旧中山道、信州 宿場探訪 農業温水路・真楽寺 (御代田町) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda May 15, 2015 Alternative Media E-wave Tokyo 無断転載禁 |
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私たちは追分宿を後に、中山道を次の宿場、御代田町の小田井宿方面に歩き出しました。 このあたりは、昔からよく来た場所です。旧中山道の軽井沢町と御代田町のちょうど境界線上に、すばらしい景観の農業温水路があります。 ◆農業温水路 下がその農業温水路です。純粋な農業用水路ですが、水深が非常に浅く、太陽の熱で温水化し、下流の灌漑用水として利用されています。 この農業用温水路の川岸にはさまざまな樹木、花が季節折々に咲いています。また河畔には沢山の瀟洒な別荘があります。いつ行っても素晴らしい景観が味わえますが、かなり前、台風が林を直撃し、大部分の木が倒れたことがあります。 また温水路には季節、季節に水鳥が飛来しています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-6 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-6 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-6 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 下は秋に来た時の写真です。コスモスが咲いています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ◆真楽寺 御代田町には、真言宗智山派の寺、真楽寺があります。 中山道の塩名田宿には、この真楽寺の同系の寺があり、行く旅人のための道標があります。下の写真がその同様です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4 ◆真楽寺概要 真楽寺真楽寺の創建は用明天皇の時代(585〜87)に浅間山(標高:2568m・上信越高原国立公園・日本の地質百選・日本百名山・花の百名山)噴火の鎮静を祈願する為に勅願により開かれたのが始まりと伝えられています。 以来、広く信仰を集め文治5年(1189)には源頼朝(鎌倉幕府初代将軍)が浅間巻狩りの際、当寺を訪れ観音堂を寄進し自らの42歳の厄除けを7日間に渡り祈願したことから"頼朝厄除観音"との別称があります。 境内には頼朝が愛馬の鞍かけたと伝わる鞍掛け石や、頼朝が梅の杖を地面に突き刺すと、根付たされる頼朝公の逆さ梅などが頼朝縁の史跡が点在しています。 真楽寺天和年間(1681〜84)の洪水や宝永年間(1704〜11)の火災など度々災害により堂宇や寺宝、記録など大きな被害を受けましたがその都度再建されています。江戸時代には寺領83石、13坊、末寺36ヶ寺を有する大寺となり寺運も隆盛し現在も多くの古建築物や寺宝を所持しています。 本堂は入母屋、銅板葺、平入、正面唐破風向拝付。境内の芭蕉句碑は天保14年(1843)、芭蕉百五十回忌に小林葛古により建立されたもので「むすぶよりはや歯にしみる清水かな」の句が刻まれています。 山門前にある大沼池は聖徳太子も立ち寄ったという由緒ある池で、浅間山の伏流水が湧き出る名水とされ、「甲賀三郎」伝説や「七尋芹」伝説が伝えられています。佐久三十三番観音霊場第4番札所(札所本尊:聖観音・御詠歌:浅間山なにおそろしと思うなよ いつも仏に大沼の里)。 宗派:真言宗智山派。本尊:普賢菩薩、聖観世音菩薩、大日如来、歓喜天、阿弥陀如来。 真楽寺の文化財 仁王門−17世紀後半−三間一戸、寄棟、茅葺、八脚単層門−御代田町指定文化財 金剛力士像−応永2年(1395)−御代田町指定有形文化財 三重塔−寛延4年(1751)−方12.5尺−長野県県宝 観音堂−寛文5年(1665)−橦木造、銅板葺、桁行5間、梁間3間−町指定文化財 神代杉−推定樹齢1000年・幹周10m−御代田町指定天然記念物 真楽寺の寺叢−御代田町指定天然記念物 下は以前私たちが撮影した真楽寺や五重塔、庭などの写真です。自然と共生した実にすばらしい寺です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 つづく |