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佐渡現地視察総合目次 @概要 A歴史と役割 B施設と間取 C主施設内部 D白洲 E奉行所古絵図 F出土品 私たちは佐渡滞在2日目の午後、かなりの雨の中、佐渡金山から車で海側の高台にある佐渡奉行所に向かった。下のグーグルマップにあるように、わずか1.7km、4分の距離である。 出典:グーグルマップ 以下のグーグルマップを見ると、佐渡滞奉行所跡の周辺には、相川炭屋、相川八百屋町、相川塩屋町など、江戸時代の地番がたくさん残っていることが分かる。 出典:グーグルマップ 車を駐めるスペースが見つからなくて困っていたところ、佐渡奉行所に観光客を案内してきたタクシーの運転手が場所を教えてくれた。 奉行所跡の道路を挟んですぐ目の前に佐渡市立相川病院の大きな建物があったが、その場所も昔は佐渡奉行所の敷地だったとのことなので、せっかく佐渡奉行所をこの地に復元したのなら、景観の観点からもその場所への病院の立地は計画段階でもう少し配慮するべきだったのではと感じた。 下は国史跡、佐渡奉行所跡の入居時に頂いたパンフレットである。入館料は大人一人500円である。私たちの場合、幸いにも入館時から出るまで、ずっと学芸員の男性が案内してくれた。 出典:佐渡奉行所入場時パンフレット 佐渡奉行所住所:〒952-1531 新潟県佐渡市相川広間町1-1 下は佐渡奉行所跡の入口に立つ、池田こみちである。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 まずは、佐渡奉行についての概要である。 ◆天領地(幕府直轄地)の佐渡奉行 ところで、もともと町奉行(まちぶぎょう)は江戸時代の職名であり、領内の都市部(町方)の行政・司法を担当する役職である。これは幕府だけでなく諸藩もこの役職を設置したが、諸藩の場合、一般に奉行は町奉行とのみ呼ぶ。 佐渡の場合、金山との関係で江戸幕府の直轄地(天領地とも)であったため、奉行は幕府の役職である江戸奉行を意味する。また、江戸以外の天領都市の幕府町奉行は大坂町奉行など地名を冠し、遠国奉行と総称された。まさに佐渡奉行もそのひとつである。 金銀山のある佐渡は、江戸幕府の直轄領地(天領地)であった。江戸幕府は、金銀山と佐渡一国を治めるために相川に「佐渡奉行所」を置いたことになる。 佐渡奉行所には、金銀山の管理と行政・司を行う役所(御役所)とともに、金や銀を選鉱する工場(勝場(せりば))、奉行の住まい(御陣屋)があった。佐渡奉行所の復元は、平成13(2001)年から公開し、勝場(復元)は、平成16(2004)年から公開されている。 ◆佐渡奉行所の施設概要 下の絵図は小判屋、寄床屋、吹分所、御金戴などの周辺施設を含めた佐渡奉行所の全景である。 さらに奉行所の右隣には、寄勝場、金銀吹分所、小判所などあまり聞きなれない施設もある。とくに寄勝場は敷地面積、建築物面積も非常に大きい。 出典:国史跡佐渡奉行所跡全体案内図−佐渡金山遺跡− 下図は入館時パンフにあった絵地図である。この図には、奉行所の奥に御役宅(御陣屋)と言って、奉行の邸宅もある。奉行所の右側にあるはずの多くの施設がないことが分かる。とくに寄勝場は奥の方にこじんまりとしている。 このように、現在見れる佐渡奉行所は往時のせいぜい半分程度であり、いわゆる奉行所が中心となっている。 出典:入場時パンフレット つづく |