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世阿弥と日蓮の足跡をたどる佐渡の旅

松崎山・本行寺A

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2018年9月18日公開
独立系メディア Media E-wave Tokyo  
無断転載禁
佐渡現地視察総合目次

 鴻ノ瀬鼻灯台  日蓮・世阿弥到着地  松前神社
 本行寺@  本行寺A  お梅堂  おけやき・本華岩  長松寺


 以下は、本行寺の境内である。
 
 下の写真は本堂を背に山門側を撮影したものである。本行寺は松ヶ崎の海岸と背後の山のちょうど間に位置している。


出典:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


出典:池田こみち Nikon Coolpix S9900

 これを地形図で見ると以下のようになる。

 佐渡の南海岸は北東から南西まで200m前後の山が走っており、その海側はわずかな平地である。本行寺がある松ヶ崎は、めずらしくそのなかで三角状の平地となっている。


出典:グーグルマップ

 したがって松ヶ崎に到着した日蓮や世阿弥らの流刑者は、いずれも背後の山を歩いて越えなければならなかった。


出典:グーグルマップ

 以下は本行寺の鐘楼。鐘ははずしてある。


出典:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下が本行寺の鐘楼の鐘である。


出典:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


◆松ケ崎 本行寺 日蓮聖人上陸の伝説

 文永8年(1271)10月27日、日蓮乗船の船は、鎌倉幕府の名により、越後寺泊港を出帆した。船は北西の強風に呷られ、角田の浜に吹き戻された。翌28日、船は再び出帆、途中沖合にて櫂折られ、日蓮舳に立ち、数珠を押し揉み水棹を取り海面に南無妙法蓮華経と書く。水棹の跡に白波立ちて、十丈ほどの光明貼の御船が海上にありありと映し出された。

 龍神の御遣い人が雲闇に姿を現し、「聖人ご着岸予定の地は、東の方松の頂上に灯明が上げられております。」と、案内する。日蓮これを受け東方を眺めれば、龍神風雲を起こし、波はたちまちのうちに静まったと伝える境内の大松が日蓮案内の松である。本行寺は日蓮聖人着岸、三日三夜御逗留春日明神出迎え献盃の霊跡でもある。

 本行寺は、泉州堺の念仏僧仏寿坊が草庵を結び、日蓮に教化を受け改宗し、名を日量と改め日蓮を開祖とし、弘安二年(1279)寺を建立。元和元年(1615)肥後の菊池家四代目菊池嘉兵衛が当地へ移り住み当山の開基自郡となり、元和3年(1618)現在の本堂が再建立され寺号を松崎山本行寺と改め現在に至る。当山西には、聖人お泊まりの「おけやき」がある。

 出典: 佐渡市・畑野観光協会

 下は龍橙説法像である。


出典:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


出典:池田こみち Nikon Coolpix S9900


◆本行事 宗門史跡に

 日蓮聖人および宗門に由緒ある重要な事跡である“宗門史跡”。こたのたび、「日蓮聖人佐渡御着岸の地」として新潟県佐渡市松ヶ崎の本行寺とその周辺が宗門史跡の認定を受けた。

 今回の認定は18番目となる。松ヶ崎本行寺とその周辺は日蓮聖人が佐渡に配流の途上、着岸された記念すべき地。鎌倉で布教活動を行っていた日蓮聖人は文永8年(1271)9月12日、幕府によって捕らえられ、斬首の危機に直面した龍口法難に遭う。

 その後、佐渡流罪になり一行は10月22日に寺泊(新潟県長岡市)に到着。数日後に荒れ狂う佐渡の海を渡り、松ヶ崎に着岸。日蓮聖人が佐渡の地に第一歩を踏み入れた記念の地として、弘安2年(1279)に建立されたのが本行寺である。

先代住職の悲願叶う

 昨年8月2日に遷化された先代住職の武藤孝輝上人は病床の中、本行寺の宗門史跡認定を切望していた。

 中尾堯立正大学名誉教授から「宗門史跡認定への実地調査が本格的に始まりますよ」との言葉を受けた翌日、息を引き取ったという。

 武藤孝臣現住職は、「父も安心していると思います。私自身、この認定を受け、改めてこの地の重要性というものを再確認いたしました。父の遺志を継ぎ、檀信徒と共に護持丹精に精進し、宗門史跡として宗門の中でできることをやっていきたい」と抱負を述べた。

 佐渡島は日蓮聖人が『開目抄』や『観心本尊抄』を著し、『大曼茶羅本尊』をはじめて顕された日蓮門下にとって重要な聖地。現在本山が3ヵ寺(根本寺・妙照寺・妙宣寺)あり、宗門史跡はこのたびの認定で2ヵ寺となった(もう一つは實相寺)。

 また松ヶ崎周辺には日蓮聖人がその下で一夜を過ごされたと伝えられる「おけやき」の大木や小倉峠のお題目宝塔、小倉地区のお梅堂があり、本行寺と合わせて史跡認定を受けている。

 調査に当たった中尾教授は「今回認定された地は、日蓮聖人が龍口法難に遭うなど生命の危機を身に感じながら、佐渡での第一歩を記された場所。そしてそのシンボルとして本行寺が建てられ、聖人の思いが今も伝えられている。

 また日蓮聖人がご自身の教えを確立し、菩薩の自覚を深められたこの佐渡の地はとても意義深い。今後本行寺を中心として聖人の歩まれた足跡をたどっていくルートを考えたい」と語った。

 辞令交付式は1月25日、東京大田区の日蓮宗宗務院で行われ、小松浄慎宗務総長から、本行寺の武藤孝臣住職へ辞令が手渡された。小松総長が激励の言葉を述べると、武藤住職は「認定を受け、恥ずかしくないよう護持丹精してまいります」と挨拶した。

出典:日蓮宗新聞 2006年2月20日号


つづく