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メアリー・ステュアートの足跡を追って
スコットランド
2200km走破

ニュー・ラナーク2
New Lanark 2 全体概要

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
2018年12月10日公開
独立系メディア E-Wave Tokyo
無断転載禁


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メアリーの生誕地、リンリスゴー  リンリスゴー城1  リンリスゴー城2
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 現地を視察しておどろいたことは、ニュー・ラナークでは、18世紀に水力発電を使ったエネルギー自立により綿紡績工場と工場労働者用の住宅を含む社会改良主義なユートピアコミュニティがつくられていたのです。

 ニュー・ラナークでは、おそらく現在でもここまで労働者福祉、教育施設などが考慮された工場があるか? と思わせるほどすべてにわたり充実した社会改良主義なユートピアコミュニティだったのです。


 以下は、世界遺産オンラインによるニュー・ラナークの概説です。 




◆ニュー・ラナークの概要1

 スコットランドの村ニュー・ラナークは、スコットランド・サウス・ラナークシャーの都市ラナークから約 2.2 km のところに位置するクライド川沿いにあり、18世紀末の産業革命時に造られた紡績工場と労働者住宅群から成る産業集落です。

 1786年にデヴィッド・デイルが綿紡績工場や工場労働者用の住宅を建設したことを起源とします。デイルの娘婿であった博愛主義者で社会改良主義者のロバート・オウエンも名を連ねていた共同所有のもとで、ニュー・ラナークは事業的にも成功を収め、いわゆるユートピア社会主義を体現する存在となりました。

 人道主義者だった彼は、工場の利益を労働者のためにつぎ込みました。村にある店舗はオーウェンが開いたもので、ここでは品物を一括購入で安く仕入れ、原価に近い値段で住人に売っていたといいます。このシステムは後に生活協同組合へと発展しました。

 ニュー・ラナークの工場は1968年まで操業していましたが、衰退期を経て、1975年に村の取り壊しを防ぐためにニュー・ラナーク保全トラストが創設されました。


 もうひとつ、以下はWorld Heritage Sirw(世界遺産サイト)からニューラナークの紹介です。

 ニュー・ラナーク世界遺産は、18世紀の紡績工場をみごとに復元したモデルビレッジで、エジンバラ、グラスゴー、スターリングから1時間ほどの中央スコットランドに位置します。

 このビレッジは1800年から1825年にかけて、ロバート・オーウェンがこの工場を管理していたことをきっかけに有名になりました。

 オーウェンは、この時代の少なくとも百年は先を行くアイデアとチャンスを駆使して、ニュー・ラナークの生活を一変させました。

 
年少者労働と体罰を撤廃し、労働者とその家族にきちんとした家、学校、夜間クラス、無料医療サービス、手ごろな値段の食料品を提供しました。

 ニュー・ラナークのミル・ホテルは、クライド川の浅瀬に位置する世界遺産の真ん中にあり、滞在にはまたとない機会をお届けします。ビレッジの大変興味深い歴史は、賞を受賞したビジター・センターのなかでよみがえり、観光客はパスポートチケット1枚だけを手にして、ビレッジにあるすべてのアトラクションを探検できます。

 ニュー・ラナークは現在でも使われているコミュニティで、独立チャリティ団体が世話してくれています。ホテルと観光アトラクションからの収益は、コンサベーション・トラストがこの歴史的ビレッジを復元し、維持するために当てられています。


 このニューラナークには、現在も宿泊施設があり、レストラン、結婚式場もあります。

 私たちが最後によった施設はレストランでしたが、ちょうど結婚式の披露宴が行われていました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下は披露宴を終え外に出た参加者。男性がキルトをはいています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


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