チェコ・スロヴァキア・ハンガリー短訪 ブラチスラヴァ ・旧市街・ブラチスラヴァ城 鷹取敦 掲載月日:2018年12月26日
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■ブラチスラヴァプラハ本駅から約4時間。スロヴァキアの首都、ブラチスラヴァ中央駅に到着しました。首都の主要駅らしい規模だったプラハ本駅とは対照的に、ブラチスラヴァ中央駅駅は、かなりこじんまりとした小さな駅です。スロヴァキアはその歴史の多くの期間においてハンガリーの一部でした。ボヘミア王カレル1世(皇帝としては4世)が神聖ローマ皇帝として選ばれ帝国の首都としてヨーロッパ最大の都市となったプラハや、16世紀〜18世紀初頭にかけてオスマン帝国領であった時代はあるものの、オーストリア=ハンガリー二重帝国の一方の首都であったブダペストの両都市とくらべると、ブラチスラヴァはブダがオスマン帝国の支配下にあった時代(1536〜1784年)にハンガリーの首都だった時代もあるものの、歴史上の存在感は相対的に小さいものでした。 そのためか、市街地中心部も比較的コンパクトで、快適に散策しやすい規模の街であると感じました。 ブラチスラヴァ中央駅 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 駅前には赤いロータリーバスが停車しています。駅から中心部の方向、つまりドナウ川に向かって下り坂になっています。 ブラチスラヴァ中央駅舎と駅前ロータリー 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下図はグーグルマップでブラチスラヴァの主要部分を表示したものです。上の紫色の電車の印がブラチスラヴァ中央駅、左下の橙色の印がブラチスラヴァ城、一番下に左右に流れているのがドナウ川です。 オレンジ色と黄色のピンは、現地でスマホのグーグルマップを利用するために、訪れる場所の候補として事前に目印をつけておいたものです。優先順位に応じて色を変えました。プラハと比べるとかなりこじんまりとしていることが分かります。 ブラチスラヴァ中心部(グーグルマップより) 駅から徒歩で上の地図の中央の道路を南下します。地図で「公園」と緑の文字で書いてある緑地のすぐ南側に大統領官邸があります。ここまで徒歩で道を探しながらゆっくり歩いて20分程度です。 下の写真の道路の左手に大統領官邸に隣接した公園があります。写真の建物は手前が警察署で、中央は警察博物館です。グーグルマップには「Museum of the Police of SR」とあるので社会主義共和国時代の警察の博物館ではないかと思います。 駅から旧市街地に向かう道 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 駅からの道は平日の昼間にもかかわらず、人通りが少なく、閑散とした印象でした。このあたりは観光の対象となる旧市街の少し北側にあります。 下の写真は大統領官邸の南面です。南側は広場となっています。大統領官邸に掲げられているのは、赤・青・白(汎スラヴ色)に国章が重ねられているスロヴァキア共和国の国旗とEUの旗です。 大統領官邸 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 国章のダブルクロス(横線が2本ある十字)は、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の正教会のシンボルです。ダブルクロスの下には3つの山があります。(なお正教会のシンボルのダブルクロスは本来は上下の横線の長さが同じで、上が短いダブル十字はロレーヌ十字と呼ばれていますが、歴史的にはスロヴァキアのルーツでもあるモラヴィアがビザンツ帝国の影響を受けていることは明らかです。) ちなみに同じスラヴ民族を中心とするチェコの国旗も同じく赤・青・白(汎スラヴ色)から構成されており、一方マジャル人が主要民族であるハンガリーの国章には、ダブルクロスの下に3つの山がある点が、スロヴァキアの国旗と共通しています。スロヴァキアはその歴史の長い期間においてハンガリーの一部でした。
到着してすぐに銀行で、チェコの通貨コルナの残った現金を、スロヴァキアで使われているユーロに換金しました。次に訪れるハンガリーの通貨はフォリントです。隣接する3カ国で異なる通貨が使われています。欧州内の経済力の大きく違う国々に統一通貨を導入したことで、南欧、ギリシアなどで将来にわたり解決の難しい問題が生じてしまっていますが、旅行者にとっては1つの通貨が通用する方が便利ではあります。 下の写真は旧市街から北東方向にのびているObchodna Streetで、ブラチスラヴァのメインストリートの1つです。それほど広くない道幅のところに頻繁にトラム(路面電車)が行き交う路線が2本通っており、その両側が歩道となっています。比較的賑わってはいますが、首都のメインストリートというイメージではありません。 メインストリート 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 駅から来る道沿いに社会主義時代の警察博物館がありましたが、このメインストリートにはKGBパブがあります。またチェコのプラハにはKGB博物館がありました。いずれも旧ソ連圏の国であったことを思い起こさせます。 メインストリート 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 KGBパブの入口にある写真をみると、ウラジミール・レーニンの巨大な肖像が飾られ、赤を基調とした装飾の店内であることが分かります。当時の関連施設を利用したパブなのかもしれません。ヨシフ・スターリンの肖像が見当たらないのは、スターリンの時代にその政治手法を踏襲したゴットワルト書記長による大規模な粛正のあまりにも生々しい記憶があるからでしょうか。 KGBパブの入口 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 大通りに面した広場には、若者の像がついたしゃれた郵便ポストがありました。奥にはホテルに併設されたカジノが見えますが、ブラチスラヴァ滞在中にはカジノに出入りする人は見かけませんでした。 郵便ポスト 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 この日の夕食は、醸造所をもつ地元客の多いレストランでビールと地元の料理をいただきました。写真のビールはここで作られたもので、1752年以来の醸造所・レストランのようです。下の写真の右上は、ハルシュキというスロヴァキアのソウルフードで、すり下ろしたジャガイモと小麦粉をゆでて作ったダンプリングと牛乳で溶いた羊乳のチーズソースを絡めたものです。 夕食 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■ミハエル門翌日は朝から旧市街に向かいます。ブラチスラヴァの旧市街は徒歩で簡単に全体をまわれる程度の小さな街です。旧市街の北端の入口にあるのがミハエル門です。下の写真の建物(18世紀ごろから薬局で、後に薬学博物館でしたが数年前に閉鎖)をくぐると道が左折し、写真の左にある塔の下に向かいます。この塔がミハエル門です。塔の先端には大天使ミカエルの像がついています。 ミハエル門の手前の建物とミハエル門の塔 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ミハエル門は城壁に設けられた4つの門のうち、現存する唯一のもので14世紀に建てられ、16世紀に現在の様式に改築されました。なお他の3つの門は街の発展を妨げるという理由で、オーストリアの実質的な女帝だったマリア・テレジアによって撤去されたそうです。以前は武器庫としても使われていたこともあって、現在は塔の中が武器博物館になっています。塔の上からは旧市街を一望できます。 ミハエル門 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ミハエル門から旧市街に入りました。まだ朝の9時過ぎで、人通りが少なく静かです。 旧市街 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 フラヴネー広場に向かう途中の左手にフランシスコ会教会があります。ブラチスラヴァがハンガリーの首都だった1297年に、アールパード朝の最後のハンガリー国王アンドラーシュ3世によって建設されました。 フランシスコ会教会 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 フランシスコ会教会 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■フラヴネー広場古い教会やミルバッハ宮殿(市立ギャラリー)などの前を過ぎて進むと、フラヴネー広場に出ます。旧市庁舎(現歴史博物館)をはじめとする歴史的な建物に囲まれています。その中に日本大使館もありました。フラヴネー広場 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下の写真はマクシミリアン2世の命によって1572年に作られたブラチスラヴァ最古の公共水汲み場であるロランド噴水です。マクシミリアン2世(神聖ローマ皇帝1564〜1576年、ボヘミア王1562〜1575年、ハンガリー王1563〜1572年)はオーストリア・ハプスブルク家によるボヘミア、ハンガリーの世襲がはじまったフェルディナント1世の子です。 フラヴネー広場のマクシミリアンの噴水 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 旧市庁舎 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 旧市庁舎はブラチスラヴァ城から戻った後に内部を見学しました。現在は歴史博物館になっています。 旧市庁舎内の礼拝堂 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 旧市庁舎からみたフラヴネー広場 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 旧市庁舎からみたブラチスラヴァ城 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 フラヴネー広場のカフェ 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 なお旧市街の街中には、さまざまな像があります。日本大使館の前には衛兵の像が、上のカフェの角には下の写真の像がありました。 帽子をもった人の像? 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 日本大使館前の衛兵像 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 フランス大使館の前にはナポレオンの像もあります。下の写真の右下のベンチにもたれかかっている像がナポレオンです。ブラチスラヴァは1809年にナポレオン率いるフランス軍に攻撃されているので、皮肉がこめられているのでしょうか。 ナポレオン像(右下) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下のマンホールからのぞくヘルメットをかぶった人の像は特に人気です。視線の先にはフラヴネー広場のフランス大使館が見えます。下の写真を撮った時には時間がはやいので誰も居ませんが、通りかかるといつも人が集まって一緒に写真を撮っていました。以上の他にも像があります。 マンホールから除くヘルメット姿の像 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■クラリシン教会旧市街の北西あたりに大きなゴシック様式のクラリシン教会があります。1297年にクララ女子修道会の教会、修道院として建設されたもので、現在はコンサートホール、展示会場として用いられています。 クラリシン教会(Church of the Elevation of the Holy Cross, Cralicin Church) 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■聖マルティン大聖堂ブラチスラヴァで最も古い14世紀に建てられた教会です。ハンガリーの領土の大半がオスマン帝国に奪われていた時代には、この教会でハンガリー王の戴冠式が行われていました。スロヴァキアは近代までハンガリーの一部であり、この時代はブラチスラヴァがハンガリーの首都だったのです。尖塔の先にはハンガリー王国の王冠である「聖イシュトヴァーンの王冠」の金色のレプリカがついてます。なお、聖イシュトヴァーンの王冠の実物は現在は国会議事堂で公開されています。 下の写真は教会の斜め裏側です。写真の右側(教会の後ろ側)からぐるっとまわり正面から教会に入りました。 聖マルティン大聖堂 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 聖マルティン大聖堂 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下は聖マルティンと乞食の騎馬像です。中央祭壇を作った彫刻家のラファエル・ドネルの作によるもので、聖堂がバロック様式だった時代にはこれが中央祭壇におかれていました。 聖マルティン(トゥールのマルティヌス)は、ローマ帝国のパンノニア州(現ハンガリー)の生まれで、ローマ軍に入隊後、ガリアのアミアン(現在のフランス北部)に派遣された際、アミアンの城門で震えている物乞いに自らのマントを裂いて半分を与え、この物乞いはイエス・キリストであったという伝説があります。マルティヌスはその後、洗礼を受け除隊して伝道にもつとめ、司教になった人物です。 聖マルティンと乞食の騎馬像 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 教会の床下には11世紀の墓所あり、硝子パネルで下をのぞき見ることができるようになっていました。下の写真にはガラス面に美しいステンドグラスが映り込んでいます。 11世紀の墓所 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 なお、かつて聖マルティン大聖堂の西側正面は街の城壁の一部でした。下の写真は、聖マルティン大聖堂の北側の現存する城壁です。 城壁と聖マルティン大聖堂 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下の写真は聖マルティン大聖堂の南側です。塀と一体になった建物が教会の南側の壁につながっています。つまりここは旧市街の西端ということになります。城壁の西側には現在は自動車専用道路があり、その西側の丘の上にブラチスラヴァ城があります。 マルティン大聖堂の旧城壁部分 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下の写真はマルティン大聖堂の北側に続く城壁を、道路の反対側から見た様子です。 城壁 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 ■ブラチスラヴァ城マルティン大聖堂の西側の城壁の隣には自動車専用道路があります。その下をくぐって反対側の丘の上にブラチスラヴァ城があります。ブラチスラヴァ城への道標 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 上の標識の場所から急な坂を登っていくと、今度は下の写真の階段になります。ここをさらに登ります。 ブラチスラヴァ城への階段 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下はグーグルマップの3次元表示で、左を流れるのがドナウ川、右下が旧市街、右下の大きな塔のある建物がマルティン大聖堂、中央上がブラチスラヴァ城です。東から西の方向を見た様子です。 ブラチスラヴァ城周辺(グーグルマップより) ブラチスラヴァ城には次のような説明が掲示されていました(日本語訳および補足は筆者)。
上記の説明にあるように、現在みる城のほとんどが20世紀、第二次世界大戦後に再建されたものであるため、宮殿の中は真新しい部屋が並んでいます。 宮殿の正面入口前には、下の写真のような遺跡がみられます。遺跡の主要部分を3種類の色の石で再現したものではないかと思われます。説明のある石版が風化して読み取れませんでした。 ブラチスラヴァ城正面の遺跡 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 振り返るとドナウ川と川にかかるSNP橋、そして展望タワー(UFOの塔)がよく見えます。後でUFOの塔の展望台に上りました。 ブラチスラヴァ城からみるドナウ川とUFOの塔 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 下の写真が宮殿の正面入口です。入口に向けて上り坂の比較的急な勾配がついています。中央の騎馬像は後のチェコ・スロヴァキアのルーツとされているスラヴ人のモラヴィア王国の最盛期の君主スワトプルク1世(スヴァトプルク1世)(在位871〜894年)の像です。モラヴィア王国は最盛期には現在のチェコ・スロヴァキア・ハンガリーとその周辺を含む広大な版図を持っていました。 像の台座には846〜894年と書かれていますが、生年は必ずしも明らかではないようです。スワトプルク1世の後は、その子スワトプルク2世(ニトラ公)とモイミール2世(大モラヴィア公)が領地を分け合いますが、マジャール人(ハンガリーの主要民族)の侵入によりモラヴィア王国は消滅しました。 ブラチスラヴァ城の宮殿正面・スワトプルク騎馬像 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 宮殿入り口の左側に宝物館、宮殿中庭に地下の井戸への入口、宮殿の中には博物館や王の間があり、それぞれ見学できます。 ブラチスラヴァ城・宮殿の中庭 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 中庭は殺風景な石畳で、地上の井戸が1つあるだけで他には木の1本もない殺風景な場所ですが、宮殿の中の博物館には、再建工事の際に発掘されたものや、発掘、再建の様子、以前の城の模型、宗教画、共産主義時代を含む近代の文物などの展示があり、見応えがあります。 ブラチスラヴァ城の展示・発掘の様子 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 廊下の装飾は宮殿風ではありますが、比較的質素に見えます。 ブラチスラヴァ城の廊下 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 展示の一番最後の部屋はシンプルな現代風の礼拝堂でした。殺風景な中庭、質素な廊下、現代風の礼拝堂はやや興ざめするものの、マリア・テレジアの時代等、以前の状態が分からない部分は無理に再現しようとしない、という真摯な姿勢の表れかもしれません。 ブラチスラヴァ城の礼拝堂 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 宮殿から中庭に出たところ、地下に向かう地味な階段がありました。特に案内板等はありません。たまたまそこから出てきた他の訪問者に、階段を降りて見学できると教えていただき降りてみたところ、地下の井戸へ続く地下道でした。 ルクセンブルク朝のジギスムントの命により井戸が掘られ、長く続いた城内の水不足の問題が解消されました。井戸の深さは85mで、ドナウ川の水面の高さに達しています。マリア・テレジアの時代にポンプによりドナウ川の水が近くの水脈?にひかれるようになり、さらに改善されました。 ブラチスラヴァ城の地下の井戸への道 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 この後、宮殿入り口左側の宝物館に入りました。銀の食器等が展示されています。そして、城壁の外に出て、ドナウ川に面した斜面を下り、旧市街に戻りました。 ブラチスラヴァ城・ドナウ川に面した城壁 撮影:鷹取敦 Nikon COOLPIX S9900 旧市街に戻った後にフラヴネー広場の旧市庁舎、クラリシン教会、フランシスコ会教会等については上ですでに紹介しました。 また現在はブラチスラヴァ市民ギャラリーの一部となっているミルバッハ宮殿も見学しました。ミルバッハ宮殿は18世紀に建てられたロココ式の宮殿でバロック絵画、彫刻等が展示されています。 参考、出典: *1 MARTIN SLOBODA、「ブラチスラヴァ」 つづく |