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現地視察(1) 現地視察(2) 現地視察(3) 現地視察(4) 現地視察(5) 現地視察(6) 現地視察(7) 現地視察(8) 現地視察(9) 現地視察(10) 現地視察(11) 現地視察(12) 現地視察(13) 現地視察(14) 現地視察(15) ④舟石峠から小滝地区へ 出典:一般社団法人日光観光協会、足尾散策ガイドマップ をもとに青山が作製 さらに進むと、標高1000mちょっとの舟石峠に出た。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 この峠は、足尾銅山の母山である「備前楯山」の1272mより少し低いが、おそらく足尾銅山の鉱脈が下を走っているはずの峠である。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 舟石峠に、以下の看板があった。おそらくこの林道を下れば足尾銅山側に降りられる。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 確認のため舟石峠で前から歩いて来た方に、このまま行くとどこに出るかを聞く。 するとこのまま進むと足尾温泉、国民宿舎「かじか荘」に行くと教えてくれた。 下の地図にあるように、舟石峠を降りると足尾温泉に到着した。 「本山地区」から「小滝地区」までの道路図 出典:グーグルマップ その後、県道293号線を小滝坑口そして帰路となる国道122号線がある方向に向かって下っていった。 途中、「狸掘り跡」や「鷹の巣坑」など、いずれも足尾銅山に関連する史跡があった。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 県道293号線をさらに降りると「中国人殉難烈士慰霊碑塔」という日光市の掲示板が目に入った。何でも太平洋戦争の末期、中国から強制連行されてきた257名が足尾銅山の労働に従事し109名が殉難されたとある。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 下は慰霊塔までの階段である。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 下は県道292号線沿いにあった「中国人殉難烈士慰霊塔」である。 私達は長野県長野市松代の松代大本営跡でも同じような中国人や朝鮮人の慰霊碑を見たことがあるが、戦時中日本は各地の炭坑や鉱山などで朝鮮半島や大陸からひとびとを連行し強制的に働かせていたことを足尾銅山の地でも知ることになった。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 「中国人殉難烈士慰霊碑塔」を過ぎ少し行くと「坑夫浴場跡」があった。実は数時間前、環境学習センター内のDVDを見ていたらローマの大浴場ではないが坑夫が二重楕円形のお風呂に入っている姿を見ていたので、すぐにそれと分かった。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 浴場はほぼ原型をとどめていた。なかなかユニークな形をした浴場である。 足尾銅山労働者用の浴場跡にて 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 浴場近くに、「小滝坑口」の跡があった。下図には通洞、本山とともに、「小滝坑口」が示されている。「小滝坑口」も足尾銅山の主要な坑道を支える坑口であった。 「小滝坑口」も足尾銅山の主要な坑道を支える坑口であった 出典:グーグルマップから青山が作成 下は現在の「小滝坑口」。坑口は厳重に閉じられている。 足尾銅山の小滝坑坑口(現在) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 以下は「小滝坑口跡」についての日光市の史籍解説板である。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8
小滝坑口をさらに下ると、小滝小学校、第三中学校跡の案内板があった。大正7年には何と991人もの児童が通っていたとある。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 下の写真の右側に石段がある。おそらくこの上側が校庭となっていたものと思われる。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 小滝小学校、第三中学校跡の案内板からさらに県道293号線を下ると「足尾朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑」という看板があった。先に「中国人殉難烈士慰霊塔」の案内板を見たとき、おそらく朝鮮人強制連行についても慰霊碑があるだろうと推察していたが、やはりあったことになる。非常に残念であり遺憾なことである。 これについては、以下に詳細な論考があるのでご覧いただきたい。実に多くのひとびとが強制的に足尾銅山に送り込まれ劣悪の労働環境の下で働らかされ、亡くなっていったことが記されている。
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