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●しばし毛越寺の庭園を歩く このあと、私たちは時間が許す限り、往事の平泉文化を思い描きながら毛越寺の庭園を歩くことにした。 下の図は、全盛期の毛越寺の伽藍配置イメージ図である。 毛越寺の伽藍復元図 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 出典:荒木伸介、角田文衛、埴原和郎、大矢邦宣著 奥州平泉黄金の世紀 新潮社、1987年 最初は南大門跡である。 上の図では、南端左(下)に南大門跡がある。 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 「南大門跡」 南大門は「二階惣門」ともいい、両脇に仁王像を安置し、正面に金堂円隆寺の勅額を掲げていた。天正元年(1573年)合戦による兵火のために焼失したが、礎石十二個が現存している。 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 南大門の次は 築山(つきやま) である。 築山は、池の南西(左下)の位置にあり、水面より約4mの高さに築かれている。水際から山頂近くまで大小各種の石を立て水辺に迫る岩山の姿が造り出されている。作庭記に書かれている「枯山水の様」の実例と言われている。 毛越寺庭園の築山 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 毛越寺庭園の築山 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 毛越寺庭園の築山の西外れ 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 築山の西(左)にたくさんのアヤメが植えられている。何でもこのアヤメは明治神宮から分譲献進されたものとのこと。 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 次は「開山堂」である。 毛越寺を開かれた慈覚大師円仁(794〜864)をお祈りする堂である。慈覚大師は、天台宗第三藩主となり生前の業績を称えられ、日本初の大使号を授けられた。在唐九年間の紀行「入唐求法巡礼紀行」はマルコポーロの「東方見聞録」、玄奘三蔵の「西域記」とともに、三大旅行記として高く評価されている。 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 開山堂 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 次は「嘉祥寺跡」 嘉祥寺跡は庭園の一番西(左上)に位置している。 吾妻鏡によると二代元衛公が工を始め三代秀衡公が完成させた御堂で、その全身は慈覚大師開山までさかのぼり、寺名は開山時の年号を由来する。本尊は丈六の薬師如来。建物の規模は正面7間27.9m、側面6間約22.5mで左右に廊があり、金堂円隆寺とほぼおなじである。堂内の壁や扉には法華経の教えが描かれていた。 嘉祥寺跡 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 嘉祥寺跡 撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8 つづく |