メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 グラスゴー1 Glasgow 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年12月10日、2020年10月1日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ* ペイズリー1 ペイズリー2 グラスゴー1 グラスゴー2 グラスゴー大学1 グラスゴー大学2 ◆出典、翻訳等について 本稿では、現地調査時に入手した資料、撮影した写真以外に、概要、歴史などでは日本語、英語のWikipediaを、また写真についてはWikimedia Commonsを、さらに地図についてはグーグルマップ、ストリートビューを使用しています。その以外については逐次出典を付けています。さらに、Wikipedia の英文版など外国語版などについては、逐次池田、青山が日本語訳しています。 私たちは、ペイズリーを後に、グラスゴー(Glasgow)に向かいました。グラスゴーはいわゆる世界の産業革命の発祥地のひとつでもあります。 ◆グラスゴーの概要 時計回りに上から、Glasgow Science Centre, Gallery of Modern Art屋外のDuke of Wellington像、Royal Exchange Square, The Lighthouseから臨む都市景観、グラスゴー大学、Finnieston Crane及びGlasgow City Chambers. Source: Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0, Link ource:Wikipedia 以下はグラスゴーを示すグーグルマップです。 出典:グーグルマップ グラスゴーの紋章 Public Domain, Link グラスゴー(Glasgow)は、スコットランド南西部に位置する大都市です。人口は580,690人(2006年)で、英国全体ではロンドン、バーミンガム、リーズに次いでイギリス第4位、スコットランドでは最大の都市です。 かつてはロンドン、パリ、ベルリンについでヨーロッパで4番目に人口が多く、1960年代には100万人以上いましたが、その後区画編成などで減り続け、現在では580,690人(2007年)となっています。 英国国内ではロンドンとエディンバラについで3番目に観光客が多く、年間300万人ほどがこの街を訪れます。 グラスゴーは15世紀創立の名門グラスゴー大学を擁し、産業都市であるとともに、文化・芸術・若者の街として知られています。英語で「ノルウェー人」や「ノルウェーの」といった形容詞が"Norwegian"であるように、グラスウィージャン (Glaswegian) といった言葉が用いられます。 移民が多く、かつては工業の街であった背景も影響し、地元の人々の英語方言はスコットランド訛りの中でも特に難解とされています。訛りが強いだけではなく、グラスウィージャンの方言も使用されています。 なお、スコットランド・ゲール語はグラスゴーではほとんど使用されていません。1990年には欧州連合の欧州文化都市に選ばれています。 以下はグラスゴーの基本データです。 ・人口 人口 (2019年現在) ・市域 633,120人 ・人口密度 3,555人/km2 ・市街地 1,209,143人 ・都市圏 1,655,810人 ブキャナン通り Source:Wikimedia Commons user:kilnburn, Attribution, リンクによる グラスゴーの歴史 紀元前からクライド川沿いに集落が形成されていました。ローマ帝国はこの地に前哨拠点を設置し、ローマ支配下のブリタニアとケルト人やピクト人の住むカレドニアの間にアントニヌスの長城を建設しました。 グラスゴーの街はキリスト教の聖人聖ムンゴの伝道により6世紀頃につくられたと言われています。これ以後グラスゴーはスコットランドの中心として発展し、12世紀にはグラスゴー大聖堂が、1451年にはグラスゴー大学が創設されました。 16世紀に入るとクライド川の水運を用いた貿易が盛んになり、アメリカ大陸のタバコ、カリブ海の砂糖などがこの都市を中継してイギリス国内に運ばれました。 1707年にイングランド王国とスコットランド王国が合併、現在の連合王国としてのイギリスが成立します。そして産業革命が始まると、ランカシャーで採掘される石炭と鉄鉱石によって工業化が進み、グラスゴーでは綿工業を中心とした産業が盛んになりました。 また都市の発展に伴ってアイルランド等からの移住者が増え、大英帝国第二の都市と呼ばれるようになりました。また海運を通じて造船業も発展し、ヨーロッパ最大の機関車製造会社ノース・ブリティッシュ・ロコモティブはグラスゴーの企業でした。 しかし第二次世界大戦後、イギリスの経済が急激に悪化。他の都市と同様にグラスゴーもイギリスの不況の影響を避けることができませんでした。1960年代になると造船所の閉鎖が相次ぎました。しかしクイーン・エリザベス2号はこの時期にこの都市で建造されています。 1970年代から1980年代にかけても不況期が続き、治安も悪化していました。1990年代にはいると金融などを中心に経済が持ち直し、現在では地価が高騰しています。 気候 ケッペンの気候区分では西岸海洋性気候 (Cfb)に属する 出典: Met Office 人口 グラスゴーの人口推移 1891 783,000 1911 784,000 1921 1,034,000 1931 1,088,000 1941 不明 1951 1,079,000 1961 1,055,000 1971 897,000 1981 881,000 1991 681,000 2001 579,000 2007 580,690 2011 598,830 2019 633,120 年齢構成 15歳未満15.48%、15~24歳15.76%、25歳~64歳54.46%、65歳以上14.30%(2007年) グラスゴー2につづきます スコットランド総目次へ* |