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   ウズベキスタン現地予備調査

キャラバンサライ跡

Caravanserai excavation marks

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月7日
独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁
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バラ・ハウズ・モスク  ブハラの「私立学芸員」  ブハラでの食事
イスマール・サマニ廟  ブハラ郊外のバザール  チョル・ミナル
ラビ・ハウズ  ラビ・ハウズの周辺  キャラバンサライ跡


 下はラビ・ハウズの池の畔に掲載されていた古いラビ・ハウズとチョル・ミナルの写真です。それぞれ相当古いモノクロ写真ですが、往事の様子が分かり貴重なものです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25

 下はラビ・ハウズとその周辺地域をグーグルアースの衛星写真で見たものです。


グーグルアースの衛星写真で見たラビハウズとその周辺


 ラビ・ハウズの近くにはアジア・ブハラという名のホテルがあります。私達も当初このアジア・ブハラも宿泊する予定でした。このホテルはウズベキスタン各地でホテル業を展開しています。

 私達はサマルカンドで、アジア・サマルカンドに宿泊します。 


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25


 ところで、アジア・ブハラの近くで発掘調査が行われていました。下はその告知板です。ロシア語、ウズベク語、英語でかかれています。

 ウズベキスタン国立科学アカデミーの考古学研究所の調査員によりハック調査が行われたキャラバンサライ(18世紀)と浴場(18世紀)とのことです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25


◆キャラバンサライ(トルコ語: kervansaray)

 キャラバンサライは、ペルシア語で「隊商宿」の意味。隊商のための取り引きや宿泊施設を指します。バザールやスークに隣接して建てられました。アラビア語では、ハーン(khan)、カイサリーヤ、フンドゥクとも呼ばれていました。

 一般的には中庭がある2階建ての建築物で、1階は取引所、倉庫、厩、管理人や使用人の住居にあてられ、2階は客人である隊商の商人たちの宿泊施設となっていました。アガと呼ばれる責任者や、荷運びの監督、夜警などの役職が常駐していました。

 キャラバンサライは、遠隔地交易の商人の他に、地元の卸売商人の事務所や倉庫にも使われていました。イスファハンでは、前者をタージェル、後者をボナクダールと呼んで区別していました。

 地元の卸売商人はティームやティームチェと呼ぶ取引場や、ダーラーン(通廊)で取引を行っていました。行商人は、卸売商人から商品を仕入れて近郊の農村や遊牧地をまわっていました。

 現在では宿泊所としての機能は消え、事務所、倉庫、卸売店舗として用いられています。

出典:Wikipedia

 私達は、以前、トルコに行ったときやモロッコに行ったとき、キャラバンサライの現物を見ましたが、キャラバンサライは、真ん中に中庭的な広場があり、その周りに商店、商人の事務所などがあります。それの2階にワンルームの宿泊室が並んでいました。

 おそらくキャラバンサライの一角に、あるいは隣接して大きな公衆浴場があったようです。

 下はキャラバンサライの平面図のイメージです。


出典:Wikimedia

 下は青山がイメージしたキャラバンサライのシンプルな建築物です。外からの攻撃、略奪に備えて入口は1カ所とし、建物は総二階、一階は商人の事務所や商店、倉庫、二階はワンルームタイプの宿泊室、真ん中に外から来た馬車などの荷物置き場の中庭という構成です。


青山がイメージしたキャラバンサライのシンプルな建築物



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25

 以下は浴場跡のようです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25

 これも浴場跡のようです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25

 以下はキャラバンサライの1階部分のようです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2015-2-25


つづく