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チェコ・スロヴァキア・ハンガリー短訪

チェコ・旧市街地

鷹取敦

掲載月日:2018年12月26日
 独立系メディア E−wave
無断転載禁


内容目次
  1 歴史的背景
8/11-13 チェコ・プラハ 2 プラハ | 3 フラッドチャニ・プラハ城 | 4 ロレッタ教会からカレル橋
| 5 ユダヤ人地区 | 6 旧市街地
 8/13-15 スロヴァキア・ブラチスラヴァ 7 旧市街・ブラチスラヴァ城 | 8 旧市街地・ドナウ川
8/15-17ハンガリー・ブダペスト、
エステルゴム、センテンドレ
9 ブダペスト市街地・王宮の丘
10 エステルゴム・センテンドレ・ドナウ川ベンド

■ミュシャ(ムハ)美術館

 この後、ユダヤ人地区を離れ、開館時間に間に合うよう急ぎ南東方向に向かいミュシャ(ムハ)美術館に行きました。アルフォンス・ミュシャ(1860〜1939年)の生涯と作品を紹介する美術館です。

 内部は写真撮影ができないので、公式サイトより展示の様子をご覧下さい。さまざまな時期のポスター、絵画など多彩な作品が展示されています。


ミュシャ美術館の窓 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

■旧市街地広場

 ミュシャ美術館を出て旧市街地広場に向かいます。ヤン・フス像のあるこの広場は旧市庁舎と天文時計、キンスキー宮殿、ティーン教会、聖ミクラーシュ教会、石の鐘の家などが面しており、多くの人で賑わっています。

 11世紀頃、ドイツやフランスなどとの商業の発展に伴って、形作られてきた広場です。様々な歴史的事件の舞台にもなった広場です。ヤン・フスは「歴史的背景」に書いたように、カトリックの聖職者の堕落を批判し教皇の権威を否定したため、プラハ大司教に破門され、処刑された、プロテスタントの先駆けのような人物です。


ヤン・フス像 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真の2つの塔はティーン教会(ティーンの前の聖母マリア教会)です。1135年に建てられた教会が1365年に商人達の寄付によって改築されたものです。裏に税関(ティーン)があったためこのように呼ばれているようです。1419〜1621年はフス派の正教会でした。


ティーン教会 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下はバロック様式の聖ミクラーシュ教会です。12世紀に建てられ、増改築が繰り返されましたが火災による被害を受け、1732〜1737年に現在の姿で建て直されました。

 なお、マーラ・ストラナ(プラハ城の城下町)にも同じ名前の教会があります。聖ミクラーシュとは聖ニコライ、聖ニクラウスのことです。グーグルマップでは、マーラ・ストラナの方はSt.Nichlolas Church、旧市街地広場の方は聖ミクラーシュ教会(Charm savateho Mikulase)と表記されています(2019年1月15日現在)。


聖ミクラーシュ教会 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下は旧市庁舎です。下の方を改修工事でした。どこを工事しているかというと、下の写真の左側面にある有名な天文時計の部分をが工事中で、残念ながら実物を見られませんでした。


旧市庁舎 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 天文時計は縦に大きな2つの時計が並んでいるものです。下の写真は改修の様子の説明パネルで金色の円は下側の時計です。地動説の当時の世界観を表現した美しいデザインの時計です。最も古い部分は1410年に製作されています。


天文時計の改修工事の説明 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 旧市街地広場を出て東に向かうと火薬塔(火薬門)があります。ここまでが旧市街地です。先に見たカレル橋の2つの橋塔とそっくりな色と形をしています。いずれも城門の1つでした。火薬塔は17雄世紀に火薬庫として利用されたため、このように呼ばれています。

 火薬塔の左側に渡り廊下で繋がって見えるのは、市民会館です。日本語でイメージするいわゆる市民会館とは大きくことなるもので、チェコの民族の威信をかけて建設された歴史的建築物です。


火薬塔 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

■市民会館

 市民会館はかつて王の宮廷があった場所に建てられました。プラハの春国際音楽会の会場となるスメタナ・ホールのある建物で、民族の威信をかけてチェコの第一級の技術と芸術を結集して1905〜1911年にかけて作られたアールヌーヴォー建築です。

 チェコが独立したのは1918年ですから、当時はまだオーストリア=ハンガリー二重帝国の一部でした。チェコ人達の民族意識を高めるため、チェコ文化を象徴する建築物として計画されたものでした。

 市民会館内はガイドツアーがあり、英語のツアーに参加して見学しました。


火薬塔(左)と市民会館(右) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下の写真はスメタナ・ホールです。ここで毎年、音楽祭「プラハの春」が開催され、初日はスメタナの交響詩「わが祖国」が演奏されます。まさにチェコ民族意識高揚のためのホールですね。


スメタナ・ホール 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 カフェの天井や壁面は漆喰加工と金メッキで装飾されています。


カフェ 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 オリエンタル・サロンはカードゲームなどを楽しむために主に使用された部屋で、当時流行していた「東洋(オリエンタル)趣味」が取り入れられています。


オリエンタル・サロンの天井 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 当時のチェコ(民族)の先端技術、工芸、芸術を結集した市民会館には、ミュシャ(ムハ)が全ての装飾を手がけた市長の間もあります。壁面、天井をスラブ叙事詩風の絵画を中心とし、ポスターにみられるような画風の絵まで、美しい絵画による彩られています。


ミュシャ(ムハ)が装飾を手がけた「市長の間」 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900


ミュシャ(ムハ)が装飾を手がけた「市長の間」の天井画
撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 リーグル・ホールは、チェコの熱烈な愛国者である政治家、新聞記者フランチシェク・ラジスラフ・リーグルの名前をつけられたホールです。いずれの部屋もチェコの民族意識を象徴していることがわかります。


リーグル・ホールの「チェコの春」(上の左右の絵画)とリーグル(下中央)の胸像
撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 上に紹介した以外にも見学した部屋がありました。

 館内ツアーは地下のアメリカンバーの前で解散です。地下は床と壁面がタイルで覆われており、壁の一部に水がながれる仕掛けがあります。下の写真は地下にある市民会館の外観がわかる模型です。


市民会館の模型 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 2日目のこの日はこれで終了です。

 翌日はプラハ本駅(プラハ中央駅)から列車でスロヴァキアの首都ブラチスラバに移動しました。

 下の写真はプラハ本駅の駅舎の南端です。プラハ本駅はスロヴァキア、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、ポーランド、ロシア、ウクライナ、ルーマニア等の各都市と国際列車で結ばれている主要駅です。プラハ本駅建設当時はハプスブルク家のオーストリア帝国領であり、「皇帝フランツ・ヨーゼフ駅」という名前でした。地上の建物はプラハの歴史的な街並みに調和したものですが、地下構内は現代風です。

 建物の時計塔の上に金色の鷲の羽ような装飾が見えます。チェコを支配していたハプスブルク家の象徴は双頭の鷲なのでそれかと思ったのですが、拡大して確認したところ下のものは羽だけでした。


プラハ本駅 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 下は1階のドームです。写真の奥にプラットホームがあるのですが、チケットの購入(受け取り)やホームへの移動は1階では行えません。1階の通路を行ったり来たりして少し迷った後、地下を経由する必要があることが分かりました。


プラハ本駅の1階ドーム 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 地下は写真のように現代的なつくりの駅構内で、電光掲示板もたくさんあります。ここでバウチャーを列車のチケットと交換する窓口を探し出し、無事にチケットを手にすることができました。


プラハ本駅の地下構内 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 予定の列車がホームに到着し、乗り込みました。全ての座席にAC電源がついています。


プラハ本駅プラットホーム 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900

 1日目のプラハ到着から3日目のプラハ本駅までのおおむねの移動経路をグーグルマップ上に示してみました。2日目の地下鉄移動以外は全て徒歩による移動です。


プラハ市内の主な移動経路(グーグルマップより)

参考、出典:
*1 ハラルド・サルフェルナー、「プラハ 黄金の都」

つづく