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佐渡現地視察総合目次 @概要 A歴史と役割 B施設と間取 C主施設内部 D白洲 E奉行所古絵図 F出土品 ◆佐渡奉行所主要施設と間取 以下佐渡奉行所の主要施設について全体図をもとに説明する。 江戸時代、佐渡は金銀山があったため、江戸幕府が直轄管理する天領であった。そして、慶長8年(1603)佐渡金山のふもと相川に佐渡奉行所が建てられた。 佐渡金山を管理するために置かれたこの奉行所は、他の地域の奉行所とは異なり、奉行所内に住基部(奉行の御陣屋と向陣屋)、行政部分(御役所)、直営工場(勝場等)と3つの要素で構成されていた。 出典:入場時パンフレットをもとに池田こみちが作成 @大御門:奉行所の正面入り口の門で、天保期の絵図に冠木門として描かれている。 A御物見:奉行所の見張りの他に、奉行がここから祭りなどを見ていた。 B御門場所:奉行所に出入りする人々を見張るところで、建物南側には幅二間の式台があち。 C普請請方役所:奉行所内の建物を修理・管理する役所で、現在は管理事務所として利用している。 D広間役御長屋:広間役とは奉行に次いで奉行所の中枢を占める上級役人のことで、江戸から派遣された広間役二人が住んでいた。 E御金蔵:相川で製造した金銀銅貨や小判等を江戸に運ぶまでの間、ここに収蔵していた。 F裏御門:奉行所外部に通じる薬医門形式の裏門である。 G御武具蔵:奉行所内の武器庫であった。 H裏冠木門:御花畑へ通じる裏門である。 I御役所:奉行所の中心施設であり、ここで行政を行っていた。三十三畳になる大広間や白洲などがある。 J御陣屋:御役所とつながっており、奉行が住んでいた。 K馬屋:奉行の馬を飼っていた。 L寄勝場:金山で採掘した鉱石を粉砕、選鉱し精練した作業場(工場)で、各所にあったものを一ヶ所に集め、横流し防止のために建てられた。現在はガイダンス(展示)施設として利用している。 M辰巳口番所(門):勝場の辰巳の方向(東南)に位置するためで、勝場で働いていた役人や作業員の通用門として使われた。 ◆再建された佐渡奉行所 佐渡奉行所の建物は火事による焼失、再建を5回繰り返し、その都度姿を変え、明治維新以後は役粗や学校として使われた。そして昭和4年、国史跡に指定されたが、昭和17年の火事によってすべてが失われた。 平成6年、再度国史跡に指定されたのを受け、保存整備事業が始められ、史跡佐渡奉行所が復元された。この整備においては奉行所が最後に再建された安政6年(1859)の様子を復元しています。 以下は再建された佐渡奉行所の間取りである。実際に再建されたのはもともとあった佐渡奉行所の半分程度である。下図でいうと、右半分が再建されており、左半分は再建んされていない。 下図中、矢印がある部分が順路である。玄関は右半分の中央、最下段である。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 作成:写真をもとに池田こみち つづく |