い)、 ・1人暮らし以外の入居者には狭いなどの問題がある。 ・郊外の仮設入居者から周辺環境に関する苦情が多く出されている。 ・街灯の取り付けや通路のぬかるみ防止、排水溝の設置、自動販売機の 設置が行われている。 ・大規模な団地への商店の誘致などが行われれている。 ・災害復興公営住宅に移った被災者からは新しい友人ができたなど、 仮設住宅での生活を評価する結果もある。 ・入居が長期化する中、多人数世帯への対応、空き家利用など、解消まで には様々な課題が生じている。 ・多人数世帯への対応として、多人数世帯の分離、通院等に重大な支障が ある世帯の通院先の医療機関に近い住宅への住み替えが行われた 自治体もあった。 ・空き家については、多人数世帯についての2室入居、遠方の仮設からの 転居、被災住宅の修理等で臨時に家屋が必要になった世帯の利用 などに利用された例もある。 ・仮設住宅に住み続ける世帯の、個別の事情に応じたきめ細かな対応を 検討するため、生活支援委員会、生活支援マネジメントシステム等の 導入された。 つづく |