メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 ペイズリー2 Paisley 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年12月10日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ* ペイズリー1 ペイズリー2 グラスゴー1 グラスゴー2 グラスゴー大学1 グラスゴー大学2 ペイズリーの歴史 ペイズリーの歴史は修道院から始まります。アイルランド人の聖職者聖ミリンが、ハミルズと呼ばれたカート川の滝近くの場所に礼拝堂を建てました。 ペイズリーにはストラスクライド王国の信仰の中心地だったグラスゴーやゴーヴァンと一緒の同時期の文献が欠けています。 小修道院が、イングランド・シュロプシャーのクリュニー会派小修道院から枝分かれして、貴族ウォルター・フィッツアランの後援を受け1163年に建てられました。 1245年、修道院の地位に昇格されます。修繕された修道院と近接した宮殿は中世の修道院の一部として建設され、現在はスコットランド教会の教区教会として続いています。 スコットランドの主要な信仰の本拠地の一つとして、ペイズリー修道院はブルース家とステュアート家の両王家に手厚く保護されました。 映画『ブレイブハート』の主人公で、スコットランド独立の英雄ウィリアム・ウォレスは、ここで教育を受けました。ロバート3世(在位1390年-1406年)は修道院に埋葬されています。 彼の墓は現存していませんが、ロバート1世の王女マージョリー・ブルース(1296年-1316年、ステュアート家の先祖の一人)の墓は、宗教改革以後も残った数少ない王族の墓の一つです。 ペイズリーはジェームズ2世と連携し、土地は単独の地方管轄権となった結果、市場、交易、商業が繁栄し始めました。1488年、町はジェームズ4世により地位が男爵領のバラとなりました。 多くの交易が盛んになり、最初の学校が1577年に町議会によって建てられました。 19世紀半ばから繊維業が盛んになり、町の第一の産業となりました。ペイズリーは今も、19世紀半ばにカシミールから持ち込まれたショールの模造品の生産や、同じくカシミールからもたらされたペイズリー模様の生地で非常によく知られています。 繊維業の友愛会を通して、猛烈な積極姿勢を取ったことから、ペイズリーは学問が盛んで幾分急進的な町という評判をえました。この時期から、信仰に根ざした意見とアルコール飲料を飲みながらの議論が混ざり合い、夜通し繊維業者、詩人、商人、石工などの間で意見を戦わせるようになりました。詩人ロバート・タンナヒルは織り手として働きながらこの会合に出席していたのです。 ペイズリーの産業 ファーガスリー製糸場(J.&P.コーツ社) Source:Wikimedia Commons By Robert Sweeney, CC BY-SA 2.0, Link ペイズリーは繊維業で一時期有名でした。1870年代から100年近く、ペイズリー模様のショールは流行の品でした。ジャカード織機が1820年代に持ち込まれるまで、織物は家内の織機で織られていました。 この改良は生産過程の工業化を牽引しました。その結果として、多くの織り手が職を失い、カナダやオーストラリアへ移住して行きました。これら移民の一人がジョン・ハートというペイズリーの製糸場所有者で、彼はカナダ・オンタリオ州パースへ移住し、本屋と商人の店を開いています。 湿気のある温暖な気候であるためペイズリーは、何年もの間綿の紡ぎ糸を編む産業の中心地でした。 ペイズリーの最盛期だった1930年代の製糸産業では、大きな建物の中で28,000人もの労働者が働いていたといいます。これは同種の工場としては当時世界最大の規模でした。 1950年代に入ると、化繊の糸を用いて多種多様な製品を生産できるようになりましたが、人件費の安いインドやブラジルなどから入ってくる輸入品に押され、生産は急速に減少して行きました。 1980年代の後半には、ペイズリーで製糸は行われなくなっていましが、製糸も織物も町に消えない証を残しています。町の至る場所に、繊維業に関連した名前、コットン・ストリート、シャトル・ストリートなどが数多く残っています。 町は繊維業に関連した機械業や造船業などがあります。多くの工場が閉鎖されたり、大手企業が撤退をした結果、町に残る企業の雇用は、スコティッシュ・ウィスキーのブレンダー及びボトリングを行うシーヴァス・ブラザーズ、スイスの製薬会社ノバルティスくらいにすぎなくなりました。どちらの会社もかつてより雇用を減らしている。 グラスゴー国際空港はペイズリーの北にあり、雇用の一大中心地になっています。多くのペイズリー町民が町外に働きに出、その多くはグラスゴー市中心部へ流れています。ペイズリーの交通アクセスの良さから、クライド・ヴァレー地域内の通勤を容易にしています。 ペイズリーの建築物 ペイズリー修道院 Source:Wikimedia Commons By Arno Matthias - <span class="int-own-work" lang="en">Own work</span>, Public Domain, Link ペイズリー修道院 - 歴代スコットランド王が埋葬された。 トーマス・コーツ・メモリアル教会 Source:Wikimedia Commons Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2148728 ・トーマス・コーツ・メモリアル教会 - 新古典主義建築。 ヨーロッパで最大のバプテスト教会。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ペイズリーの守護聖人聖ミリンに捧げられた、ペイズリーの聖ミリン大聖堂教会は、 カトリックの母教会です。ペイズリー主教区で、ペイズリー司教の座です。 ・セント・ミリン教会 - 1931年完成のカトリック教会。 ペイズリー司教座がおかれる。 Source:Wikimedia Commons Public Domain, Link ・セント・マシューズ教会 - ナザレーン教会。 St Matthew's Church - Paisley - Exterior - East Close-up 聖ジャシュー教会の外観-東側のクローズアップ St Matthew's Church is an Art Nouveau church designed by WD McLennan and built in 1905-07. This view is from the east. 聖マシュー教会はWD マクレナンの設計によるアールヌーボーの教会で、1905年~1907 年に建設されました。この写真は東側からみたものです。 アスコット・タイ 撮影:池田こみち アスコット・タイ(Ascot tie)とは、フロックコートやモーニングコートの昼間の男性の第一礼装に用いる幅広の蝉型ネクタイです。素材はスピットルフィールドなる厚手の紋織絹が用いられ、無地もあります。自分で結ぶ物が普通ですが、結び切りの物もある。モードとしてのアスコット・タイの登場は1876年になってから。パール状のネクタイピンを使用します。 「グラスゴー」につづきます スコットランド総目次へ* |