|
スコットランド総目次へ* メアリーの生誕地、リンリスゴー リンリスゴー城1 リンリスゴー城2 ニュー・ラナーク1 ニュー・ラナーク2 ニュー・ラナーク3 ニュー・ラナーク4 ニュー・ラナーク5 ニュー・ラナーク6 ニュー・ラナーク7 ニュー・ラナーク8 ニュー・ラナーク9 ニュー・ラナーク10 ニュー・ラナーク11 Source:UNDISCOVERED SCOTLAND 知られざるスコットランド https://hainmueller.de/publikationen/lernen-aus-der-vergangenheit-new-lanark.html (ドイツ語の紹介サイト) https://www.timetoast.com/timelines/new-lanark-reino-unido (New Lanark, Reino Unido Timeline created by judavila In History) この村は、スコットランドに4つある世界遺産のひとつであり、ヨーロッパ産業遺産の道のアンカー・ポイントのひとつです。 ニュー・ラナーク村の紡績工場建物群と前を流れる川(クライド川) The village of New Lanark with its associated mill buildings and the river in the foreground Source:Wikimedia Commons CC BY 2.0, Link 下はクラウド川から引いた水路の脇に立つ池田こみちです。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ◆ニュー・ラナークの歴史 ニュー・ラナークの紡績工場は1786年にデヴィッド・デイルによって設立されました。デイルはグラスゴーのたたき上げの中産的ジェントリの一人であり、その例に漏れずキャンバスラング(Cambuslang)のローズバンクに避暑地となる土地を持っていました。そこはターナーをはじめとする多くの画家たちが描いたクライドの滝(Falls of Clyde)から遠くないところにありました。 デイルは工場、土地、村落を19世紀初頭に6万ポンド(20年以上にわたり払い戻し可能)で、義理の息子のロバート・オウエンも名を連ねていた協同組合に売却しました。 オウエンは工場労働には義父の博愛主義的なアプローチを維持し、後には影響力のある社会改良主義者となりました。彼の社会福祉プログラムとともに、ニュー・ラナークはオウエン的なユートピア社会主義を体現する存在となりました。
「ニュー・ラナーク5」につづきます スコットランド総目次へ* |