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第5回 アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2008-2021
A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune


ヘルクラネウム遺跡 現地視察
HERCULANEUM Ruins
 ネプチューン・モザイクの家 2
House of the Neputune

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda

2020年11月30日 独立系メディア E-wave Tokyo

写真右奥は池田こみち 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2016年2月

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 本稿の解説文は、現地調査に基づく解説、写真撮影に加え、Wikipediaのイタリア語版を中心に英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

ブロック V
サムナイトの家1  サムナイトの家2   美しい中庭の家1
美しい中庭の家2  コリント式アトリウムの家1   コリント式アトリウムの家2 
二百年祭の家1  二百年祭の家2  炭化した家具の家1  炭化した家具の家2 
ネプチュ-ンモザイクの家1  ネプチュ-ンモザイクの家2 
大きな門の家1  大きな門の家2  木の神棚の家

ネプチューン・モザイクの家 (Ins V, 6-7)
  ( Casa di Casa di Nettuno e Amfitrite(伊)、House of the Neputune(英))

 ネプチューン・モザイクの家家は、ファウチ、アトリウム、タブリナム、庭の標準的な間取り(レイアウト)を持っています。ファウチ(a)はカルドIVの東側から開きます。その北側には小さなサービスルームがあります。 ファウチは、その中心に大理石の裏地インブリウムを持つ大きなアトリウム(b)に直接つながっています。


ネプチューン・モザイクの家の平面(間取り)
参照:AD79eruption - Google Sites
..

撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2016年2月



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2016年2月



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2016年2月


プチューンとアムピトリーテーの解説

 正式にはネプチューンとアムピトリーテーのモザイクの家(Neputune and Amphitrite Mosaic House)と言い、(インスラ(ブロック)Ⅴ、カルドⅣ、No.7)にあります。

 そのエレガントな二階建ての家には素敵な夏用のダイニングルーム(トリクリニウム)があります。その食堂は色彩の美しいモザイクにより泉の女神(ニンファエウム nymphaeum)を描いた装飾が施されていて、他にもネプチューンとアムピトリーテー(ポセイドン)の絵や狩猟の様子を描いた絵が飾られています。

 注)ニンファエウム(ラテン語: nymphaeum)
  古代ローマや古代ギリシアで泉の神ニンフ(ニュンペー)を祀る
  場所または神殿のこと。古くは自然の洞穴などをニンフ信仰に
  結びつけていたが、後に瀟洒な装飾を施した建物などが建てら
  れるようになった。

 注)ネプチューン
  ネプチューン(Neptune、ネプトゥーン、あるいは、ネプテューヌ、
  ネプテューンとも)はローマ神話の神・ネプトゥーヌスの英語読み。
  ギリシア神話のポセイドンに相当する。

 注)アムピトリーテー(Amphitrītē)
  ギリシア神話の海神ポセイドーンの妃で海の女王である。アンフィ
  トリーテー、長母音を省略してアムピトリテ、アンピトリテ、アンフィト
  リテとも表記される。名前の意味は「大地を取り巻く第三のもの」、
  即ち海をあらわす。聖獣はイルカで、象徴は冠、ヴェール、王笏。
  ローマ神話の海水の女神サラーキアと同一視される。


 <参考>アムピトリーテーとポセイドーンとの結婚
  後世の神話ではアムピトリーテーとポセイドーンの結婚の物語が語ら
  れている。それによればアムピトリーテーは姉妹たちとともにナクソス
  島で踊っているときにポセイドーンによってさらわれた。あるいはポセ
  イドーンの求婚に最初は抵抗したが、ポセイドーンからイルカをプレゼ
  ントされ、婚姻を承諾した。



 以下は、ネプチューンとアムピトリーテーのモザイクを撮影する青山貞一です。モザイク画だけを見ると分かりませんが、モザイク画がある場所は、以下のようななかば廃墟化した建築物ののそれぞれ壁にあります。


ネプチューンとアムピトリーテーのモザイクの家(Neputune and Amphitrite Mosaic House)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2016年2月


 タブリナムからは、壁にネプチューン・モザイクの装飾が施された後方に美しく装飾されたコートを見渡せます。 その中に赤い線で描かれた2つの大理石のスラブが見つかりました, そのうちの1つは、アーティストの署名、アテネのアレクサンダーがありました。

 以下は、ネプチューンとアムピトリーテーのモザイクがある壁のほぼ全景です。通常、観光ガイドではモザイク画だけがクローズアップされていますが、実物は以下のように大きな壁の一角にあります。


ネプチューンとアムピトリーテーのモザイクの家(Neputune and Amphitrite Mosaic House)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2016年2月


 下の写真は上の写真の右側部分を撮影したものです。


ネプチューンとアムピトリーテーのモザイクの家(Neputune and Amphitrite Mosaic House)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2016年2月

 以下がトリミングしたネプチューンとアムピトリーテーのモザイク画(Neputune and Amphitrite Mosaic )です。この写真のネプチューンとアムピトリーテーのモザイク画が観光案内にある写真に類するものですが、以下は実際に撮影した写真です。


ネプチューンとアムピトリーテーのモザイクの家(Neputune and Amphitrite Mosaic House)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2016年2月



ネプチューンとアムピトリーテーのモザイクの家(Neputune and Amphitrite Mosaic House)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2016年2月



ネプチューンとアムピトリーテーのモザイクの家(Neputune and Amphitrite Mosaic House)
Source: Herculaneum, Oplontis Civilizarion , Art and History



ネプチューンとアムピトリーテーのモザイクの家(Neputune and Amphitrite Mosaic House)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2016年2月



ネプチューンとアムピトリーテーのモザイクの家(Neputune and Amphitrite Mosaic House)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2016年2月



ネプチューンとアムピトリーテーのモザイクの家(Neputune and Amphitrite Mosaic House)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2016年2月



ネプチューンとアムピトリーテーのモザイクの家(Neputune and Amphitrite Mosaic House)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2016年2月


 この家からは以下のの写真のように、たくさんの瓶、壺、食器などが発掘されています。


Source: Danilo Bisello, Googl Map Street View


 以下はワインショップ部分の写真です。


ネプチューン・モザイクの家
Source:Wikimedia Commons
CC BY-SA 3.0, Collegamento


 以下は、ワインショップの上にあったフレスコ画です。


ワインショップの上の階のフレスコ画
Source:Wikimedia Commons
CC BY-SA 2.0, Collegamento

◆モザイクアトリウムの家

ペリスタイル
モザイクとハウスは、ある家のローマ時代「中に埋もれ79でヴェスヴィオ
の噴火の結果、見つかった考古学的発掘古代のヘルクラネウムはとても理由で命
名され」アトリウム特徴舗装にモザイク[ 1]。


歴史と説明
家だけでなく、残りの都市は、ブランケット下に埋もれていた泥から
ベスビアンの噴火 で79:それは、その後の調査の間にトンネルを通じて調査し
たことにより促進ブルボン王朝で十八世紀にと明るみに二十世紀次発掘調査
Amedeo Maiuri [1]によって実施されました。


顎の舗装
モザイクアトリウムの家の延長は約1200平方メートルで、正面玄関はカルド
IV沿いにあります[1]。顎には第4のスタイルのフレスコ画が特徴の壁の装飾があ
り、床は幾何学的なデザインと様式化された花を再現したモザイクです。両方の
壁の開口部はサービスエリアに通じており、そのうちの1つには階段が残ってい
ます。上層階につながった[1]。アトリウムには大理石で覆われた中央の水路が
あります、この場合、床は黒と白のチェッカーボードの形をしたモザイクです[2]。
ただし、黒の異なるデザインで二重フレームを形成する水路の周囲に沿ったもの
を除きます。床も一種の変形を特徴としています。79の噴火中の熱分解流によっ
て引き起こされ、前の家に属する壁構造の残骸も強調しています[1]。アトリウ
ムの底には元々タブリナムがあり[2]、後にマイウリによれば、ベスビアン地域
で唯一の例であるエジプトのオエカスに変身した[2]。、それはVitruvius [3]に
よって説明されているように、一種のダイニングルームです。これは、2階が置
かれ、天窓のあるスタッコで覆われた2列の柱によって3つの海峡に分割されてい
ます。部屋の形は大聖堂の形を思い起こさせ、おそらくゲストの受け入れを目的
としていました[1]。あなたもアクセスしてい心房からペリを:これは持ってい
る中央の庭園と噴水が供給される大理石で覆われた、castellumのaequaeによっ
て二次入口付近に設置し、三方を囲まを吹き抜けと、列に列挙された作業と、レ
ンガと交互凝灰岩ブロック[1] 。一部の部分では、列の間のスペースが大きなウィ
ンドウで埋められています[1]。ペリスタイルの東側の中央には、4番目のスタイ
ルで装飾されたエクセドラがあり、赤い台座のパネルがあり、中央の領域は幻想
的な建築の要素の描画で強化され、中央には神話のシーンがあり、ダースの苦痛
は抵抗しますそしてダイアナとアクタイオーン[4]、黒、白、茶色が優勢で、床
はオーパスセクタイルで、白いタイルのフレームで囲まれています。次エクセド
ラ4つのあるキュービクル全て赤色第四様式のフレスコ有する[1] 。代わりに南
側に沿って、上層階に通じる階段に加えて、壁の装飾をほぼ完全に失ったトリク
リニウムがあります:この環境から、いくつかの開口部が周囲の立方体につなが
り、より大きなポータルがテラスにつながります、街の古い壁のスペースを使っ
て建てられた[5]、第4のスタイルで装飾され、オーパスセクタイルフロアで装飾
されています。テラスの端には海を望む2つのディアエテがあります[1]。